Skip to content

중앙영광교회

従順と私

이용규목사, 2008-12-10 20:26:45

閲覧数
471
推奨数
24
従順と私

御言葉//出エジプト記 4:10-15

1. 出エジプトの原動力
430年間も奴隷として暮らしたイスラエル人たちが自由を得て、エジプトを脱出する。
彼らがどのようにしてエジプトという強国から解放され、出てくることができただろうか?
もちろん彼らの力ではなかった。彼ら自身の力では絶対不可能な事だった。全能なる神様がイスラエルを助けたから、エジプトのように強い国でもどうしようもなかったのだ。

それでは神様の助けは、どこで起きるのか?
従順する人がいる所には、必ず神様の助けが共にある。それで出エジプト記の始めは、見っともない二人の女の人の従順から始まる。これが出エジプトの出発点だ。出エジプト記の第一章にシフラとプアという助産婦の話が出る。(出エジプト記1:15-21) エジプトの王が彼らに命じた。'ヘブライ人の女が子供を生む時、男の子だったら殺しなさい。'しかし彼らは王に従順したのではなく、神様に従順した。彼女たちは神様を恐れて、男の子達を生かしておいた。王に逆えばどんな不利益があるかわからない状況でも、彼女たちは神様に従順したのだ。それで、神様は彼女たちに恩恵を施して、その家を栄えさせてくださった。たとえつまらない助産婦の仕事でも、そこに主に向けた貴重な従順の姿が生きていたので、神様は彼女たちとその家門に恩恵と繁栄の福をくださったのだ。

'しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。'(使徒言行録 4:19)
'こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。'(ガラテヤの信徒への手紙  1:10)
神様は従順する者を愛する。従順する者を通じて働く。従順する者を証人にする。
神様は出エジプトの歴史の扉を助産婦たちの従順で開く。そして 2章から 7章まで一人に従順訓練をさせる。彼がまさにモーセだ。一人モーセの従順を通じて出エジプトの門がぱっと開かれるようになる。モーセの従順によって険しい環境(ファラオ)が従順するようになって、全国民が順従するようになって出エジプトの歴史が完成される。
出エジプトの歴史は従順の歴史だ。モーセの従順が出エジプトの歴史を作った。
救いの歴史も従順の歴史だ。イエス様の十字架の従順が救いの歴史を作った。従順がなければ、奇跡は起きない。
従順の生きている教会が、生きている教会だ。
従順の生きている教会が、良い教会だ。
従順の生きている教会が、元気な教会だ。
従順の旺盛な教会が、力が強い教会だ。
順従する教会が、奇跡を起こす教会だ。
出エジプトの歴史はモーセの従順を通じて!
救いの働きはキリスト様の従順を通じて!
それでは今日の信仰の働きは誰の従順を通じて?
神様はあなたの従順を期待する。あなたの従順を待つ。
それがたとえ小さい助産婦の従順でも、最小限家門の歴史を書き直すほどの神様の働きが伴うという事実を憶えなければならない。

2. 従順の原動力
人々は従順が大事だということは知りながらも、いざとなると従順はよくできない傾向がある。
どうして従順が難しいか?ものすごい錯覚に陷っているからだ。
人々が陥っている錯覚はこれだ。従順するようになれば、自分が自分の力で仕事をすべてしなければならないというのだ。絶対にそうではない。むしろその反対だ。能力は神様にある。したがって仕事は神様がなさる。私がすべきことは従順しかない。

原理はこれだ。'私は従順して、神様は働く'
私がすべてしなければならないと思うから、恐ろしくて、従順しにくくなる。
モーセも同じだった。自分にはやり遂げる能力がないので従順することができないと言った。それで神様は能力がモーセにあるのではなく、全面的に神様にあると再びおっしゃってくれる。神様がモーセに二つの奇蹟まで見せてくれたが、モーセはずっと順従しないで逃げようと思った。

'それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと辯が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」'(出エジプト記 4:10)
その時、神様がおっしゃった。'主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。… 主なるわたしではないか。 さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」'(出エジプト記 4:11,12)

神様は、モーセの弁舌の才がほしくてモーセを選んだのではない。あなたの能力は問題にならない。すべての能力は全能なる神様にいつもあるからだ。神様の能力はあなたの従順を通じてあなたに流れこんで来る。従順は能力の通路だ。
したがって、私は従順だけすればよい。それで仕事は、神様が自ら行う。神様の働きは付いて来る。こんなに感謝すべき事がどこにあるか?出エジプトのすべての過程がこれをよく証明してくれる。エジプト王がイスラエル人を行くようにしたことも、紅海を渡ることができたことも、マンナを 40年間も食べることができたことも… 全部モーセのしたのではなく、全面的に神様がなさった仕事だ。モーセはただ神様がなさる仕事を見物しただけて、恩恵だけ受け取った。従順のように恵深い事はない。あなたが働くのではない。従順だけすればよい。奇跡は順従する者を通じて神様が起こす。

モーセはまだ神様の言う意味かよくわからないようだ。
彼はもじもじして、‘「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」'と言った。(出エジプト記4:13)
モーセのように、人々は従順の命令を受ければ先に、自分自身を振り返る。そして自分の都合や条件が当たらないと考えられれば、容赦なく断る。
ところが、この事実を知らなければならない。神様は、資格があると思って人を呼ぶのではなく、ただ恩恵で呼ぶというのだ。神様の器として選ばれることは、私の功労や能力のためではなく、ただ神様が私を愛して恩恵を施してくださったからだ。これを知る人は、従順すべきことがある時、呼ばれる時、あまりにも感激しながら喜びで命を捧げて従順するようになる。自分が特別な恵みを受けた人だとよく分かるからだ。

これに対して、パウロは正確に言っている。
'神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。'(エフェソの信徒への手紙3: 7)
あなたが天から呼ばれたことは、あなたのゆえではない。あなたがえらいとか、資格があるからではない。ただ神様の恵みのためだ。だから無条件に感謝してアーメンしなければならない。'私のような者が何だと、神様が多くの人の中で、私を選んでくださったのか… 神様、ただ感謝するだけです。'

神様に召されたのか?神様があなたを使われたいのか?
視野を広げなさい。自分だけ見られるフレームに閉じこめられていれば、絶対に順従することができない。そのフレームを壊し出て、神様を見ることができなければならない。従順の原動力は自分ではなく、神様にあるからだ。恩恵によって召され、力がその方にあることを知ることが、従順の原動力だ。恵みが分かるほど、従順度は高くなり、信仰が深くなるほど、従順の質もよくなる。
従順は条件が与えられてするのではなく、お話が与えられてするのだ。
従順は私のためにするのではなく、神様のおかげでするのだ。
従順は苦労の道に立ち入ることではなく、恩恵の道に入って行くのだ。

3. モーセの従順
神様は出エジプトの奇跡を行う前に、出エジプトの前半部の 7章も割り当て、モーセに従順の訓練をさせた。出エジプトのためには、従順がこのように重要だったからだ。助産婦たちを通じて、広野で、そして直接現われて、御言葉を通じて、奇蹟を通じて引き続き従順訓練をさせた。弟子訓練も一種の従順訓練だ。従順訓練をよく受けてからこそ、大事に使われることができる。
従順が如何に難しいのか、モーセを通じてよく分かる。
神様が御言葉で従順訓練をたくさんさせたが、モーセはよく従順することができなかった。
そうから奇蹟まで見せてくれたが、自分は弁舌の才がなくてできないと言った。あの時、神様はものすごく怒りながら、言葉使いが上手なアロンまで付けてくださる。しかし、モーセは完全に従順することができなかった。義理のお父さんに別れのあいさつをする姿を見ればよく分かる。そこで神様に関する話は一つもない。ただエジプトにある親戚に会いに行くとだけ言った。(出エジプト記4:18) もし、彼が神様に完全に従順する心があったら、本当に興奮して神様から召されたことに対して夜を明かしながら話したはずだ。

そしてエジプトに行く途中で、神様がモーセを殺そうとする事件が発生する。自分の息子にまだ割礼を行わなかったからだ。従順しなければ死ぬこともあるという暗示をくださったのだ。彼は仕方なく従順の道に立ち入る。初めはファラオからの苦しめが加わって、人々は労動にくたびれてモーセの言うことを聞こうと思わないし、大変だったが(出エジプト記5:23,6,9)、 従順を通じる神様の働きを体験するようになり、モーセからできないという話が完全になくなってしまった。

従順は従順を呼ぶ。
到底、従順したくないか?それでも一応一度従順して見なさい。従順の味が分かるようになるでしょう。心が変わるでしょう。
従順はしないからできないのだ。従順をするようになれば、そこで必ず順従することができる新しい力が出る。従順をして見れば、従順が如何に良いことなのか分かるようになる。
従順をして見れば、従順の能力が如何に偉大なのか分かるようになる。
神様を体験したいのか?先に従順のドアを開けて見なさい。
あなたの従順の門が閉まっている限り、神様の働きの風も吹かないだろう。
今日も神様は、あなたの人生を阻んでいる紅海に神様の東風が吹くように願う。(出エジプト記14:21)
従順のドアを開けて、神様の東風を迎えなさい。海に道が開かれるでしょう。

4 コメント

이용규목사

2008-12-10 20:27:45

황후연 형제님이
은혜롭게 번역해 주셨습니다.

中森千草

2008-12-11 05:42:23

自分の力がどれほど弱く、無力であるかを知ったとき、神様しか頼ることができなかった。そして、神様に従うことによって、神様の御業をみることができました。
弱いからこそ神様に従う道しかなく、自分の力で生きることのほうが私には難しかったです。
従順することは容易いことではないですが、神様の御心を知った時、言い訳をして逃げていた私の心は変わり、自然に素直になり、従うことが少しずつできるようになってきています。
READ , LISTEN & OBEY  守っていきます。

古郡武志

2008-12-14 02:03:43

「従順」の障害はなんであろうか?

もちろん、大変なことより楽なことを好むからであろう。
寒い中朝早く起きて礼拝に行くよりは、「後少しだけ・・・」と思いながら布団にくるまっている方が気持ちよくて楽である。

そして、さらに従順の障害は、「いや、大変なことをどうして命じられたのだろう」と神のご意思に疑問を呈することなのであろう。
人間は考える動物である。理由を追求する動物である。
もちろん、理由を追求する性質があるからこそ、文明を発展してきたのであろう。

私も理由を追求する性質を有する人間であり、聖書を読みながら、疑問が頭をかすめることもある。例えば、一例を挙げると、「祭司は7日間幕屋の入り口から離れてはいけない」(レビ記8章33節)という一節を読むと「何故7日間なのだろう?」とか…
 結論から言うと、「主がそう命じたから」としか言いようがない。

 自分が納得できること、理解できることにだけ従うというのは、自分の判断に基づいて行動するということであり、自分の論理的思考の世界に全知全能の神を取り込もうという恐ろしい行為に他ならない。

 つい、この前、「塩狩峠」という映画を見た。
「自からの罪がイエスを十字架につけた」という牧師の指摘に対する疑問を払拭できない主人公が、「隣人を愛しなさい」とい御言葉に徹底的に従順し、職場で罪を犯した同僚の復職のために奮闘する中で、他人を見下す自分の罪性に気付くという場面があった。
同僚のために土下座までする主人公の姿を見ながら、何故か私の目には涙があふれていた。「隣人を愛しなさい」とい御言葉に従順するよう主人公の姿は美しく、尊かった。
ビリー・グラハム師も、若い頃聖書の正確さと権威に関する疑問を払拭することができなかったが、「理解できなくても、自分の人生と働きにおける唯一の権威として心から信じることにします」と祈ったところ、常識を超えた力で祝福され、豊かに用いられるようになったという。(5つの目的 24日目)

 もちろん、仕事の世界では「何故?」と問い続ける姿勢は大切にしていきたい。しかしながら、こと神の前では、「何故?」と問う姿勢を封印して、「聖書が唯一の権威であること」を自らの身をもって示すことができるようになりたいと思う。
 

田辺高幸

2008-12-14 02:28:25

出エジプト記をみると、最初はモーセの話ではなく助産婦の話で始まる。彼女らは、王様の命令より神様への従順を選んだ。ここに神様と人間の正しい関係性を見ることが出来た。神様は万物を創造された方であり、完全にこの世を支配する方であり、最も力がある方である。そんな方に対する助産婦の態度はごく自然のように映る。従順させる方を本当に理解している。
しかし、これは実は人間には非常に難しい。箴言21章2節に「人間の道は自分の目に正しく見える。/主は心の中を計られる。」と書いてあるが、人間は自分の考えていることが正しいと思ってしまい、創造主への忠誠を忘れてしまうのだ。従順とは本当に自分が神様に対してどのような存在なのかを知って、謙虚な心を持っていなければ出来ないのである。神様はもしかしたら、人間を本当の従順とは何かを悟らせるために、このような自己中心的な考えを持たせたのかも知れない。それで神様はその人間の心を見て、しっかり従順できるかを見ているのではないかなと思うのは考え過ぎなのだろうか。
モーセは偉大な人物である。旧約の中で重要な文献はモーセ五書と呼ばれ、重要視されていることでもそのことが一目で分かる。本当の意味での最初の預言者と呼べる方で、神様の御声を聞き、みんなに話し、そして行わせた。彼を通して我々は神様の話を聞くことができる。この方と神様の会話から与えられる御言葉は、時代を超えて今もなお多くの人にたくさん教えてくださっている。
しかしそんなモーセも、最初に神様に対して、指名された時に、いろいろ言い訳をして断っている。結果的に従順するのだが、ここにも従順の難しさを見ることが出来る。人間は勝手なことを並べるのだ。偉大なる預言者の出発がこれだから、僕のことを考えると、もっと情けない言い訳をしそうで情けなくなる。
モーセは神の御言葉を従うことを選択し、そしてイスラエルを守った。やはり従順することは正しいということを証明してくれている。ならば、やはり自己中心的なことを言っていないで、それを突き抜けて従うようにならなくてはならない。箴言18章10節にはこう書かれている。「主の御名は力の塔。/神に従う人はそこに走り寄り、高くあげられる」。神を信じれば従えば、成功するという意味だと思う。神に従わなければ箴言12章21節に書いてあるとおり「神に従う人はどのような災難にも遭わない。/神に逆らう者は災いで満たされる。」のならば、神に従おうと思う。箴言の著者であるソロモンがコヘレトの言葉の12章 13節で書いたことが真実なのだと思う。「すべてに耳を傾け得た結論。/「神を畏れ、その戒めを守れ。」/これこそ、人間のすべて。」。人間として神に従順することが、すべてなら、あの助産婦がしたとおりに、神様に従順したいと思う。

Board Menu

リスト

Page 1 / 55
Status 番号 タイトル 投稿者 日付 閲覧数
  1094

예수 동행(イエス 同行)

멀티선교팀 2024-03-23 11
  1093

십계명 동행(十戒 同行)

멀티선교팀 2024-03-16 54
  1092

성령의 인도하심을 따라 살라( 聖霊の導きに従いなさい)

멀티선교팀 2024-03-10 69
  1091

말 동행(言葉 同行)

멀티선교팀 2024-03-03 39
  1090

보혈 동행(血潮 同行)

멀티선교팀 2024-02-25 25
  1089

능력동행(能力同行)

멀티선교팀 2024-02-18 20
  1088

보는 동행(見る同行)

멀티선교팀 2024-02-11 17
  1087

일상 동행(日常同行)

멀티선교팀 2024-02-04 7
  1086

가나안 동행( カナン同行)

멀티선교팀 2024-01-28 16
  1085

예수님과 동행(イエス様と同行)

멀티선교팀 2024-01-21 32
  1084

그리스도와 동행(キリストと同行)

멀티선교팀 2024-01-14 27
  1083

기적과 동행(奇跡と同行)

멀티선교팀 2024-01-07 18
  1082

천국 동행(天国 同行)

멀티선교팀 2023-12-31 21
  1081

그리스도와 동행(キリストと同行)

멀티선교팀 2023-12-24 24
  1080

데살로니가교회와 동행(テサロニケ教会と同行)

멀티선교팀 2023-12-17 41
  1079

잠언과 동행(종합)[箴言と同行(総合)]

멀티선교팀 2023-12-10 28
  1078

잠언과 동행(3)[箴言と同行(3)]

멀티선교팀 2023-12-02 36
  1077

잠언과 동행(2)[箴言と同行(2)]

멀티선교팀 2023-11-26 28
  1076

잠언과 동행(1)[箴言と同行(1)]

멀티선교팀 2023-11-19 34
  1075

양약과 동행(癒しと同行)

멀티선교팀 2023-11-12 30

   

sketchbook5, 스케치북5

sketchbook5, 스케치북5

나눔글꼴 설치 안내


이 PC에는 나눔글꼴이 설치되어 있지 않습니다.

이 사이트를 나눔글꼴로 보기 위해서는
나눔글꼴을 설치해야 합니다.

설치 취소