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중앙영광교회

誘惑に陥らないためには

이용규목사, 2008-10-03 20:01:11

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誘惑に陥らないためには

御言葉//マタイによる福音書26:36-43

1.        私がこの世に存在する一番目の理由
去る1週間、早天礼拝を通して神様が私たちをこの世に存在するようにしてくださった一番目の目的に対して勉強して見た。
神様が私たちの人生に与えて下さった一番目の目的は、'神様の喜び'になることである。私たちは神様の喜びになるためにこの世に存在している。'私がどうすれば神様を喜ばせるか?'常にこれを考えながら生活する人は、一日一日を充実な人生を暮すようになり、後半は卓越な人生の実を残すようになる。これと反対に、いつも'私がどうすれば私を喜ばせるか?'ばかりを考える人は、一日一日を無駄に過ごすようになり、結局は堕落した人生を残すようになる。
神様は'礼拜'を通して喜びを受ける。
もちろん主日礼拜、早天礼拜も大事であるが、神様がお望みになっている真の霊的な礼拜は他にある。
'自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。'(ローマの信徒への手紙12:1)
神様は生活の中での礼拜を喜ばれる。常に礼拝をささげる気持ちで生活することを、神様は喜ばれる。いや、生活自体が礼拜にならないといけないとおっしゃっている。決まった礼拜時間だけが礼拜でなく、生活が礼拜である。教会の中ではクリスチャンのようであるが、教会の外では全然クリスチャンのように見えない人々が少なくない。真のクリスチャンは、教会の中でだけでなく、家庭でも会社でもクリスチャンでなければならないし、学校でもクリスチャンでなければならない。そうしないと世の中で真の光になれない。
ある人が、有名な伝道者であるホワイトフィールドに'牧師先生!あちらに立っている男の方はクリスチャンでしょうか?'と聞いた。するとホワイトフィールドは、'よく分かりません。まだ彼の奥さんと話して見なかったので..'と答えたと言う。
あなたの奥さんは、あなたの家族は、あなたのことを真のクリスチャンだと認めているか?
それとも'教会にいる時にはクリスチャンのようであるが、家ではよく分からない'と言ってはいないか?

2.        誘惑に陥らないためには?
どうすれば世の中でもクリスチャンの姿を失わないことができるか?
世の中は私たちをいつも誘惑する。まるで彼らのように生活しないと生きて行けないほど、力強く私たちを誘惑する。どうすれば、この誘惑に陥らずに神様の目的のとおり最後まで駆け付けられるか?どうすれば誘惑に陥らないことができるか?
これに対して、イエス様は御言葉と生活とを通じ、強く私たちに教えてくださっている。今日の本文は、十字架に処刑される前のイエス様の最後の人生の姿である。
イエス様は本当に強いお方であった。世の中の人々がどんな侮辱をしてきても、絶対に誘惑に陥らなかった。そのようなイエス様の人生に、イエス様自分にも何ともできない、非常に恐ろしい試練が尋ねて来た。その試練は、イエス様が'わたしは死ぬばかりに悲しい。'(マタイによる福音書26:38)というほど、大変なことであった。それはまさに十字架の処刑、すなわち死の狂風であった。これは私たちの人生を根こそぎ奪われるくらいの狂風である。あなたの人生にはどんな狂風があったのか?その時、あなたは狂風に人生を奪われないために何をしたか?その結果はどうであったか?
イエス様はこの問題をどんなふうに解決しただろうか?イエス様はその時、何をしただろうか?
イエス様も政界、宗教界、軍隊などにイエス様に世話になった人たちが多かった。しかし、イエス様は世の中に権力を持っている人たちを尋ねなかった。イエス様は夜間逃走もしなかった。イエス様はこのつらい時に、ただひとつのことにだけ集中した。それが何なのか分かるか?それはまさに'祈り'である。イエス様は弟子たちを連れて直ちにケッセマネの丘に行って、汗が血の滴るように血面に落ちるほどお祈りした。'祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ。'(マルコによる福音書9:29) 祈りは、人生の飾り物ではない。祈りは、クリスチャンの最高の武器である。世の中の脅威から自分を守られる確かな能力は祈りしかない。そこでイエス様はこの時に、弟子たちに'祈りの非常命令'を下したのである。'誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。'(マタイによる福音書26:41)
神様は今も私たちにおっしゃっている。
'息子よ!今は祈るべき時期である。 あなたは誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。'
'娘よ!今は祈るべき時期である。あなたは誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。'
神様は私たちに、40日間人生の目的をつかんで目を覚ましながら祈れる時を許してくださった。'心は燃えても、肉体は弱い。'(マタイによる福音書26:41) 肉体の弱さに負けずに、目を覚まして叫びながら神様の御前に進む時である。
苦難は、祈りの強力なサインである。
'あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。'(ヤコブの手紙5:13)
苦難の妙薬は祈りである。どんな苦難が来ても'イエス様の祈り'が'私の祈り'になれば、'イエス様の勝利'は'私の勝利'になるに決まっている。
祈った後のイエス様はどのような姿であったか?
確かに祈る前には、あまりにもつらくて死にそうだと告白したが、強力な3回の祈りの後は、十字架がそれ以上恐ろしい存在でなくなった。かえって自ら十字架を迎えに行った。(マタイによる福音書26:46) そして十字架を堂々と背負い、復活の完全な勝利まで完成された。これが祈りの素晴らしい力である。祈りの力は、まさに神様の力である。イエス様が切に祈った時、'すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。'(ルカによる福音書22:43)と言った。十字架を十分に背負われる能力が祈りを通じて天国から臨んだのである。
ところが、弟子たちはどうであったか?
イエス様があんなに目を覚まして祈りなさいと訴えたのに、彼らは肉身が疲れて弱いという言い訳で3回の機会を逃し、ずっと眠ってしまった。そこで彼らは十字架の前で恐ろしく震え、世の中の方法で十字架を退けようとしたが、それもなかなかできなくなり、皆逃げてしまったのである。(マルコによる福音書14:50-52) 彼らは完全に誘惑に陥ってしまった。誘惑というのは、まさに十字架を恐れ、神様を去ることである。イエス様と弟子たちの態度がこんなに違ったのは、どんな差から来たか?それは祈りの有無である。祈りがこんなに大事である。祈りがある人は十字架も軽く持ち上げるが、祈りのない人は小さな石にもつまずいて転んでしまう。
誘惑に陥らないことを願っているか?誘惑に負けないことを願っているか?本当に世の中に勝ちたいと思っているか?イエス様の方法しかない。祈りなさい。第一も、第二も、第三も祈りなさい。祈りしかない。神様は祈る者に能力を加え、復活の勝利に導いてくださる。あなたの人生で眠っている祈りの目を覚ましなさい。今すぐ目を覚ましなさい。'誘惑に陥らないように覚めて祈りなさい'とおっしゃった神様の最後の御声をそむけないでほしい。この御声をそむけると、あなたの人生が神様からそむけられるかも知れない。
  
3.        イエス様はどのふうにお祈りしたか?
十字架の嵐に吹かれた際、イエス様はどの風にお祈りしたか?
イエス様のお祈りは我らの創造を超えた強烈なお祈りであった。
‘イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。’(ルカによる福音書22:44)
イエス様が如何に懇切に祈ったか、うまく語っている。それこそイエス様は全力を尽くして、腸がねじれる程の神様に渾身の力を注いでお祈りを捧げられた。そうしたら、イエス様の御顔から落ちた汗がまるで血の滴るようにたらたらと落ちたのである。
‘お祈りは労働’と言った。それでイエス様のお祈りには汗が伴われた。最近早天礼拝のごとに多くの人が全身が汗だらけになる程、祈られて感謝しているのである。イエス様のゲッセマネでのお祈りが我が教会にリバイバルされたようである。苦難に襲われたのか?汗が血の滴るようになって地面に落ちるほどのイエス様のようにお祈りしよう。天使の助けで十字架を通られるだけでなく、リバイバルの栄光も味わえると確信する。
それでは、イエス様のお祈りの内容は何だろう?
‘…「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」’(マタイによる福音書26:39)
もちろん、イエス様も自分の願いを求めた。しかし、お祈りの目的はそれではなかった。自分の願いよりは神様の願いが、自分の喜びよりは神様の喜びが、自分の目的よりは神様の目的が叶われるようにお祈りした。
イエス様のお祈りは次のように変えることができる。
‘父よ、たとえこれらが私にとって苦しみと大した問題になるとしても、神様に栄光を返せ、神様の目的を叶うのに要るなら、絶対にこれらを私から過ぎ去らせないでください。’ これがイエス様の最後のお祈りであった。このお祈りのお陰で十字架は立てられて、我らは神様の目的によって救われたのである。
イエス様のお祈りは自分の目的ではなく、‘神様の目的’を叶うためのお祈りであった。
私の喜びと神様の喜びが一致される時は全然問題にならない。しかし問題は私は苦しんでいるが、それが神様の喜び(目的)になる時である。このような時に我らは度外れなことに誘惑される。 誘惑に遭いやすい時である。どうしても神様が理解できない。‘主日礼拝も真に捧げて、十分の一献金もちゃんと捧げて、食事の奉仕も真面目にやったのに、どうして我が家にこのような苦難があり得ましょうか?神様、あり得ません。どうして私でしょうか?何で? 何で? 何で?…’
神様が我らに小さな十字架をくださった時である。イエス様も、罪のない方が神様の目的のため、十字架の重罪を背負われた。これは世の理知としては説明できない。人間の考えでは理解できない。このような時には祈るしかない。人間は理解できなかったら、誤解に陥ってしまう。 誤解に陥った人は誘惑に遭ったと言う。お祈りは誘惑に遭わないようにする神秘な能力をもっている。だから、イエス様は‘誘惑に遭わないように目を覚まして祈りなさい’と弟子たちに強くおっしゃい、自分も実践して打ち勝たれた。普段も弟子たちがお祈りについて教えてくださいと言った時に‘わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。’(マタイによる福音書6:13)と祈りなさいとおっしゃった。
主がなさっていることが理解できないのか?祈りなさい。
試練に遭わないで欲しいのか?目を覚まして祈りなさい。
世の誘惑に陥らないで欲しいのか?イエス様のように祈りなさい。
すると、神様の目的を完全に叶うようになるのである。
‘目覚めよ、わたしの霊よ。
わたしは曙を呼び覚まそう。’(詩篇57:9)

7 コメント

이용규목사

2008-10-03 20:02:31

바쁜 중에도 이 진애, 박 재훈 자매님의 번역 헌신으로
일본어 설교를 올립니다.
감사합니다.

中森千草

2008-10-03 22:54:18

目的が神様に変わると、生活も自動的に変わる。

神様の喜びのために私は造られていると感じ、そして、もっと正しく生きなければという目標ができる。

神様の御心に逆らうと、人生のサイクルが逆周りし、滅びという結果が待っている。

よく理解していても、何を恐れているのか、行動できないでいる自分がいる。

クリスチャンという誇りをもって、堂々と歩くことが難しい環境。

でも、神様は私に光を与えてくださった。

イエス・キリストの血潮を無駄にする人生にならない生き方をしていきたい。

木下 

2008-10-04 05:01:27

私は、お祈りをするとき、神様を喜ばせるためのお祈りが優先的に行なわれていないことが多いと思います。自分のためのお祈り、自分を喜ばせるためのお祈りが無意識的に行なっていることが多いと思います。日常生活でも自分の喜びを優先して神様の喜びを後回しにしているのでしょうか。お祈りにおいても、日常生活での聖書の御言葉の適用においても自分のことだけを優先するのではなく、神様の喜びのために心を込めて行なえるように努めていきたいと思います。

安間チョウコ

2008-10-04 20:42:37

イエス様が汗が血に変わるほどに全身全霊を込めて祈っているのに、パウロもヤコブもヨハネも起きている事が出来ず、挙句の果てはイエス様をおいて逃げてしまった。私もきっと弟子と同じく、イエスすさまのことを思わないで、自分のことの方が大事で同じ行動を取ってしまうだろう。
そして誘惑に陥りたくない、陥らないとおもっても、体が負けてしまうだろう。2日の日に韓国の娘とおもって付き合ってきた人から電話が入った。日本で韓国人と結婚し、娘が出来たが離婚をしてしまった。韓国の親元に帰り、最近は仕事も上手く行かない、両親とも上手く言ってないという。なぜこのようになっていったのかと、神様に祈ることしか出来ない。神よ、知恵を彼女に与えてください。

古郡武志

2008-10-05 00:50:50

冒頭の牧師先生のメッセージです。
忙しい中でのイ・ジネ姉妹とパク・ジェフン姉妹の翻訳への献身により
日本語の説教の掲載をします。
ありがとうございます。

以下リップルです。
今早天礼拝に行くと、終わりに手を高く掲げて、「主よ!」と3回叫んでお祈りしている。
記憶の限り、私がこのような祈りに初めて接したのは、韓日連合聖会の時であった。結構お年を召した牧師先生が壇上で絶叫していたが、あまりの迫力にその牧師先生の血管が切れてしまうのではないかと思ったし、圧倒されたというか、端的に言うと違和感を感じたのである。日本では、「祈る」というと心静かに目を閉じて黙想するという姿が一般的なイメージであるので、日本の人にはなじみがないスタイルなのかもしれない。でも、最近は、力強く叫ぶというスタイルも、心からの叫び・魂の叫びの表現として少しずつなじみ理解できるようになってきた。
 広く社会生活を見渡し、一般的に力強く叫ぶのはどういう場合かを考えてみると、「怒り」「喜び」「悲しみ」などの感情がほとばしる場合ではないか?人に裏切られどうしようもなくその人への憎悪が高まる場合や思わぬ幸運に恵まれて得をした場合や大事なものを失った場合など…実は世の中で叫ぶ場合は、思考の軸が自分を中心に回転している。理由なく傷を負わされた自分が可哀相だ…得をしたことが嬉しい…物を亡くしたことが悲しい…基準は自分である。たしかにこのような時は叫びやすい。私が、比較的大きい声を出しているのはどういうときであろうか?職場で意見をたたかわせているときとかだろうか?
もちろん会社を良くするために意見を言っているつもりだが、実は心の奥底には、自分を認めてもらいたいとか相手を軽んじるとかそんな感情ではないか?偉そうにものを言っても所詮自分のためではないのか?
 イエス様は、苦難の中、「父の御心のままに」と祈られた。それに対して、自分の祈りは何だったのか?自分中心の願望の吐露ではなかったのか?
 神様の願い・喜び・目的のために、魂からそして心から叫ぶことのできるクリスチャンになりたいと願う。

田辺高幸

2008-10-05 07:06:56

教会では基督者、教会出れば非基督者。見事なる二枚舌。自分の過去を目に浮かべる。それは、以前の僕の姿。

そんな僕に訪れた変化。聖書を読みながら歩いていた時のこと。「あなたは世の光である」という箇所を呼んだときのこと。聞こえて来たのは空から。「お前は正しく生きなさい」。確かに聞こえた。空はいつもと変わらない風景。でもそれは聞こえた。空から。心に聞こえた。それから。私生活でも基督者になろうと思ったのは。俺は見られている。神に見つめられている。間違いなく眼差しを感じる。僕の人生の目的は、邪悪さがまだ心に残っているから、聖書を読んで悔い改めを繰り返し、それで正しく生きれるようにすること。それで今までやってきた。正直言って、まだ足りないけど、少なくともそんな人となり神を喜ばせたい。昔は何でも出来ると思っていたが、年齢を重ねて知ったのは、やれる範囲など自分には限界があるということ。だから、これだけでも果たしたい。これが今の心境。

お祈り。でも最初はよく出来なかった。意味が分からない。でも、それが神との交わりであることを知ったとき。自然と両手を握り、目を閉じて、神に話すように座るようになっていた。それは弟子訓練で知ったこと。弟子訓練は、お祈りすら知らない自分に、神が基本を教えるために導いた場所だった。

でも、心をさらけ出せない。自分の本心など人に聞かれたくもない。恥ずかしいことばかりして悔い改めを繰り返している自分を見せたくない。だから出来ない。それが変わったのは、木曜賛美会で、ある先生に、日本人は思いをさらけ出せないからいけない、こういう場所だから声を出して、祈りなさいとアドバイスを受けたとき。初めて声を出して祈った。初めて神様と会話できた気がした。それからだ、自分に奇跡が起き始めたのは。

神を喜ばせることが自分の知らなかった目的。それは何か?僕はあの時、空から聞こえてきた声だと信じる。まだヤニ臭さが残り、避難もされようが、何とか努力し本数は確実に減らせている。吸いたいときに、肉に負けるのか、お前は、といい聞かせながら。そんな人だから、まだまだ目的には達せてないけど、そのように僕は生きる。

윤현명

2008-10-11 06:05:56

こうした田辺さんのこと、応援している。神様は我々のお金、地位、身分、実力ではなく、切実な心を求めるかたなんだから。この世のものを求める中でも天国への希望があるね。堅い信仰で行き進むとき、神様の栄光が現れることを待つ。

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