喜びの源
ちょっと前に、韓国の兄からSNSが来ました。 「我が家で宝くじ1等が出たよ」と言われました。驚いて最初は冗談、もしくは勘違いだと思いインターネットで検索をしてみると本当のことでした。どんな訳かと言いますと、
約2ヶ月前から田舎にある実家で宝くじを販売するようになりました。母が腰が悪くなり、障害者認定を受けましたがその認定を受けた方に限り申請すれば、抽選で宝くじの販売が可能だそうです。 販売店と申請をしたところ、偶然にも選ばれ宝くじを売るようになったのですが販売し初めて間もない田舎の小店舗であるにも関わらず、あの店で宝くじを買ったお客さんが1等に当たったそうです。それで生まれて初めて私の実家の住所と地図がインターネットにまで載っていたという訳です。そのニュースを聞いて両親だけではなく家族皆が喜びました。自分のうちの宝くじが当てられたのではなく、実家の店で1等の宝くじが出ただけでもきっと嬉しかったでしょう。その事を思い出すだけで笑いが絶えません。人は何かを受けると嬉しくなりさらに幸せになります。プレゼントを受けても、褒められても、愛されても喜びます。もちろん、予想外のお金が入っても喜びます。しかし、この喜びは極めて限定的です。その瞬間には喜びのホルモンが分泌されますが時間が経つとともに、もはや喜びません。地上のものは私たちに一瞬の嬉しさを刺激するだけです。ところが、永遠に喜べるものがあります。しかし、この地上ではこのようなことはありません。被造物は被造物を永遠に喜ばせることができませんし、全能の神様のみが出来ることです。神様が私たちに永遠をくだされば私たちは永遠に喜ぶしかありません。ところが、驚くべき事実は神様は本当にこの贈り物をくださったとの事実です。まさに福たる便りです。それで福音と呼ばれた訳です。
福音を受けた人は、永遠の命を贈り物として受け取った人です。
福音を受けた人は、天国を贈り物として受け取った人です。
福音を受けた人は、神の子どもの権威を贈り物として受け取った人です。
福音を受けた人は、救いをプレゼントされたものです。
福音を受けた人は、土器に宝を贈り物として受け取った人です。
福音を受けた人は、知恵と知識のすべての宝を贈り物として受け取った人です。
福音を受けた人は、天国と神様のすべてのものを贈り物として受け取った人です。
福音を受けた人は、宝くじ1等とは比べられない素晴らしい贈り物を受けた人です。
だから福音を受けた人は、常に喜ぶ人になります。そんなこの驚異的なプレゼントを受けたにも関わらず常に喜べないというのは奇跡です。だから聖書は「主にあっていつも喜びなさい」と言っています。
クリスチャンは地上の人とは明らかに違います。闇と光が異なるのと同じです。
クリスチャンは福音の人です。だからクリスチャンは常に喜ぶしかありません。
信仰の人が地上と異なるべきものは喜びです。
私は本当に信仰があるか?私は本当に福音を受け入れたのか?
喜ぶ姿で、あなたに正確な答えが与えるられるでしょう。
1 コメント
中森千草
2016-05-22 16:32:36
直ぐに立ち直ることが出来ていたのは、
福音を受けていたから。
神様と共に生きる喜びを
噛みしめていきたい。