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중앙영광교회

神様だけに近く(4)

이용규목사, 2009-01-31 01:55:46

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神様だけに近く(4)

御言葉//詩篇 18:1-3

1. いつ、どこでも神様を意識しなさい。
'主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔。  '(詩篇 18:2-3)
この御言葉はダビデが賛美のために書いた詩ではなく、彼の人生をそのまま書いた、人生そのものである。彼はいつでもどこでも神様から離れなかった。神様を近付ける人生が命であり、神様を遠ざける人生が死であることをあまりにもよく分かっていたからだ。
ダビデにとって神様は、漠然たる存在ではなく、実際に彼の力だったし、能力だったし、救いだったし、盾だったし、砦の塔だった。それで彼は神様を常に愛したし、賛美したし、祈る人生を奪われなかった。(詩篇 18:3)
旧約時代に偉い人物たちが多かったが、神様を近付けた代表的で、具体的な人物はやっぱりダビデだ。ダビデは多様な人生の経験を通じて私たちに直接、どんなに神様を近付けたのかを見せてくれる。
ダビデも幾多の人生の危機に会った。普通の人々だったらもう倒れるのが当然だったが、彼は最後までよく勝利した。その大きい危機の中でダビデを守ってくれた力は何だろう?その度に彼は自分の力になった神様をもっと強く意識したからだ。人生で、大きい誘惑の台風に会った時に、神様を忘れてしまえばすぐ罪の誘惑に陷るようになる。しかし、ちょうどその時に神様を意識すれば、罪悪の力は私たちを倒すことができない。ダビデの唯一の失敗だった、バト・シェバを犯した事件も、彼がその時に神様を意識しなかったからだ。もし '神様が今私を見ている。神様が今私の行動を見てなんと言うだろうか?これが神様の前に善なのか?悪なのか?'この考えさえしたら、彼は大きい罪の誘惑に勝つことができたはずだ。
使徒パウロもこのように言った。
'だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。'(コリントの信徒への手紙一 10:31)
事あるごとに神様を意識して、神様の意思に従って生きるようになる時に、それが神様に栄光になる。結局、食べようが飲もうが何をしようが常に神様を意識して '神様、この仕事をどうすれば良いですか?'と祈って、良心にくださる御声どおりすれば、それが正に神様に栄光になる最高の人生になる。
信仰と言うのは血の止まらない女のように、神様に身近に進むのだ。
それでは神様に身近に進む人生の具体的な姿は何だろう?いつも神様を意識するのだ。ダビデはこの人生を見事に消化した人物だ。ダビデの人生を通じて神様を近付けることが何なのか?どうするのが神様を意識する人生なのか見てみよう。
      
2. ダビデはいつ神様を意識したのか?
1) 恐れ、恐怖の前で
人生を生きて見れば、自分と関係なく急におびただしい恐ろしさと恐怖が襲って来る時がある。こんな時にどのようにすれば倒れることなく、よく勝利することができるか?
正解はダビデが持っている。神様だけ近付ければ良い。神様だけ意識すれば良い。
イスラエル国にゴリアトという難攻不落の恐ろしさが群がって来た。王を含めたすべての軍人は恐ろしくて震えるばかりだった。しかし幼い少年ダビデは全然怖がらなく、巨人のゴリアトの前に進んで出た。
ダビデは先にサウル王に自分をゴリアトと争うことができるようにしてくれるよう言いながら、その根拠をこのように言った。
'「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」'(サムエル記上 17:37)
そしてダビデはゴリアトの前でもこんなに堂々と言った。
'お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。'(サムエル記上17:45)
ダビデは巨人のゴリアトの前でも、ゴリアトは眼にも入らなく徹底的に神様のみを意識して、神様のみを頼った。そうだから彼は恐怖に勝つことができただけでなく、ゴリアトにも勝つことができた。
人生に恐ろしいことが来たのか?恐怖が来たのか?きちんと気をつけなさい。虎につれていかれても気さえつければ生きる道があるという話しがある。なによりも神様を意識することに気をつけなければならない。
信仰の人が気を失うことは、意識の中で神様を失うのだ。気を付けよう!あなたの意識の中で神様を失わないで。怖いか?神様を意識しなさい。たくさん怖いか?神様をたくさん意識しなさい。本当に恐ろしいか?神様を本当に意識しなさい。すぐその所に神様があなたと一緒にいらっしゃる。その神様があなたの盾だ。その神様があなたの救いの力であることを忘れるな。
ダビデは恐怖の前で神様をもっとたくさん意識した。それが彼に本当に力になった。それで彼は怖さとゴリアトをいっぺんに退けた。
怖さが来たのか?以前よりもっと徹底的に神様を意識して、また意識しなさい。
'主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。'

2) 憎しみ、復讐心の前で
もしあなたの人生を台無しにしてしまった人がいたら、あなたの家庭を破壊した人がいたら、その人に仇を討つ機会が来たら、あなたはどうするか?こんな時にどのようにすれば憎しみと復讐心から自由になれるか?
神様に身近に進むのだ。神様を深く意識するのだ。
ダビデはサウルのためにいつも追い回される人、放浪の人生を生きて行かなければならなかった。彼は常に死亡の陰気な谷間を歩いて行く人生を暮さなければならなかった。こんな彼に仇を討つことができる本当に良い機会がやって来た。サウルをダビデが殺すからといって世の中でどんな人も非難しないほどにサウルはダビデに悪いことをたくさんした。しかしダビデは洞窟の中に入って来たサウルを殺さなかった。仇を討たなかった。なぜだろう?人のためではなく、神様のためだ。彼は確かに言った。
'「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」'(サムエル記上24:6)
ダビデは二回も復讐の機会を自ら捨てた。仇敵だったが、彼は神様が油を注いで立てた王だからだ。ダビデは燃える復讐心の前でも神様を強く意識することで復讐心の火を消してしまった。
信仰の人は自分の感情より神様の心が先に進む人だ。
神様を強く意識すればどんな感情の火も消えるようになる。
復讐は私がすれば罪になるが、神様に任せれば福になる。
憎しみ、復讐心が上がるか?あなたの力ではどうすることもできないか?
神様を意識して見なさい。ダビデの神様を意識して見なさい。あなたを殺人罪から守ってくれるでしょう。神様を意識するのが力の中での力であることを覚えよう!

3) 恨み、疑心の前で
ダビデは善良な人だった。天使みたいな人だった。常に正直な人だった。(サムエル記上29:9)
そんな人にあまりにも大きい災いが来た。三日の間留守にしている間に、ダビデが住んだ城はすべて燃えてしまったし、妻と子供たちはすべて捕虜になってしまった。'神様!私がどんなに善良に生きてきたのか神様が証人ではないですか?なのになぜ?私にこんな事が起こったのでしょうか?本当にあまりにもやりすぎです。'神様を恨んで誘惑に陥りやすい環境だ。ダビデはそれこそ大きい苦境に陷った。しかし彼は神様をはっきり意識した。
信仰が搖れなかった。
'だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。'(サムエル記上30:6)
彼は神様に信仰をもって祈った。'神様!追撃しましょうか?やめましょうか?'神様の意志ではなければ家族もあきらめるという話だ。彼の信仰がいかに強かったのかよく物語る。
神様に近付ける人はどんな場合でも神様を意識する人だ。
そんな人は確かに神様が守ってくださって祝福なさる。
怖さは去って自信感が付き添って、憎しみは去って愛が付き添って、疑心は去って信仰が働くようになる。
神様を意識することは人生最高の回復力だ。

4) お金、利己心の前で
血は水より濃くて、お金は血より濃いという話がある。
お金の前で兄弟が争って、夫婦が争って、親子の間に争う事があまりにも多いから生じた言葉であろう。人は誰もお金の前で搖れやすい。そのお金を自分のものにしたいのだ。この時、お金を均等に分けることができる力は何だろう?お金の前で神様を意識するのだ。そうするとそのお金はもう私のではなくて、神様がくださった贈り物に変わる。
ダビデがアマレクを追撃して大勝をおさめて、多くの戦利品を持って帰って来た。
あの時、戦利品を分けることから問題が生じる。途中に残った兵士たちに戦利品を配らないよう抗議が強く入って来た。この時、ダビデは言った。
'兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはいけない。我々を守ってくださったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ。'(サムエル記上30:23)
利己心と欲心に勝つ方法は、お金の前で神様を意識するのだ。すべてのものは神様がくださったのだ。そうだから分けるのが当然だ。
お金の前で神様を意識すれば、利己心が利他心に変わる。
神様がお金の前にいらっしゃれば、すべてが神様のものになる。
ダビデは部下たちに均等に分けてやっただけでなく、ユダの長老たちにまで贈り物を送った。(サムエル記上30:26) それでサウルが死んだ後に、このユダの人々がダビデを尋ねて来て彼を王として仕えた。(サムエル記下 2:4) お金が行くと人心が入って来る。
  
常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言3:6)
'I love you、O LORD、my strength' (詩篇 18:1)

3 コメント

中森千草

2009-01-31 05:39:33

両親と電話で話すたび、”信仰があるからあなたは良かった。本当に良かった。私は安心している。” と言われます。
私の取り巻く環境は、決して良いとは言えません。パニック状態になっています。
でも、そのような中にいても、不思議なくらい私の心は平安です。この先 何か確かなものがある訳でもなく、大富豪でもありませんが、心配事が何一つありません。
このようにしていられることと言えば、神様の御名を口から出すことが増えました。そして、神様のことを考えることも増えました。
歩いてても、電車に乗っているときも、自然と ”主よー”と言っている私がいます。
今の環境に感謝しています。神様を常に意識することが出来るように、このような状況の中に置いてくださり感謝しています。

” もしあなたが神のために生き、神の国をまず第一に考えるなら、神は毎日の必要をすべて満たしてくださるのです ”

田辺高幸

2009-02-01 08:06:51

いろんなことはある。人は皆置かれた立場で苦境は違うけど、それはやはり避けたいぐらいにキツいものだと思う。そんな場面が来たときに、気持ちが晴れる時が来る。神様のことを考える時だ。
「きっとこれは神様が僕に対して何かを教えるために下さったものだ」
そんなことを考えると、辛いことがそうではなくなる。逆に神様のことを考えないとどうだろう。正直言うと暗黒である。
やはり神様は眩しい方なのだと思う。その御力が僕をいつも救ってくれているのは確かなことだ。それに感謝して、ダビデのように主に近寄れたらいいなと思っている。

古郡武志

2009-02-01 10:42:03

主はわたしの岩…大岩…

今回聞いた御言葉の中には、岩という言葉が2回もでてくる。

1.絶対性・永続性を持たないものに対しても心が揺れ動き、恐れ・恐怖を感じてしまう。恐れ・恐怖を感じて対象物から逃げれば、もう恐れ・恐怖の呪縛から逃れられるのだろうか?否、また同じような状況に陥れば、同じように恐怖・恐れを感じるだけである。恐怖・恐れは逃避行動を生むが、それによって恐怖・恐れは解消しないのである。
2.憎しみ・恨みは他者への攻撃や復讐を生む。しかし、他者への攻撃や復讐によって、憎しみ・恨みが消えてなくなり、心が平静になったという話はあまり聞いたことがない。一時的に憎しみ・恨みに満ちた心が慰藉されることはあっても、結局真の心の平安は得られずに、自滅の道を選んでしまうのではないか。
3.お金があることによって、私たちは確かにいろいろな贅沢ができるようになる。しかし、お金がさらなる欲望を生み、満足できなくなって、破滅の道を歩むという事例を知っている。さらには、現金は、この地上での生活が終わった後に持っていくことはできないのである。

こうして見ると人間が陥りやすい感情というのは、「不確実」というキーワードでまとめることができ、岩は、これに対し、「確かで揺るぎないもの」の象徴であろう。

箴言に「岩狸」という興味深ぱ物が登場する。
「岩狸の一族は強大ではないがその住みかを岩壁に構えている」(30章26節)
 実に面白いのは、「岸壁」ではなくて「岩壁」という字が使われている点である。
 何故「岩狸」が「知恵者中の知恵者」であるかというと、吹けば飛んでなくなるような砂の中ではなくて、揺るぎない確実な岩に住処を置いているからだ。

自分の生活を振り返ると、岩という揺るぎない確実な家があるにもかかわらず、その家には目もくれずに、砂の中でばたばたと手足を動かしてもがいているかのようだ。

「目に見えず、手で触ることもできない神様」という岩を住処にして暮らそうと思
えば、神様を意識するように努力する他ない。

「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8章28節)

万事が益となるように共に働くことを信じ、岩に住む人生を歩んでいきたい。

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