主を悲しませてはいないか?
水野源三さんは脳性麻痺で見ること、聞くこと以外は何もできませんでした。指も動かすことができなかったので、聖書を読むことさえ容易ではありませんでした。母が傍らでページをめくってくれてやっと本を読み取ることができました。もし、母がほかの思いに気を取られてしまうと繰り返し同じページを読むしかありませんでした。しかし、彼は出来る限り熱心に聖書を読みながら御言葉で慰めを得て力を与えられました。
【今年も毎朝】
今年も毎朝/ 母に聖書を/ 1ページ1ページめくってもらい/ 父なる御神からの/ 新しい力/ 新しい望/ 新しい喜びを受ける
【御言葉】
神様 今日も御言葉を下さい/ 一つだけで結構です/ 私の心は ちいさいですから/ 沢山いただいても/ 溢れてしまい もったいないので
水野源三さんはいつも御言葉を口ずさんだり、常に御言葉と歩む生活、主と同行する人生を過ごそうと、その魂が主において起きている人でした。それで、いつも自分を主の前で振り返る人生を過ごしました。
彼は主の前でこう告白しました。
【主を悲しませてはいないか】
あの時、あの人にとって
愛のない態度や言葉が
主を悲しませてはいないか
主を悲しませてはいないか
あの時、あの声に心を
動かした思いや願いが
主を悲しませてはいないか
主を悲しませてはいないか
あの時、あのことで胸を
おおった不安やつぶやきが
主を悲しませてはいないか
主を悲しませてはいないか
1 コメント
中森千草
2017-05-01 08:20:18
神様の御心を伺って生活する事。
なんて素晴らしいのだろう。
神様の微笑みが祝福という形になって、
数々の恵みが与えられるでしょう。