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중앙영광교회

仕えと私

이용규목사, 2008-10-16 18:57:23

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仕えと私
御言葉// エフェソの信徒への手紙2:10

1.        器官が存在する理由

 仕えは人を手伝うこと、奉仕、使役、教会のために働くことなどを意味する。
あなたは仕えについてどう思っているのか?
自分と関係ないこと?それとも、やってもやらなくてもいいのか?それとも必ずやるべきだと信じているのか?神様ははっきりおっしゃった。‘なぜなら,わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(2:10)’神様は、私を設計する時、我が人生を仕えることに献身するように造られたとおっしゃった。(He planned that we should spend these lives in helping others.) 神様が我らを創造した目的は、仕えることのためである。仕えない人は神様の目的に反して生きているのである。神様を喜ばせるためには、仕えることを神様の仕事のようにしなければならない。
先週、人生の2番目の目的について探ってみた。
神様の家族として生きていくのが2番目の目的である。神様の家族としての特権を享受するためには、家庭から離れればいけない。体から離れた器官は生きられない。クリスチャンの家庭と体は教会である。それで、信者は教会に繋がっていなければならない。教会の生活を充実にすれば、神様の家族の特権を享受することができる。魚が水から離れて生きられないように、信者は教会を離れて生きられない。ただ主日だけ教会に来る‘主日信者(Sunday Christian)’にならず、‘器官信者’にならなければならない。器官信者は必ず神様の家族の特権を享受するようになる。なぜならば、教会で神様の家族としての愛と恵みが豊かに供給されるからである。
器官は体から供給された豊かな栄養分で何をするべきであろうか?
これが今日、我らが分かち合う人生のもう一つの目的である。枝が木についていることだけで、存在する理由のすべてではない。必ず、やることがある。枝は実を結ぶべきであり、器官は働くべきである。実を結べない枝は神様は切られるとおっしゃった。
‘わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。’(ヨハネによる福音書15:2)
信者はすべからく教会で実を結ぶ枝にならないといけない。実を結ぶ枝が神様に愛される枝である。信者が教会で結ぶ実は‘仕え’であり、‘奉仕’である。イエス様はおっしゃった。‘人は彼がやっている働きによって、どのような人か評価される。’(マタイによる福音書7:16-CEV)
働いていない器官は、器官としての存在理由がない。
手なら手の仕事をすべきであり、足なら足の仕事をすべきである。
形は確かに手であるが、絶対手の仕事をしないと、形はしているが力は持っていない、病気の器官である。器官としての仕事を回復しなければ、真の器官にならない。
無用に付いてある器官はない。すべての器官には器官として与えられた機能と役割がある。手、足、肝臓だけではなく、眉毛もやることがあるから作られた。火傷で眉毛がなくなった人を証を聞くと、我らの心が静かになる。眉毛があった時には、大事さを気付いてなかったが、眉毛がなくなってから、おでこに汗をかいたり、雨に降られたりすると、汗や水がそのまま目の中に流れて、大変であるそうである。若い女性の方々はきれいになろうと眉毛を剃りすぎるといけない。眉毛のダムが壊れたら、目の洪水になる可能性もある。

2.元気な教会は?
体の各器官のように、我ら一人 一人 も教会の器官として、必ずやるべきのことがある。なぜかというと、我らは霊の体である、教会の器官として作られたからである。(ローマの信徒への手紙12:5)元気な枝がいい実を結ぶように、元気は器官は必ず善い仕事(仕え)をやることである。あなたは元気な器官か?自分に質問してみなさい。器官の実である、自分がやっている仕えを見たら、すぐわかる。
元気な教会はどのような教会であろうか?当然元気な信者が多くいる教会である。そうすれば、元気な信者はどのような信者であろうか?実を結ぶ信者、善いことに頑張っている信者である。したがって、元気な教会は働いている信者が多くいる教会である。今日、多くの教会が死んでいっているが、その理由は信者がいないからではなくて、働く信者がいないからだそうである。信者はただの礼拝者だけで、落ちぶれてしまい、教会の仕事は牧師や雇い人によって行われているから、教会は成人病にかかって、死なれる日を待つしかないであろう。
元気な教会には必ず元気な信者がいる。
元気な信者は必ず、善い仕事をする。食べて、飲んで、息をして、居場所を取っているためだけで、神様は我らを造られてはいない。善い仕事をし、体である教会の仕事をするように造られた。(エフェソの信徒への手紙2:10)働くべきである。仕えるべきである。
仕えはやってもやらなくてもよいという選択事項ではない。仕えはすべての器官には必須項目である。それは器官の存在理由であり、使命であるからである。
教会には要らない人はいない。自分にこのように祝福してみなさい。‘私は我が教会にいなくちゃいけない、大事な人だよ。’
‘神様が我らを救って呼び出してくださったことは、我らが何かをやったからではなくて、神様の目的を成し遂げるためである。’(テモテへの手紙②1:9-TEV)
我らは過去に‘やった’ことがあるから選ばれたことではなくて、これから‘やる’ことがあるから選ばれたことである。そのため、我らは必ず、働かなければならない。
神様のすべての家族は使役者である。使役は器官がやることである。我らは教会の器官であることを忘れないべきである。
リックワレン牧師はこのように言った。
‘もし私が人を愛する心も、人に仕える願いも持っていないなら、そして自分のことにしか関心がないのであれば、自分の人生の中に本当にキリストがおられるのかどうか、自問してみる必要があるでしょう。’

3.元気な仕えのためには?
元気は仕えのためには、3つの心得が必要である。
1番目は‘自信感’である。心の中から‘私はできる’と堂々に告白しなければならない。自信感は自分から来ることではない。真の自身感は神様から来る。なぜならば、私は人間の作品ではなく、全能なる神様の作品であるからである。神様が神様ご自身のために、自ら造られたため、正に完璧に造られた。(イザヤ書43:21)あなたは大事な存在であり、特別な存在であり、完璧な存在である。そのため、使役(仕え)において、言い訳はあり得ない。‘まだ物足りないから、都合がよくなると、その時やります。’言い訳がある人は何もできない。言い訳はサタンが与えるものである。イエスの御名によって、言い訳を退けると、善い仕事の主人公になれる。
神様は、あなたがよりいご合で、よりいい仕えをするよう、期待していない。今の姿で、今の仕えを喜ばれる。
仕えは後回しすることではない。現在の仕えが最高の仕えである。
2番目は‘プライド’を持つことである。‘あなたがやっている仕事は本当に大事である。’自分の仕えを大したことでないという扱いをしないことである。特に人の認めか、お褒め、注目を受けてない使役のほど、そうである。全ての使役は尊い。体の器官の機能中で、尊くないことはないだろう。本当に偉い仕えは目に見えないことである。(コリント信徒への手紙①12:22-24)目に見える手がなくても、生きられるが、目に見えない肝臓は、なかったら死ぬことである。目に見えない使役こそ、教会を生かす原動力になる。あなたは現在、どんな使役をやっているか?その使役が本当に尊い使役であることをわかってほしい。その使役が教会を生かしていることをわかってほしい。
3番目は‘責任感’である。‘私は必ず最後までこの仕事を成し遂げる。’元気な仕えには必ず、この決断があるべきである。世の何の仕事より、神様の仕事がもっと大事である。それで、責任感が一番あるべき所は主の体である教会の仕事であるが、いつの間にか、教会は責任感の行方不明地帯になってしまった。奉仕を始めるより大事なことは、最後まで成し遂げることである。仕事を始めて、消えてしまうと、最後の仕上げは誰の役割であるか?結局仕事を増やしただけである。教会の仕事は感情なりに、気持ちなりにやることではない。必ず、‘責任感’という最後の足跡を残すべきである。
リックワレン牧師は責任感がない、教会奉仕について手痛いことを言った。
‘ほとんどの人たちは責任ということの意味を理解していません。人々は気軽に約束を交わし、そしていとも簡単に何の躊躇も、悪気も、後悔もなく、それを破ります。毎週、幾つもの教会やその他の団体が、ボランティアの人たちが準備してこないために、また現れないために、あるいは今日は行けませんという電話の一本もよこさないために、即興のその場しのぎを余儀なくされているのです。’

4.イエス様がこの世にいらっしゃった目的は?
‘人の子が仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の献身金として自分の命を献げるために来たのと同じように。’(マタイによる福音書20:28)
イエス様は仕えるためにいらっしゃった。我らはイエス様の弟子である。
我らの仕事の中で、仕事は仕えることになるべきである。時間が空いてるから仕えることではない。一番尊いことであるから、わざわざ時間を空けて仕えるべきである。神様の体を仕えなければならない。教会を仕えるべきである。神様の家族を仕えるべきである。
神様は、仕えるように、我らを教会へ送られた。これが人生の目的である。
仕えと私は欠かせない関係である。
仕えがない私は動けない手と同様である。

5 コメント

이용규목사

2008-10-16 18:58:28

이번 주는 박재훈님이
번역의 일을 섬겨 주셨습니다.
감사합니다.

中森千草

2008-10-17 06:25:18

教会に行くときは外国に行くような感覚があり、緊張感からくる行動力の弱さ、そして、自分勝手な都合に合わせているところがある。
私にとって教会はとても大事ですが、教会にいなくてはならない大事な人とは思ったことは一度もなく、今回 ”教会と私” ”私と教会” はどのようであるかを考えることができました。
神様は私たちに仕えるための賜物を与えてくださっており、私たちは素直に従えばいいだけなのに、なぜ今の姿の私なんだろう。
これからは、神様に反抗するのではなく、すでに与えられている恵みによって仕える人になっていきたいと思います。

田辺高幸

2008-10-17 06:54:16

僕が教会に来たのは恐らく2005年の7月ぐらいのことである。それを考えるともう3年も通っている。ただ友に誘われて来た。そんな理由だった。
でもその3年間の間に僕が教会の一部になったのはつい最近のことである。それまではただ来ているだけだった。遠くから眺めているだけの人間だった。
それまで、僕は韓国人の組に入っていた。僕の入る属会はみんな気が合う人たちだった。だから今も親交がある。しかし、そんな状況の中でも孤独は味わった。みんな話が盛り上がればやはり母国語で盛り上がる。僕は韓国語の勉強は、在日の人にも言われてしてはいたけど、辞めたり再開したりでレベルは低い。だから聞き取りも弱く、何か一人でただ立ち尽くすことが多かった。言葉の分からないストレスはいつも僕にあったし、これが自分だけ孤立している感じに思えて仕方がなかった。日本人が増えればいいのに、と思っていた。
そんな僕はある人に出会った。出会った過程は、当時の属長であったペ・ミファさんが(僕は親しみ込めて日本風に美花ちゃんと呼ぶこともある。と同時に恩人でもある。彼女が洗礼を勧めてくれたからだ。それで僕は初めて神の子となれた)、出産したばかりで、1カ月間の休暇で韓国に帰られた。その時、先生からソウ伝道師さんの組と一緒にやるようにと言われた。そこで加わったわけだが、そこで一人の日本の女性がいた。今、一緒に使役訓練を受けている中森さんである。正直言って、よくしゃべる人というのが第一印象だった(おそらく彼女も僕に同じ感情を持っただろう、俺はしゃべるの大好きだから)が、日本人が増えているんだと思って嬉しかった。
その後、正式に韓国語を学びたいということで、僕を教会に導いてくれた人から先生としてイ・ヂヨンさんを紹介された。大変申し訳ないが全く知らなかった人で(何故か彼女は僕のことを知っていたようだが)、最初は緊張したが、この方に韓国語のレッスンをしてもらうことになった。実は、この出会いが実は非常に大きかった。彼女は日本語賛美チームのリーダーだったからである。それから3年も通っているのにも関わらず、日本人のための礼拝があることを知った。
ある期間、昼の礼拝に出れない時期があり、朝の礼拝に参加することが続いた。そこで日本人で毎回礼拝に参加している人たちを知った。それで、イ・ヂヨンさんとの関係もあるし、朝の属会に参加させてもらうようになった。それで今まで韓国語の聖歌隊に入っていたし、かといって余りに難しい言葉の連発に気が滅入ってしまったこともあり(それは自分の勉強不足の責任である)、日本の賛美チームに入れてもらいたいとヂヨンさんにお願いして入れてもらった。
この時からだった。僕が明らかに教会の一部となった。そして中森さんが必死に動いたこともあり、日本人の弟子訓練が始まり、今までは韓国の人との分かち合いしか無かった僕に、初めて日本人との分かち合いが出来るようになった。そこから僕は日本人としてどう、この基督教が不毛な地で働いていけるかを真剣に考えるようになった。
その流れは明らかに、人間が作れることではない。自分の意志とは関係なく進んでいった。これは神様が僕にくれた恵みだったと思う。それだけに大切にしたいと思っている。
教会の一部分として、僕は個人に任されたことがある。ホームレスの人のお弁当の上に乗せる紙のデザインの仕事だ。これは当初は日本語賛美チームに依頼されたことだと記憶している。しかしこれらのことを実際の仕事で行ったことがあるのは僕だけだったので、結果的に僕個人の仕事になった。レイアウトをし、イラストを描いて、御言葉を選んで、そして聖書の言葉の事典も載せる。ホームレスの人で聖書を持っていない人もいるだろう。その人たちのために僕は何かがやりたかった。そして神様は僕自身を使って行わせてくれた。非常にやりがいのある仕事だ。
今は使役訓練中だ。それが終えた時、神様は僕にどんな仕事をまた与えてくれるのか、非常に楽しみにしている。僕は教会の一つだから、積極的に行わせて頂こうと思っている。

※ついにアクセス1000を超えました。このブログを通して神様の御言葉が届くことを信じます。伝導用にどうぞ。
「キリスト教 生きていて力ある御言葉」(URLアドレス http://nabesang.blog116.fc2.com/ )

古郡武志

2008-10-18 09:14:36

 教会に通い始めてから長い時間はたっていないのだが、知らぬ間に肩書きが増えてしまった。属長、日本語賛美チームリーダー、通・翻訳チームリーダー…正直言って自分の信仰が未熟なことこの上ないのに、何故に私ごときがリーダーなどになれるのかと思っていた。私たちの体である教会に仕えることであるから、喜びをもって行わなければならないのに、面倒くさいと感じて疲れてしまうこともある。正直言うと、手を抜いてしまっている部分もないわけではない…自分としては未熟な力を振り絞って頑張っているつもりではあるが、まだまだ努力が足りないと思う。
 私が属長になったばかりのころ、「信仰的にもまだ未熟な私が大丈夫なのでしょうか?」と牧師先生に不安を吐露したことがあったが、牧師先生は「神さまがまもって下さいますから大丈夫です」と微笑みながらおっしゃって下さった。
 まだまだリーダーとしてはきちんとしなければいけないし、努力も必要なことは間違いないのであるが、皆の支えとともに、こんな私でもリーダーとして働けるようにして下さった神様に感謝している。
 そして、スモールグループが明るく笑いに包まれるとき、日本語の賛美を口ずさんで微笑んでくれる人がいるとき、そして兄弟・姉妹の信仰生活のために役立つことができたとき、仕事で疲れた私の心には喜びの光が差し込み、癒しの水が注がれる。ただ主日に来て話を聞いていただけの時には想像もつかなかった喜びを知るようにして下さった。
 「面倒臭さ」から「喜び」へ…腰を屈めて弟子たちの足を洗ったイエス様の姿を思い起こしながら、教会で「仕え」という豊かな実を結ぶように頑張っていきたい。

安間チョウコ

2008-11-02 19:29:29

神にキリストに仕えていくということは私たちにとって、人に仕えていくことだと思う。そして謙遜。奉仕、献身。それを持って生きることは仕事も、家庭も、人間関係も円滑にする。それが少ない場合とげがあったり、ギクシャクする不快な生き方を感じて生きなければならない。
それをクリスチャンだから、人に言わず、いわずの手本を示しても、他人は、そういう人がいることをありがたいと思ってくれはするがそのひとたちは恩恵を受けるにとどまってしまうだろう。
だから奉仕の仕事は、一人でするのでなくてみんなでするにはどうしたらよいかを教会全体で、出来るだけ具体的にどう進めればいいかを考えていくことだと思う。今回奉仕博覧会が出来なかったことは、善い方向に考えていくべきと思う。

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