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중앙영광교회

4番目の従順

이용규목사, 2007-10-02 01:25:26

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「4番目の従順」

御言葉//創世記8章 20-22

先週、ノアを通して従順の4段階の中、3段階まで探ってみた。
「造る」従順、そして「入る」従順、「出る」従順、どれひとつとっても大事ではない従順はない。今日は、「従順の花」ともいえる4番目の従順について探ってみよう。
4番目の従順について話す前に、従順に関して念押しをする時間をまず持ちたいと思う。

1.        右にも左にもそれてはならない
「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」(ヨシュア1:7)
神様の御言葉に従順しながら生きることは、そんなに簡単なことではない。世の中の強力な誘惑の力が、瞬く間にも私たちを従順の道から下ろそうとしているからである。そのため、神様はモーセが死んだ後、後継者のヨシュアを直接お呼びになり、従順の道を歩むためには、ただ心を強く、大いに雄々しくしなければならないとしながら、何より心を強くすることを言われた。従順の道が決して簡単ではないということが分かる。従順の道を歩みたいか。冗談でしないように。心を大いに雄々しくあって、強く決断しなければならない。
約2週間前に富士山付近へ家族旅行を行った。本当に久しぶりに行く家族旅行だったので、遠足に行く小学生のようにわくわくした胸で出発した。しかし、高速道路の入り口から問題が起こった。ナビ(ナビゲーション)に目的地を設定していたが、「道を間違っていますので、早く下りてください。」というのである。最初はそれを無視したが、高速道路の出口が出るたびに、ずっと出なさいという案内が出た。私の経験上にはこの道にあっているのに、ナビはしつこく早く出なければならないといった。どんどん心が不安になってきた。「あなたは今違う道に行っています。早く下りてくださいよ。そうじゃないと大変ですよ。」ナビの誘惑が冗談ではなかった。道も見知らないように見えた。自分がまるで何かに惑わされているような感じだった。「ナビが正しくて、私が間違っているかも。我を張らないで、下りてみようか?」
不安、焦り、疑い、緊張、かんしゃく、ストレス…あらゆる否定的な感情が入ってきた。「もし、私たち今高速道路を反対側に走っているんじゃないんですか?」この言葉に、そばに乗っていた妻は、「いいえ、あなた正しく行ってますよ。この方向に間違いありませんわ。」といった。そのとき、私にはその言葉がいかに力になったか分からない。それで、私は一安心し、ナビをてんで消して、代わりにお祈りをしながら走った。もちろん、無事に目的地によく着いた。途中でナビの話だけ聞いて下りたら、いかに苦労したんだろうと、思うだけでぞっとする。もし、妻が「そうですね。あなた今逆に行っているみたいです。」といったら、私は反対側に行ってしまったかもしれないし、私たちの運命(?)は変わったかもしれない。誰か不安になったとき、そばにいる人の一言がいかに大事だろうか。運命を左右するほど重要である。いつも否定的な言葉ではなく、肯定的な言葉で、絶望の言葉ではなく、望みの言葉で、憎しみの言葉ではなく、愛の言葉で、疑いの言葉ではなく、信仰の言葉で祝福しなければならない使命を持っている。そのため、神様がわざとその人のそばに座らせたのである。
「あなたはできますよ。あなたの後ろにはあなたを助けてくださる神様がいらっしゃいますから。」
否定的な助言は疑いと失敗を増すが、肯定的な助言は信仰と成功を増す。
悪魔は今も休まず、私たちを誘惑している。
私たちは「天国行き高速道路」をちゃんと走っているのに、「その道に行ってはいけない。早く下りなさい。」とずっと誘惑している。それも、科学的な根拠が確実な最先端の装備(ナビ)で。そのときは、あなたを誘惑する「ナビ」を消すが良い。そして、お祈りしながら信仰の道を続けて走りなさい。天国の目的地が必ずあなたを歓迎してくれるだろう。信仰の高速道路から途中で下りないでほしい。そのときから人生は惑われ、さまよい、行く道を失うことになる。左にも右にもそれてはならない。そうすれば、どこに行っても成功するだろう。
御言葉の道があなたの人生の道になるようにしなさい。その道だけが人生の正しこだからである。御言葉の道は、ただ従順する者だけが歩ける道である。お金がなくても、健康がなくても、名誉がなくても、学閥がなくても、ハンサムではなくても関係ない。ただ従順さえあれば、「御言葉の道」はあなたのものになる。ノアのように!!!

2.        私の人生のパイロットは?
アメリカのウィートン大学(Wheaton College)内に、ビリーグラハムセンター(Billy Graham Center)の建物がある。そこには、いろいろな聖画がかけられてあるが、私に一番大きな感動を与えた聖画が一つある。それは、「私たちのパイロット、キリスト」というタイトルの聖画である。雷と稲妻が走る荒波の海に船が1隻あるが、船を運転する人の顔には恐れ、不安、焦り、心配の姿がまったくない。なぜだろうか。彼の後ろに、左手を彼の肩に置いて、右手で行く道を教えているイエス様がおられるからである。そのため、彼の顔はとても平和である。イエス様が自分の人生の船を必ず安全に導いてくださるから、むしろその大きい波の危険が彼には立派な波乗りの思い出を残してくださるだろう。
波がいかに大きいか?はまったく大切ではない。イエス様の御前では、大きい波であれ、小さい波であれ、似たりよったりである。問題は、イエス様の御言葉(指示)に従順するか?不従順するか?である。
自分が御言葉の前に従順すると、波は自分の前に従順するのが自然の理致であり、神様の法則である。
あなたの人生の船を一度点検してみよう。
あなたの人生の船は、果たして誰がパイロットか。あなた自身か。イエス様か。
この質問に対する答えが、あなたの人生を決めてくれるだろう。
悪魔が一番妨げるのは、御言葉に従順できないようにさせることだということを心にとめておこう。

3.       4番目の従順
では、ノアの4番目の従順について語ろう。
前の3つの従順は、すべてが神様がまず命じられた。神様が「しなさい」といわれて、しただけに過ぎない。しかし、4番目の従順は違う。ここには神様の命令がまったくない。ノアが神様の心を知って、神様を喜ばせるために、自ら自発的にささげた。これは、実に「無命令の従順」である。「神様がおっしゃると」「神様が命じられると」そこからするのではなく、「神様がおっしゃらなくても」「神様が命じられなくても」気づいて予め従順することである。
命令するときに従順することと、命令しなくても予め従順することの中で、どちらのほうがもっと大事だろうか。どちらのほうがもっと神様を感動させるか。当然、無命令の従順である。させるときにするほうもいいが、させなくても自らするほうがいかにかわいらしいか。
ノアは神様がさせなかったのに、船から下りるなりに、一番清ぱ物と鳥で神様に焼き尽くす献げ物をささげた。それこそ自ら自発的に礼拝をささげたのである。神様が一番喜ばれることが何か知っているか。礼拝である。
では、礼拝の中で最高の礼拝はどんな礼拝か。自発的な礼拝である。
神様は自発的にささげることを一番喜ばれる。
今も神様はこのような自発者を探しておられる。
無理強い礼拝助ではなく、自発的な礼拝者を、
無理強い奉仕助ではなく、自発的な奉仕者を、
無理強い訓練助ではなく、自発的な訓練生を、
無理強い伝道助ではなく、自発的な伝道社を…
「不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(コリント第二9:7)
神様がノアの焼き尽くす献げ物を受け取って、いかに喜んだのか。その反応を見ればよく分かる。「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた…」(創8:21)
神様はノアの焼き尽くす献げ物を受け取って本当に感動なさり、すぐ次のように決心なさる。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。その代わりに、最後まで守って祝福する。」(21)それで、「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない。」(22)といわれた。
これがいかに祝福されたことか!
種蒔きと刈り入れの祝福を考えてみよう。種を一生懸命蒔いておいたが、日照りで雨が全然降らないと考えてみよう。本当に恐ろしいことであろう。秋が来ても、まったく実を得ることができない。実を得る事は、神様が天気と環境の祝福をくださらなければできない。なので、種蒔きと刈り入れの祝福がやむことがないということがいかに大きいな祝福か分からないだろう。昼と夜の祝福はどうだろう。ノアのときは40日間雨だけ降っても地球が滅びたのに、今もし昼がなくなり、夜だけ40日間続くと考えてみよう。ガソリン代は暴騰し、泥棒は暴れ、何より植物は皆死んでしまい(日がないから)…それこそ、暗黒天地に変わってしまうだろう。世はすぐ滅亡すると思う。昼と夜をやまないでくださったのは、人類に与えられた祝福の中の祝福である。この恵みを悟らなければならない。
神様がこの大事な祝福をなぜ与えられたか。
何が神様の心をそんなに感動させたか。
焼き尽くす献げ物でささげられたいけにえのためか?違う。ノアのためである。
焼き尽くす献げ物の香ばしいにおいに酔われたか?絶対違う。ノアの自発的な心に酔われたのである。
神様を感動させるのは、「何(what)」ではなく、「いつ(when)」である。
ある仕事を子どもにさせた場合、3回でやっとした子どもと、させてすぐやる子ども、させる前に予めやっておいた子どもの中で、誰が両親の心を一番感動させる子どもか?当然、3番目の子どもだろう。仕事が違うのではない。同じ仕事をするのだが、ある子どもは両親を怒らせるが、ある子どもは両親を満足させる。何がこのような結果を出させたのか。 何(what)をやったのではなく、いつ(when)その仕事をやったのかである。
そのため、無命令の従順、つまり、自発的な従順は力がある。時間的に一番早い従順だからだ。従順に遅れないでほしい。いつも1等の従順を願いなさい。ノアは神様よりもっと早く焼き尽くす献げ物をささげた。ノアの焼き尽くす献げ物を現代語で言えば、「自発的な礼拝」と表現できる。ノアは予めささげ神様の喜びとなった。従順には時間が大切である。早ければ早いほど良い。あなたの従順の時間はどうか。亀の従順か。あるいは鷲の従順か。

7 コメント

安間チョウコ

2007-10-03 06:16:49

喜び自主的に礼拝する
毎日曜日毎に教会に行き、礼拝することも、毎日聖書を読み祈ることも、強制されてすることでなく、神が支配される秩序の世界を心から信じているから喜んでしている。信仰は本来そのようなものと思う。
今사역자훈련책「당신의,헌신이,벽에,부딪힐 때」を読んでいるが、15ページに더 많은 시련,환난,유혹,문제들을 만나면 하나님의 성품에 대해 의심하기 시작한다.바로 여기가 우리가 벽에 부딪히는 시점이다.と書いてある。喜んでしている信仰生活が重荷や負担になる時が怖い。真心をもってしていたことが、ある日突然、真心からする気持ちがなくなってしまうとしたら、私も弱いから死ぬ時にイエス様と言いながら死ぬか、死ぬまでは分らない事だ。
しかしイエス様は此の世の平和を強く願っておられた、だから私はイエス様に信頼して、平和のために何が出来るかわからないがイエス様に従って歩んで生きたいと思う。

中森千草

2007-10-03 06:55:51

ノアの行った4番目の従順は、神様の御心をよく知った上での行動で、ノアの悟る力と、愛の深さにとても感動しました。                                        神様は、恵みを与えてくださる為に、私たちのactionを待っておられるとも考えました。      世の中の誘惑と、とても仲良くしていた私にとって、従順、忍耐の道を歩くのは簡単ではないです。でも、ノアというすばらしい人と出会った今、何か自分が変化する様な感じがしてます。   ノアのすばらしい信仰によって、私たちが存在しています。                      ノアに感謝します。    

田辺高幸

2007-10-03 08:05:24

天におられるお父さんは、何でも叶えてくれる。
だからいつも会話をしている。
そしていつも頂いている。

ノアはそれだけでは物足りず
生け贄を差し出し
従う気持ちを形にした。

これが僕が足りないもの。
頂いているからこそ
今後従いますと宣言しないといけない。

今感謝ノートを書いている
感謝することは数多い
これは天におられるお父さんが僕に与えてくれたものだ

だからこれをせめて自分が捧げる生け贄にしたいと思う。
形は拙いものかも知れない
でも僕はこれを書くことで
感謝を僕にいつもくれる天のお父さんへの感謝の生け贄として形にしよう
そんな気持ちでいっぱい

これが正しいかどうか分からないけど
それが今の出来ること
やりたいことです

木下 

2007-10-05 07:41:12

命令するときに従順することと、命令しなくても予め従順することの中で、どちらのほうがもっと大事だろうか。どちらのほうがもっと神様を感動させるか。当然、無命令の従順である。

命令が無くても予め従順すること...そのためには普段から命令をする指導者の考えを熟知していなければ的外れの行動をして失敗に終わってしまうと思います。また、心で思っていても行動が伴わないかもしれません。私の真の指導者はどなたでしょうか。目には見えないお方でありますが、実際に全てを支配しておられ、私たちを愛してくださり、祝福を豊かに与えてくださる人知を超えた存在である全智全能の神様です。私は、神様の御心を熟知しているのでしょうか。知っているつもりになっていないでしょうか。一生をかけて少しずつ御心を知っていく他に手段はないのでしょうか。人生の荒波に浮かぶ私たちの船の舵取りをして安全で正しく真の生命の道に導く、主イエス・キリストを私たちの救いのためにお与えになった偉大な神様に感謝を捧げます。

津田浩史

2007-10-05 08:48:08

 まずナビの話ですが、自分もよくナビと「闘う」ことがあるのですごく分かりました。
 自分が正しいとどれだけ信じていても、周りの人の否定/批判や心ない一言で惑わされて不安になり、その結果失敗してしまうということは、毎日の生活の中でも本当に多くあります。
 もちろん牧師先生のお話どおり、これは信仰の道を進む人にも言えることだと思います。自分の進む道が正しいのか分からなくなり、不安でたまらなくなってしまったとき、そんな自分を励まし支えてくれる人々には本当に感謝しますし、また自分も苦しむ人を励まし勇気付ける力を持つことができるよう、神様にお祈りしていきます。

「自発的な礼拝」と「大地への祝福」については、今回の説教で初めて本当の意味を知りました。
 この文章は両方ともほとんど一言で終わっているため、今まではさらりと読み流し、「ふうん」と思っていただけでした。しかし、「自発的な礼拝という最高の従順をノアが示し、その姿に心を動かされた神様が、今後は絶対にこの世界を守り祝福すると約束して下さった」ことが、この短い文にこめられていたのですね。
 前回も書きましたが、聖書の御言葉はどれも深い意味と教えに満ちています。これらを心から理解し、実践していくことができるよう、弟子訓練に参加していきます。よろしくお願いします。

古郡武志

2007-10-06 09:49:51

1.私たちは「天国行き高速道路」をちゃんと走っているのに、「その道に行ってはいけない早く下りなさい」とずっと誘惑している。
(1)生活の中には、「高速道路から下りなさい」との誘惑が多く、あまりにもその力は強いことを実感しています。これらのために
  ①心を傷つける宗教が多いからか、信仰を有する者に対する冷笑的態度
  ②快楽等に時間を使い、祈り・御言葉から離れてしまう性向
(2)信仰の道を続けて走れば、天国の門が歓迎してくれることを信じて、これらの誘惑に立ちむかいたいと思います。
2.パイロットは、イエス様か私自身か、その答えが人生を決めてくれるだろう。
(1)以前は自分自身と思っていましたが、どことなく不安があったのです。神さまと離れた自分がパイロットとである限り、死をもってすべてが終わるという限界を免れ得ないと思います。
(2)赦しと愛の力で死に打ち勝ったイエス様は、身をもって永遠の価値・永遠の生を示してくださいました。一時のはかなさと永遠の力、どちらをパイロットにすべきかは自明です。
(3)これからも様々な誘惑はあるでしょうが、イエス様をパイロットとして、天国への航路を歩んで生きたいと思います。
3.神様は自発的に捧げることを一番喜ばれる。
(1)耳の痛いことばであります。信仰に喜びを感じていても、以下のような感情に支配されている自分を見出すことができます。
①主日だから教会にいかなくちゃ・・・・
②当番だから奉仕をしなくち・・・
③宿題だから聖書を読まなくちゃ・・・・
④伝道用紙を配布しなくちゃ・・・・
(2)本来、喜びをもって自発的にすべきものであるのに、義務感と強制感を感じているのです。
これも誘惑作用の一形態でしょうか?ノアの自発が今の私たちに恵みをもたらしていることを認識し、祈りながらノアのように自発の従順ができるような人間に生まれ変わるように努力をしなければいけないのだと思います。
4.自発の従順は、本当に難しいことだと思います。様々な誘惑に打ち勝って自発の従順をするのか容易ならざることですが、みんなと一緒に祈って努力をして少しずつでも自分を変えたいです。

藤田弘量

2007-10-10 08:00:56

自発的従順に感服いたしました。
造る従順、入る従順、待つ従順にも感激しましたが、自発的な従順はとっても質の高い従順に思えます。
いままでの従順によって恵みを受けたことに喜びと感謝の気持ちで従順することは、まさに喜びの従順といえましょう。
ノアにとって、4番目の従順は苦労や忍耐の気持ちはなく、喜んで捧げものを備え、感謝の礼拝を行ったと思います。

牧師先生のナビのお話に感銘をうけました。
人生のナビは聖書でありましょう。
私たちは天国へ続く高速道路を走っています。
しかし、私は本当に誘惑に弱い人間です。

自分に攻撃的な人に闘う姿勢を見せてしまったり・・・。
快楽的な誘惑に、つい目耳をむけてしまったり・・・。
堕落はてない俗世におぼれてしまいそうになったり・・・。
そんな自分を、いやになってしまったり・・・。

愛する主イエス様、私に強い信仰心を与えてください。

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