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중앙영광교회

苦難と私

이용규목사, 2008-11-20 13:59:37

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苦難と私

1. 苦難と私
'どうして私にこんな事が起こる?'
'本当に変だ。私にこんな苦難が来る理由がないのに… もしかしたらこの苦難は夢じゃないかな?'
信仰の人々の中には、苦難が来た時、それをおかしいと思う人々が少なくない。
本当に、キリストを信じれば苦難が免除されるのか?キリストを信じれば果して問題が消えるのか?クリスチャンは試練と関係ない別天地の生を暮すようになるのだろうか?決してそうでない。聖書は私たちにそのように教えたこともないし、キリストもそのように生きたことがない。
' もし子どもであるなら、相続人でもあります。神の相続人であり、キリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。(ローマの信徒への手紙 8:17)
クリスチャンが神様の子供としてキリストと一緒に天国の栄光の相続を受けるためには、この世でキリストとともに苦難を受けることは当たり前のことだと言った。
キリストがこの世で受けた苦難はどうだったのか?
キリストは決して個人的な苦難だけで終わらなかった。キリストは全人類のすべての問題を一人きりで担った。この問題は絶対に軽い問題ではなかった。キリストが自ら死んでくださらなければ解決にならない大きい問題だった。このすべての問題を解決してくださった所がすぐ十字架である。十字架のない教会はありえない。すべての教会はキリストの十字架があるから存在している。したがって、すべての信者にも十字架がなければならない。十字架があるから初めて信者になるのだ。
苦難を変に思うことは、まさに十字架を変に思うということである。
苦難を変えようと思うのではなく、苦難に対する自身の考えを変えなさい。
そうすると、重さが軽さに、悲しみが喜びに、絶望が希望に変わるでしょう。
'現在の苦しみは、将來私たち現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。'(ローマの信徒への手紙 8:18)
'およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。'(ヘブライ人への手紙 12:11)
'だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。(ヘブライ人への手紙 12:12)
'まっすぐな道を歩きなさい。' (ヘブライ人への手紙 12:13)
'愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかれればあずかるほど、喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。 '(ペテロの手紙一 4: 12,13)
火のような試練や、大きい苦難にあう時に変に思うことそのものがまさに変なのだ。信仰の人はこんな苦難が来る時、キリストのように喜んで迎えなければならない。
'信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の御座の右にお座りになったのです。 '(ヘブライ人への手紙 12:2)
今日の本文でも、キリストが自らおっしゃった御言葉が 3回出てくる。
一番目の御言葉は '向こう岸に渡ろう。!' (マルコによる福音書 4:35) である。キリストのこの御言葉に弟子たちは従順して海の向こう側へ渡った。そうしたら、変な事が起った。キリストが行きなさいと言って行ったし、またその船にはキリストも乗っていらっしゃった。それなのに、前例のないほどの狂風が吹いて、船が水に浸るほどに困難が多かった。キリストに従順しても、神様が一緒にいらっしゃっても、苦難は来ることがあるのである。キリストも神様に完全に順従した時に十字架の苦難を乗り越えたのではないか?ただ、その苦難を通じて神様の完全な栄光を現わすだけである。
苦難を絶対に恐れたり、変に思ったりするな。苦難は、ただ将来神様の栄光の道具になるだけだ。
今、いくら世界経済の大きい狂風があなたの人生に迫っていると言っても心配することはない。結局は神様の栄光の道具として使われるようになるからだ。キリストの十字架のように、ガリラヤ湖の狂風のように。

2. キリストと私
キリストの二番目の御言葉は '黙れ、静まれ。' (39) である。
海と風におっしゃる御言葉だ。この時、湖と風は苦難を起こした張本人だ。キリストの御言葉一言で、海と風も一瞬にして、本当に静かになった。
苦難を静める方は神様だけである。私はただ忍耐して祈るだけでよい。世の中の波がいかに荒いと言っても、私の人生の船を沈沒させようと思っても、神様の前では猫の前の鼠よりも弱い存在であることが分かる。
それで、信仰の人は苦難の前で常に神様を頼る。なぜなら、どんな苦難も、どんな問題も神様の前では全然問題にならないからだ。
ダビデは死の鎖が自分に絡みつき、死の流れが自分を襲った時に神様に叫んだ。'主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。'(詩 18:2)
あなたが今あっている苦難が自分の前では獅子のようであるかもしれないが、神様の前では蟻ですらない。その苦難をあなたの前に下ろさずに、神様の前に下ろしなさい。その瞬間多分苦難が自ら気を失って死ぬでしょう。
'私の力になった主よ。私が神様を愛します。
暴風も静めた神様を信じます。この苦難(経済、健康、関係)の波に '黙れ、静まれ。'と一回だけ言い付けてください!
険しい試練の中で私を引き上げてください!怒った風浪が過ぎ去るように私をかくまってください!'
苦難の時に気を付けなければならないことは、疑心に満ちた不満を言わないで、信仰に満ちたお祈りをつかまなければならない。弟子たちは怒りながら '私たちが死ぬようになったのに先生は何とも思わないのですか?'と言いながら不満を吐露した。それで彼らは後でキリストに叱られるようになる。
    
3. 信仰と私
キリストの 3番目の御言葉は 'なぜこわがるのか。まだ信じないのか。' (40) である。この御言葉が今日の結論部分だ。神様に重要なことは私たちの信仰である。神様は苦難を通じて弟子たちの信仰の現状を見せてくれて、信仰がないことを指摘して、信仰の成長をくださっている。
人は苦難の時に、その人の信仰のほんとうの姿が現われるのだ。苦難の前で恐ろしくて慌てるのは、自分の信仰のないことを自ら暴露する行為である。
キリストが、弟子たちに信仰がないことをどのようにして知っただろうか?彼らが狂風を怖がったからだ。'なぜこわがるのか。まだ信じないのか。'(40)
信仰の人は世の中を恐がらない人だ。
信仰の人は苦難に絶望しない人だ。
'神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。' (ヨハネの手紙一 5:4)
私たちは二つの中から一つを選択しなければならない。
世の中を恐れるか?キリストを恐れる(尊敬+従順)べきか?
世の中を恐れる人は信仰がない人で、キリストを恐れる人は信仰がある人だ。弟子たちは狂風の苦難の瞬間には世の中を恐れる人だった。しかし、自分たちがそんなに恐ろしくて震えていた狂風が、神様の前で恐ろしくて震えながら隠れて沈むことを見て、キリストを甚だしく恐れる人に変わった。
あなたは本当に誰を恐れるか?世の中の狂風か?キリストか?それとも世の中の権勢ある人か?キリストか?
キリストを本当に恐れる人にならなければならない。キリストは世の中の万物がその名前の前にひざまずく方だからだ。(フィリピの信徒への手紙 2:10)
賢い人はキリストのみを恐れる。ここで恐ろしいことは敬い畏れるという意味だ。敬い畏れる人はその方を心から尊敬して、その方に従順する人だ。
キリスト一人だけ恐れる人は、世の中で恐ろしいことがない人だ。
一方、キリストを恐れない人は、世界中のすべてを恐れて暮さなければならない。
信仰は、キリストのみを恐れ、世の中のことにはどんなことでもまばたきすらしないものだ。
あなたに今どんな狂風が狂ったように吹きまくっているか?お金(経済)の狂風か?疾病の狂風か?家族の狂風か?勉強の狂風か?関係の狂風か?進路の狂風か…?
この時キリストがあなたに真剣に問うている。
'息子よ!娘よ!どうして恐れるのか?まだ信仰がないのか?'

5 コメント

이용규목사

2008-11-20 14:00:35

황후연 형제님이 은혜롭게 번역해 주셔서
감사합니다.

中森千草

2008-11-21 06:14:22

今日、世を恐れそうになりました。
そして考えをイエス・キリストに集中し、神様をいろんな表現で褒めたたえました。
勝利しました。勝利することができました。
聖霊様が働かれると、人間では不可能なことが可能になり、そして神様が残された足跡を見て私は、神様に対する思いが強くなりました。
神様を畏れることにより、目の前のことが怖くなくなり、神様により信頼ができるような今日の出来事を用意してくだっさたことを、感謝しています。

田辺高幸

2008-11-21 08:27:41

正直言うと、困ったなという状況ではある。親父の借金の一部を自分名義にしてしまったため、それを背負うことになってしまった。それでいてやはり親父のお給料ではとてもではないが、家族が生活ができないから、必死に働くしかないが、なんせ会社が家賃の未払いしてて訴えられたから、今後のお給料がしっかり支払われるのか不安になる。
と書いてはみても、実は神様が僕にはいるから平気だろうと楽観的なのである。天の父がいる。主がいて、そして聖霊様がいる。また、聖書の宿題とは別に今、箴言を読んでいて、その知恵が僕を救っていてくれているのだ。だから僕は毎日平和に生きている。
だから神様に感謝しよう、主に感謝しよう、そして聖霊様に感謝しよう。毎日読む聖書に感謝しようと思うのだ。いつか今の状況は打破される。今はむしろこのような中において、神様が何を僕に与えようとしているのかを悟ることが大切だ。怖がる必要はない。むしろ明日を楽しみに僕は生きようと思う。

古郡武志

2008-11-21 10:30:51

「信仰の人は苦難に絶望しない人だ。」

世の中には3種類の人がいるのではないだろうか?
1. 真理を信じる人、2.真理ではないものを信じる人、3、「真理など何も無い」ということを信じる人
(信じる価値のあるものなど何もないと考える人々)
教会というところは、少々いやなことがあっても、居心地のいいところではないだろうか?
だって、何だかんだ言っても、1の真理を信じる人が集まっている場所だから…
しかし、我々は、世の中においては、真理ではないものを信じる人々や虚無に服している人々の中に身を置いて生きていかなくてはならない。(2や3の人々)
特に、真理ではないものを信じる人の力、ひいては真理ではないものを信じさせようとする人もしくは何ものかの力はものすごいのではないか…
 私は世界史のある場面を思い出す。
 ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの右腕として大衆動員・宣伝に辣腕を振るった宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは次のような台詞を言ったと伝えられている。「嘘も百回言えば真実になる…」
もちろん、何回嘘を唱えたところで嘘が真実になるはずもなく、この台詞の言わんとすることは、「嘘であっても繰り返して言っているうちに、その嘘は大衆の思考に染み渡っていき、あたかもその嘘が真実であるかのごとくに大衆の行動が規定されていく」ということであろう。そして、現実に「ゲルマン民族は世界に冠たる優秀な民族であり、汚れたユダヤ人は抹殺しなくてはいけない」というプロバガンダがドイツ人の思考を支配するようになり、恐るべきユダヤ人絶滅計画が進行することになる。
 このゲッペルスの台詞は、ナチス・ドイツの暴虐が終焉してから長い年月が経った今でも重い問いかけを投げかけている。
 みんなが当たり前のように数多く口にすることは真理なのか?
 マスコミが放送することは真理なのか?
 そして、嘘を百回言うのは、プロバガンダを行う権力や他人やマスコミだけではないのである。
 私の心の中の何者かがささやいてくる。「教会なんか行くのやめちゃいなよ。短いこの地上の人生、苦しい思いしないで楽しく、思うがままに過ごせばいいじゃない。」
 このようなささやきが、私の行動を支配しようと常に機を伺っている。
 ところで、このプロバガンダに満ちた暴虐の支配に歯止めをかけた政治指導者が、私が敬愛して止まない英国の指導者ウィンストン・チャーチルであった。破竹の進撃を続けるナチス・ドイツがヨーロッパ全域を支配する絶望的な状況の中でナチス・ドイツに対して毅然と戦いを挑む決意を彼は英国議会における首相就任演説でこう述べた。「われわれの政策がなんであるかとたずねられるならば、わたしはこう答えたい。それは、海、陸、空で全力をあげ、神が与え得る力の限りを尽くして戦うことであります。」
 わたしは、今まで政治指導者としての彼の業績に注目し、彼の信仰についてあまり深くは知るものではなかった。しかし、絶望的な状況にあって国民に奮起を与えようとする彼の言葉の中に神が登場していたというのが嬉しく感じられ、また感動を与えてくれるものであったのである。
 彼はまだこのような名言も残している。
「悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす」
キリストのみを恐れる人は、世の中で恐れることがない人のことである。
この言葉はそんな人の生き方を表現してはいないだろうか?
私は、すべての困難の中に好機を見出す力を持つ人になりたい。
そして、最後にゲッベルスが言ったとされる言葉にはこう答えたい。
「嘘は、百回言っても嘘である」と…
嘘ではなく、真理を教えて下さった神様に感謝します。

木下 

2008-11-23 06:46:16

神様の御心に感謝しています。神様は、イエス様を私たちに与えてくださいました。イエス様は、拒みさえしなければいつでも私たちと共に歩んでくださいます。多くの暗い話題、ニュースが情報として伝えられていますが、私は希望を持って、現在、やるべきことをしていきたいと思います。暗い中でこそ、たとえ小さな光だとしても輝くことができるのだと思います。イエス様を信頼して、試練の中で、プラス思考を持って最善を尽くす姿勢を持っていきたいと思います。

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