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중앙영광교회

人生の目的を探って

이용규목사, 2007-11-06 22:44:51

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「人生の目的を探って」

御言葉//ローマ11:36

1.        私はなぜこの世に存在するか?
「あなたはなぜ生きていますか?」「あなたの人生の目的は何ですか?」
この質問にあなたは何だと答えるか。まだ考えたことがないのか。「生活することだけでも忙しいのに、そんなことを考える時間がどこにありますか?」と問い返したいか。
しかし、これは決してぜいたくな質問ではない。人生の最も基本的な質問であり、必須的な質問である。これは、人生の出発点の質問である。この質問に対するあなたの答えが、あなたの人生の方向と目的地を決定するからだ。
船を運転することで精一杯で、目的地を考えないということがありうるか。
いかに忙しくても、目的地はいつも点検しなければならない。そうでない船は、熱心はあるものの、むそろその熱心が時間と燃料の浪費になるだけである。
このように、目的なしでさまよう人生がいかに多いだろうか。
私たちは、これから40日間、この目的を探って御言葉の旅に出る。毎週の日曜礼拝とスモールグループでの分かち合い、そして毎日「人生を導く5つの目的」の本を読んで、毎日「目的の日記」をつけながら。
では、なぜ、とりわけ40日間もしなければならないだろうか。
聖書を見ると、神様は誰かを変化させようとする時はいつも、40日という期間を多く費やされた。モーセはシナイ山で過ごした40日で変えられ、ニネベは40日の悔い改めを通して滅びの危機から再び救われる変化を体験し、イエス様は40日の荒れ野の断食を通して、神様の息子として力を受けられ、弟子たちはイエス様の復活後、40日間主イエスと過ごしたことによって、復活の信仰の主人公として変えられた。40日は霊的な変化にとても重要な期間である。
40日は変化の期間である。40日さえうまく通過すれば、変化の力があなたにも訪れる。
これからの40日があなたの人生を必ず変えられる。必ず!!!必ず!!!
私たちが80年を生きるとしたら、平均29200日を生きる。この中でわずか40日を、神様が私たちの人生を通して何をするように願っておられるのかを探ってみることが、果たして惜しいことか。違う。これよりもっと時間を賢く使う方法は他にないだろう。
献身なしでは実りもない。外で見物だけするのではなく飛び込まなければならない。この40日に果敢に身を投じなければならない。40日に自分のすべてを集中してみよう。40日に完全に献身してみよう。 
そして、変化した自分の姿を想像してみよう。いかに素晴らしいことだろうか。
「主よ!私も40日の証人になりたいです。40日を神様の御手に委ねます。私の魂を主の御手に委ねます。私の未来を主の御手に委ねます。主の作品になりますように。 必ず!!!」

2.        人生の目的をどこで見つけることができるか?
世の中にあるすべてのものは、その目的がある。動物も、植物も、石も、それだけでなく、バクテリアもその目的がある。目的なしで造られたものは一つもない。
「主はすべての物をおのおのその用のために造られた。」(箴言16:4、口語訳)
人が何かを作るときにも必ず目的があって作る。カップはカップの目的があり、マイクはマイクの目的があり、椅子は椅子の目的がある。存在するすべてのものには必ず目的がある。では、人生には目的がないのか。神様が目的なしに人生を作られただろうか。人が作ったつまらない椅子にも目的があるのに、神様が御自分にかたどって創造された、宇宙の最高の傑作品である人間に目的がないということは、話にならない。
人生は必ずその目的がある。神様は目的があって人間をこういうふうに造られた。ただ、神様は人間を本当にうまく造られ(?)、人間は自分の頭で自分のために、自分の栄光のために生きようとする、偽の目的にだまされ、真の目的を避けている。
私たちは、人間の本来の目的を回復しなければならない。そうすると、人間らしい人生を生きることができ、最高の人生を過ごすことができる。さ、一度想像してみよう。高い万年筆を持って、地面を掘って山菜を掘り出すために使うことを考えてみよう。いかに愚かなことか。万年筆はすぐ壊れてしまうだろう。万年筆は自分の価値を全然発揮できなくなる。
万年筆は万年筆の目的に合わせて、立派な作家の手に持たれて作品を書く時に、完全にその真価を発揮するようになる。
今あなたの人生はどうか。全能なる神様の御手につかまえているか。目的に合わせてきちんと使われているか。あるいは、地面を掘りながら、その大事な人生を壊しているのではないか。
すべてのものは、その目的に合わせて使われる時こそ、その真価を発揮し、最高の価値が与えられるのである。
では、人生の目的はどうすれば分かるのだろうか。
自分の健全な考えによって作られるか?あるいは、世のいい本を通して学ばれるものか?絶対そうではない。人生は、ただそれを作られたお方に伺わなければならない。発明品の目的を知る一番簡単な方法は、それを作った人に聞くか、使用説明書を見ることである。発明品自分が、自分の目的を考え出すということはありえない。
私たちの人生の目的は、私たちを造られた方の御手にある。そのお方は誰か?「すべてのものは、神から出て、」(ローマ11:36)  、「万物は御子によって、御子のために造られました。」(コロサイ1:16) 私たちの人生を造られたお方は、神様である。そのため、私たちの人生の目的は、神様の御手にある。
人生の目的は、自分の手にあるのではなく、神様の御手にある。
人生の目的は、自分が作るのではなく、神様が与えてくださったものである。
人生の目的は、自分のためではなく、神様のためである。(コロサイ1:16) 
自分が作ったものや自分のためのものは、偽の目的である。
人生の真の目的は、神様が与えられ、神様のためである。
神様は、人生の説明書である聖書を通して、人生の目的を正確に語っておられる。

3.        神様は5つの目的によって「私」を造られた。
神様は神様ご自分のためにあなたを造られた。(コロサイ1:16) 
もっと具体的にいうと、神様はあなたを造られる時に、5つの目的によって造られた。
今日はそれを簡単に紹介し、これから40日間具体的に悟っていきたい。

1)        私は神様の喜びのために造られた。
 ホセア6:6を見ると、神様はいけにえより愛をもっと喜ばれ、焼き尽くす献げ物より神様を知ることをもっと喜ばれるとおっしゃった。私たちが神様の喜びになるためには、神様の愛をもっと知り、神様をもっと愛することに力を入れなければならない。人生で必ず知っておくことは、神様があなたを驚くほど愛しておられることである。そして、その愛を再び神様にかえすことが、人生の一番目の目的である。一日をいかに豊かに生きたとしても、神様をもっと知らずに、神様をもっと愛せなかったら、あなたのその一日は無駄で使った一日に過ぎない。なぜならば、目的通りに生きなかったからである。逆に、たとえ一日の仕事がうまくできなくて大変だったとしても、神様をもっと知ってもっと愛したのでならば、あなたのその一日は成功した一日に違いない。
目的を達成したからである。
「神様!今日の一日も神様をもっと考えて、もっと知って、もっと愛したいです。」

2)        私は神様の家族として生まれた。
神様はあなたを神様の家族として造られた。一国の王の家族でなく、万王の王である神様の家族として。あなたは、すなわち神の息子であり、神の娘である。そうであるから、劣等感から開放されてほしい。イエス様もあなたをご自分の真の兄弟と呼ぶことを恥としないとおっしゃった。(ヘブライ2:11) しかし、なおさらあなたが自分の人生を恥としていいか。自分の価値を疑わないでほしい。あなたこそ、最高の家門の出身である。神様から生まれた人である。
そして、神様の他の家族を愛しなさい。彼らも神様の子どもであるためである。
神様の家族として高き自尊感を持って生きることが、人生の目的である。

2)        私はキリストのようになるために造られた。
子どもを産んだけれど、子どもが10年たってもまったく成長しないと、親の心はどうだろうか。
神様はあなたがイエス様のようになるまで成長することを望まれる。イエス様の品性、価値観、信仰に似るように。神様は私たちが「何をするか?」より、「どのような人か?」にもっと関心を持っておられる。つまり、DOINGより BEINGにもっと関心があるということだ。そのため、神様は様々な方法を使って私たちを成長させる。成長は訓練を通して起こる。訓練は大変である。たくさん忍耐することが必要である。神様はあなたを成長させるために、「苦難(問題)」という道具をよく使われる。しかし、私たちはこういう愚かな質問をする。「神様、なぜこのようなことがどうして私に起こらなければならないですか?私の家庭に、私の教会に起こりますか?」神様の答えはこうである。「あなたをイエスのようになさせるためだよ。もう少しがまんしな。」
一般人が使う器は火の中で1-2回程度だけ入れて作るが、青瓦台(チョンワデ、せいがだい)で使う器は5回以上入れるそうだ。なぜ?嫌いだから5回も入れるのか?違う。特に愛しているから、特別なところで使うためである。神様が与えられる苦難は、そのお方の愛の特別な表現である。私たちの人生は毎日イエス様を見上げながら成長しなければならない。

4)        私は神様に仕えるために今の姿で造られた。
4番目と5番目の目的は、人生の目的の花であり、実りである。すべての信者は使役者である。(エフェソ2:10)
自分の才能を他の人のために使うようにと、神様は各自に違う才能を与えてくださった。互いに違うことが力で、祝福である。ステーキを食べるのに、フォークだけ2個出たら、1個は要らなくなる。互いに全然違うフォークとナイフが出る時こそ、完全に食事をすることができる。神様は人を互いに異なるように創造なさった。なぜ?互いに仕える時、完全を成し遂げるため。
人生はパズルのようである。全然違うかけらを(模様、絵)を合わせることによって、作品が完成されるからである。私たちの人生は、他人を通してだけ完全になる。よって、互いに必ず仕えなければならない。仕えを通してだけ、人生のパズルは完成される。

5)        私は神様の使命のために造られた。
神様が願われるのは、失われた子どもを捜すことである。(使20:24)
道であり、真理であり、命であるイエス様を他の人に述べ伝えることは、人類最高のプレゼントである。神様はすべての人が グットニュース(福音)を聞くことを願っておられる。このことに、私たちが道具になることを願っておられる。あなたが天国に行って、誰かが「あなたのお陰で私が天国に来ました。ありがとうございます。」というと、これより生きがいのあることがどこにあるのか。これより興奮することがどこにあるのか。私たちがこの世で楽に生きることより、一人でも多く天国に行かせることがもっと大事なことである。「あなたは地獄に行ってもいいです。」という人は一人もいない。特に、愛している家族ならもっとそうだろう。絶対地獄に行ってはいけない。
‘REACH ONE MORE FOR JESUS!’ (イエス様のためにもう一人救いなさい)
今もこの声があなたの魂に聞こえるか!では、あなたの魂は生きている。

人生の目的は選択事項ではなく、あなたの存在理由、そのものである。
神様からいただいた恵みを無駄にしてはいけない。(コリント二 6:1)
「私の残りの生涯を目的のために献身します。後悔のない人生を生きることを決断します。主よ!この40日間私をお使いになってください!」

8 コメント

田辺高幸

2007-11-07 08:26:58

40日礼拝。去年もやってたな、と思いつつ今年もやって来た。1年の早さに驚く。そういえば洗礼受けたのはこの頃だったかな?人に勧められて受けたのだが、たくさんプレゼントを貰い、励ましの言葉を頂き、祝福された。そんな凄いことなの?と驚いていたことがつい最近のようである。
洗礼後に初めて来た40日礼拝。前は他人事だっただけど、現在受けることはないだろうと思っていた弟子訓練(言語の問題で受けれないと思っていたし、当時は日本人のものがなかった)を劣等生ながら受けている(なんせテスト24点の男だけに。再テストがあるんでいい点とれるようにしたい。だから勉強しております)ので無関係ではない。正直言って今回の40日間で自分に何が起こるか、それは分からない。神様だけが知っているんだろう。
世の中にあるすべてのものには、その目的がある。礼拝のとき牧師様(ヨン様)が言われたボールペンには書く目的で作られたというように、確かにものには目的があって初めて存在している。だからその論理からいけば人間も一人一人目的があるのだろう。
今年で37歳になったから、少しは落ち着いたが、昔は非常にフラフラした人間であった。何故そうだったのか。実は目的が分からなくさまよっていた。いろんなことをたくさんした。目的が欲しくてたくさんのことを抱えた。これが俺のやりたいことだとか、これはやらなければならないことだとか(今考えれば、作家の村上春樹の言葉ではないが、若い時は多くの経験することが大切なのであって、これを必ずやらなければならないなんてことはないのだが)何が欲しいか分からないからたくさんのことをしようなんて、いろんな荷物を背負った。その結果、全てが中途半端に終わった。続いたことは、絵を描くことぐらいだった。
今回の40日は目的を探す旅だという。今だって目的らしいものを答えろと言われると、答えられない。こんな自分が何がこの期間中に起こるのか。目的探しに苦労して、結果、何も出来なかっただけに、これが目的を見つけられるいい機会になるかも知れない。神様がそれを教えるために下さった日々、そう思うことにしている。聖書で40日間はかなり出てくる期間であるから、意味があるに違いない。まだ今の自分には何故40日間を重要な期間に神様がお決めたのかはその理由は分からないのだけれど。
神様は僕らを造られた。それは間違いがない。その目的は何なのか。礼拝で牧師様は5つの目的をおっしゃった。1.神様の喜びで作られた。2.神様の家族として生まれた。3.キリストのようになるために造られた。4.神様に仕えるために今の姿で造られた。そして最後は5.神様の使命のために造られた。これを聞いて感激したが、言葉を聞いてそうなっただけで体いっぱいで感じてはいない。それが40日が過ぎて、本当の意味で理解出来るようになりたいなと思う。目的探しで全て中途半端に終わった自分だけにそう思う。

安間チョウコ

2007-11-07 17:34:39

私たちはなぜ此処に存在しているか?

この一番大切な疑問をいつから人は忘れて生きるようになったか?
まだ科学が発達していないノアの時代の頃、人は神との共同作業をしながら生きなければ、生きていくことが難しく、神に信頼し、神にお祈りし、大切な決断を神におゆだねし、収穫したものは神の祭壇にささげて、神が下さったことに感謝し、分け前をいただいて生きていたと思う。
昔教会は子供たちの学校でもあり、基本的に、神の知恵や秩序について学び、人はどのように生きなければならないかを学んできたと思う。
現代、学校が宗教と切り離され、科学の発達により機械の操作法や、職業専門の学びに忙しくなり、神の存在も知らず、自分の存在に疑問も抱かず生きている人が多くなっていると思う。
私達はあるひとは60歳、あるひとは100歳という有限の時間を、地球に生きるはかない存在と自覚し、神の永遠性をわかって神と共に生きるのと、神を知らず科学や情報や社会知識に幻惑されながら、自我を放棄せず、自我の絶対性を主張しながら生きるものとでは、違いがあると思う。
どのような違いだろうか?まやかしの宗教でなく、神の知恵にあふれている宗教であれば、従順や忍耐の意味が、人間社会の従順や忍耐と全然違うと思う。(人間が親になった時気付く忍耐などの意味だけでなく)それは死の自覚と神の永遠の前で神を賛美する信徒なら、世を渡る作戦としてどんなに毒づいた仮面を二重にも三重にもかぶっていても神の清らかさを保つために、信徒の自覚ができているものは、此の世との戦いのためには人よりも何倍もの忍耐と従順に生きなければならない。
キリスト教信徒として生きるためには、何という茨の道を神は強いるのかと思う。このような茨の道を誰が好んで通りたいと思うだろうか?しかし神と調和して生きることを許されるキリスト教信者であれば、茨の道、その道を歩んでいくしか方法はないのだとわかった。
誰も死は怖い、しかしキリスト信徒であれば死をいつも身に負いながら生きる者、死(死人を見た人は知っていると思うが、肉体の死臭、物体化して動かなくなった死人、そこからは生命体の終焉、敗北がみえるだけだ。しかしもうすでにそのとき魂はイエス様のみもとに帰っているのだ))を乗り越え、神の霊と永遠に結ばれることを確信して生きるものだから、その訓練や修業をしながら生きる信徒者達だから、一人一人が本当に尊い存在なのだ。
神、キリスト教の有限性の信仰はこれほど厳しいものとは思わなかったが、またそれだけやりがいのある道でもある。人間が最善、最高に生きるためにはこの道、この信仰という思いがある。

中森千草

2007-11-08 05:28:03

どうして私は生まれてきたのだろう? 生まれてくる意味があったのかなぁ~と、よく考えたりしたことがありました。  それは、世の中に流されて生きており、確かな生きる目的がなかったからです。  今でも、私は何に向かっているのだろう、何に向かって進むべきかを、思い出したかのように考えるときがあり、神様が私を造られた目的が分からないから、よく通行止めにあいます。  これから始まる40日の旅は、私にとって長く感じるか、短く感じるかは分かりませんが、挑戦したいという気持ちでいっぱいです。  神様が私にご計画された人生の目的を知るために、神様に献身して、挑みたいと思います。

나미키 토모지

2007-11-08 08:12:52

毎日の生活を送りながら「どうして生きなければならないの?」と思うときが多いです。人間として生きているからつらいこと、悲しいことを経験するのではないか?いっそのこと人間であることを辞めてしまえば全てが終わる、となんて考えることもあります。(もちろん楽しいこと、うれしいことも同時に経験することもできなくなりますが…)子供の頃からの生活を断片的にではあるが振り返ってみると、Totalに見て負の部分が多かったように思います。教会生活を送りながら、神は人間を造った、ということを認識すると、「神は私をこんな目に遭わせるために作ったのかな?」って考えたこともあります。

牧師先生がおっしゃった言葉「Ballpoint-penにはBallpoint-penの役割がある」のように、Ballpoint-penはそれにあった役割を行えば良いのに、他の役割を果たそうとすると上手くいきません。同じように今までの私も自分の役割を行えば良いのに、
正しく行わなかったのか、またはあえて他の役割を行おうとしたから今の私があるのかな?って言えると思います。

だけど「神はご自身を喜ばせるために人間を造った」、ということをみると、こんな私にも神はチャンスを下さったのかな?と少し嬉しい気持ちを覚えるようにもなりました。
40日間が始まりますが、私にとってはこの期間だけでなく、いつでも自分が生きて何をすることができるかを意識して探してみたいと思います。

木下 

2007-11-09 05:56:44

人生の取扱い説明書は、聖書であることを信じます。聖書を通して、人生の目的を知ることができることに感謝します。人生の目的を知らずに、生きている人はたくさんいると思います。わたしもその一人でした。「人生の目的は私が選択事項ではなく、私の存在そのものである」という言葉が心に響きました。私は神様の作品であり、私は目的を持って存在しているということを改めて感じました。私は、神様の御心に従って十分に神様が喜ばれる存在として生きているのでしょうか。神様のみがご存知のことでしょう。

津田浩史

2007-11-09 08:58:57

「神様が目的を持って自分をお作りになった」ことは、本当にすごい言葉です。しかも「神の息子であり、娘である」のですから。
 今自分が毎日の生活の中で自分の目的を考えてみると、どうしても家族の生活や、そのための収入増を考えてしまいます。(資格取得や勉強の目的も、突き詰めればこれが目的だと思います。)また、世間一般で言われている人生の目的も、似たようなものに見えます。せいぜい良くて「自己啓発」「教養」といった類のものでしょうか。
 しかし、何度も聖書と説教や読本で言われているように、神様の真の目的はそのレベルではないのですね。今まで教えを受けたときは「ああそうだ」と思うのですが、しばらくたつと毎日の生活に埋没してしまっていました。(振り返るたびに「種を蒔く人」のたとえを思い出します。)
 神様の目的を自分が誤らず実行できるように、訓練に励みたいと思います。

古郡武志

2007-11-09 09:10:48

1.「あなたはなぜ生きていますか?」「あなたの人生の目的は何ですか?」
  短い質問ではあるが、このあまりに基本的な質問を何故かちゃんと考えて来なかったのだ?うすうす考えなくちゃいけないとは思いながらも、そのあまりに難しい質問は、目の前の試験、バイト、仕事をこなしていくうちに後回しになっていたのであろう。
  私なりにもいろいろ考えてきた。一杯勉強して人に役立つ仕事をするために生きているのだ、はたまた一杯稼げる仕事をして、立派な家に住み、きれいな妻をもらい、おいしいものを食べて、のんびりと満ち足りた日々を過ごす、それを目指すために僕は頑張るのだ・・・う~ん。何だか違うのだ・・・後付けで無理やり作った目的のような感じがするのです。今だに答えられた実感のないこの問いに答えを探すための40日の旅に期待し、頑張りたいと思います。
2.「主はそのすべての物をおのおのその用のためにつくられた。」
 物は目的に従って用いられたときにその真価を発揮するとの言葉が響きました。日頃だめな自分に気が沈むことが多いのですが、私はまだまだ真価が発揮されていないということを信じます。「古郡武志」という人間の真価を100%発揮したいです。そのためにも、人生の説明書である聖書を心を込めて読んで、自分の真価が発揮される目的を把握できるように頑張っていきたいと思います。
3.私はキリストのようになるために造られた。
  私は、教会に通うになってから2年ぐらいになりますが、やはり信仰の道を貫くのは平坦な道ではないなと感じる場面が増えてきたように思います。
  でも、神様は、私をイエスのように成長させるために苦難を与えてくれている、私を愛して下さるからこそ、苦難を与えて下さる。それを知れば、苦難を乗り越える力も与えられるのだと思います。苦難の中でも、神様に感謝しながら強く歩むことのできる人間になりたいと思います。

藤田弘量

2007-11-10 11:01:31

人生の目的について、改めて考える機会を与えていただき感謝しています。

高校を卒業し、社会に出る時、私は明確な人生の目的を定めました。

一生、常に最精鋭でありたい。
一生懸命仕事に励み、社会に貢献したい。
そして、素敵な人と結婚し、幸福な家庭を持ちたい。
目的に向かって我武者羅にがんばりました。
社会に貢献する機会を次々に与えてもらいました。

しかし、幸福な家庭を持つことには失敗しました。

なぜ生まれてきたのか?
どうして生きていくのか?
どこで過ちを犯したのか?

真っ暗闇の中を手探りでさまよい歩いている時、神様と出会いました。
人生の目的を失った時、神様が人生の目的が書いてある聖書を与えてくてました。

これから始まる40日間を通して、イエス様の証人に成長したいと、お祈りしています。

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