「従順口座」
御言葉//ヨシュア7:10-12
1. 三つの口座
人生には、3つの口座がある。
1番目は、皆がよく知っていて、たくさん関心を持っている口座である。それは、肉(体)の口座である物質(銀行)口座。この口座をよく管理すると、お金が貯まる。
2番目は、心の口座である感情口座。感情口座は、スティーブン・コヴィーが「7つの習慣」という本でよく説明している。感情口座の管理がうまい人は、人が集まる。感情口座の残高がないと、人間関係が危ない。いつも不安と緊張の連続で、少しでもよくないことが起こると、すぐ爆発してしまう。いわゆる時限爆弾のようである。しかし、感情口座の残高がたくさん残っていると、心に余裕がたくさんできる。それで、たとえ相手が自分に大きな過ちを起こしてもそれが問題にならない。なぜなら、すでに積んでおいた信頼が、その過ちを十分かばってくれるからだ。
良い人間関係のためには、普段その相手との信頼を積んでおかなければならない。これを、感情口座に規則的に預け入れなければならない。一番いい方法は、相手を指摘し直そうとしないで、たとて子どもであっても、真心で理解してあげ、彼の言葉を聞いてあげることだという。
3番目は、霊の口座である。この口座の残高が多いと、神様の御心を得る。行く先々で勝利と祝福を得る。これが果たして何だろうか。どの口座にたくさん預け入れれば、この素晴らしいことが起こるのだろうか。それは、「従順口座」である。聖書は、最初から最後まで従順口座の祝福について語っている。
「(あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、)あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。」(申命記28: 6)
「そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」(ヨシュア1:8)
「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。」(申命記28: 2)
人生において、従順口座がこのように重要である。従順口座に貯金をたくさんしておいた人は、どんなことがあっても、問題にならない。どの大変な目にあっても、どの悪人にあっても、どのことが起こっても、大丈夫である。従順口座の力が彼を守って上げるだけでなく、むしろ万事が益となるように共に働くからである。
そのため、私たちは普段この従順口座にたくさん貯金しておかなければならない。もちろん、従順口座は、「従順」以外には貯金できない。神様の喜ばれるすべてのことが、それを行うたびに従順の貯金箱に一銭ずつ貯まるようになる。あなたが祈る度に従順口座の残高は上がり、御言葉を読む時も、奉仕をする時も、伝道をする時も、礼拝をささげる時も、属会に参加する時も、十分の一の献金をささげる時も、あなたの残高は少しずつ上がるであろう。
物質口座をよく管理すると、物質が貯まり、
感情口座をよく管理すると、人が貯まり(集まり)、
従順口座をよく管理すると、祝福が貯まる(もらえる)。
2. 準備された従順
イスラエルの民が戦った、エリコ城の戦闘とアイ城の戦闘が、「従順口座」の威力についてよく説明している。エリコ城の戦闘は、従順口座の黒字が持ってきてくれた立派な勝利の姿を見せていて、アイ城の戦闘は、従順口座の赤字による完敗の姿をよく見せている。
まず、エリコ城の戦闘の従順口座を見てみよう。
ヨルダン川を渡ったイスラエルの民は、強敵であるエリコ城を目の前にして何をしただろうか。驚くことは、彼らは戦争の準備は全くせずに、ただ従順の準備に専念した。(ヨシュア5章)戦争で、従順よりよい準備はないからだ。(サムエル上17:47)
ヨルダン川を渡るなり、神様は常識外れの命令をヨシュアに下される。
「そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。」(ヨシュア5:2)
その当時は、全く割礼を施すような状況ではなかった。割礼は、男性の生殖器の皮を切る手術(包茎)であるために、戦争を目の前にしているイスラエル軍隊には致命的な打撃だった。すべての軍人が、戦闘力を失ってしまう。この先例が、創世記34章に出ている。シケム民族が滅亡された原因が、この割礼だった。このことを知っているイスラエルにとって、本当に従順できない神様の命令だったに違いない。「神様!話にもならない命令をどうしてお命じになりますか。今がどんなときかご存知ですよね。軍人を皆手術させ、動けないようにするのはどういうことですか。私たちの前に今敵が完全武装している姿がお分かりになりませんか。これは、話になりませんよ。本当にひどくありませんか?」当然、このように神様に強く抗弁することもできたはずである。
しかし、ヨシュアとイスラエルの民は違った。彼らは、何も言わずにすぐ従った。(ヨシュア5:3) 口数が多いと、従順ができない。時間がたってしまうと、従いにくくなる。神様の御言葉があると、なるべく口数は少なくして、後回ししないように。そうすると、従順が妨げられない。
本当に従順できない状況で従順したのが、エリコ城の前での「割礼従順」だった。彼らは、自分たちの力を全部委ねた。全面的に、神様だけにつき従った。この従順を通して、戦争での勝利は自分の力ではなく、全面的に神様にあるということを告白したのである。真の従順は、これである。
自分のすべての力を委ねて、神様だけにつき従うことが、力のある従順の姿である。神様はモーセを呼ばれてお使いになるときにも、この従順をお受けになった。(出4:24-26)
イスラエルの民は、団体の割礼従順を通して、「従順口座」に従順をたくさん貯金することができた。そして、続けてもう一つの従順が記録されている。それは、「過ぎ越し際の従順」である。この従順は、その当時神様がお命じになった従順ではなかった。40年も前に命じられたにも関わらず、それを覚えて守った。いかに忙しくて生死の岐路に立っていても、神様に礼拝をささげることを最優先にしたのである。「今は礼拝なんかささげる場合じゃないよ。」ではなく、そのときこそ彼らは礼拝をもっと大事にした。すべての結果は、私たちの肉の準備によるものではなく、神様の御手によるものだからだ。「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる(決定は神様がなさる)。」(箴言16:1―新改訳)
ヨシュアとイスラエルの民は、エリコ城を目の前にし、二つの従順を通して彼らの「従順口座」を満たした。「割礼従順」を通して、全面的に神様だけにつき従う姿を見せ、「過ぎ越し際の従順」を通して、どの状況でも神様を高める姿を失わなかった。彼らは、戦争の準備はせずに、従順の準備だけ一生懸命した。それで、彼らは戦わずにエリコ城を崩した。彼らの従順を通して、神様がなさったからだ。彼らは、エリコ城の周囲を歩くことだけしたのに、エリコ城は崩れた。従順の人は、このように力がある。従順の人は、歩くだけでもそこに神様のお働きがある。エリコ城の勝利は、従順の勝利だった。彼らの徹底的に準備された従順が、完璧な勝利を生み出した。
3. 隠された不従順
しかし、アイ城はどうだったか。
アイ城は、エリコ城の1/10にもならないとても小さい城だった。アイ城は、イスラエルの兵士が直接攻撃をしたにもかかわらず、大敗してしまった。その理由が何だったのだろうか。軍事力の不足ではなかった。神様の敗北の理由を正確に語られた。「隠された不従順」のせいだと。
「イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。」(ヨシュア7:11)
それで、彼らは自ら呪いと敗北を呼んでしまったのである。
不従順は呪いを呼び、従順は祝福を呼ぶ。
アカン一人の不従順がイスラエル全体の敗北を呼んでしまった。
アカンは、エリコの戦闘で神様の御言葉に逆らって、物を盗んだ。その結果がエリコの戦闘ではなく、その次の戦闘(アイ)で出てきた。エリコの戦闘の勝利も、その前に貯金しておいた従順の結果だった。
過去の従順が現在の勝利を産み、現在の従順が未来の勝利を約束し、
過去の不従順が現在の敗北を産み、現在の不従順が未来の敗北を呼ぶ。
あなたの未来は、現在のあなたの従順によるものである。
エリコの戦闘では準備された従順があって、アイ城の戦闘では隠された不従順があった。これが勝敗を決めた。
今、あなたの人生の中には何があるのか。準備された従順か?隠された不従順か?
隠された不従順は、なるべく早く解決しなければならない。悔い改めて、神様に再び戻ってこなければならない。それによって、勝利の扉が再びあなたに開くであろう。
あなたの従順口座は黒字か?赤字か?
「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。」(申命記28: 2)
あなたの従順口座!このままでいいのだろうか。
どうか、祝福される運命を、呪われる運命に変えないように!
御言葉//ヨシュア7:10-12
1. 三つの口座
人生には、3つの口座がある。
1番目は、皆がよく知っていて、たくさん関心を持っている口座である。それは、肉(体)の口座である物質(銀行)口座。この口座をよく管理すると、お金が貯まる。
2番目は、心の口座である感情口座。感情口座は、スティーブン・コヴィーが「7つの習慣」という本でよく説明している。感情口座の管理がうまい人は、人が集まる。感情口座の残高がないと、人間関係が危ない。いつも不安と緊張の連続で、少しでもよくないことが起こると、すぐ爆発してしまう。いわゆる時限爆弾のようである。しかし、感情口座の残高がたくさん残っていると、心に余裕がたくさんできる。それで、たとえ相手が自分に大きな過ちを起こしてもそれが問題にならない。なぜなら、すでに積んでおいた信頼が、その過ちを十分かばってくれるからだ。
良い人間関係のためには、普段その相手との信頼を積んでおかなければならない。これを、感情口座に規則的に預け入れなければならない。一番いい方法は、相手を指摘し直そうとしないで、たとて子どもであっても、真心で理解してあげ、彼の言葉を聞いてあげることだという。
3番目は、霊の口座である。この口座の残高が多いと、神様の御心を得る。行く先々で勝利と祝福を得る。これが果たして何だろうか。どの口座にたくさん預け入れれば、この素晴らしいことが起こるのだろうか。それは、「従順口座」である。聖書は、最初から最後まで従順口座の祝福について語っている。
「(あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、)あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。」(申命記28: 6)
「そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」(ヨシュア1:8)
「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。」(申命記28: 2)
人生において、従順口座がこのように重要である。従順口座に貯金をたくさんしておいた人は、どんなことがあっても、問題にならない。どの大変な目にあっても、どの悪人にあっても、どのことが起こっても、大丈夫である。従順口座の力が彼を守って上げるだけでなく、むしろ万事が益となるように共に働くからである。
そのため、私たちは普段この従順口座にたくさん貯金しておかなければならない。もちろん、従順口座は、「従順」以外には貯金できない。神様の喜ばれるすべてのことが、それを行うたびに従順の貯金箱に一銭ずつ貯まるようになる。あなたが祈る度に従順口座の残高は上がり、御言葉を読む時も、奉仕をする時も、伝道をする時も、礼拝をささげる時も、属会に参加する時も、十分の一の献金をささげる時も、あなたの残高は少しずつ上がるであろう。
物質口座をよく管理すると、物質が貯まり、
感情口座をよく管理すると、人が貯まり(集まり)、
従順口座をよく管理すると、祝福が貯まる(もらえる)。
2. 準備された従順
イスラエルの民が戦った、エリコ城の戦闘とアイ城の戦闘が、「従順口座」の威力についてよく説明している。エリコ城の戦闘は、従順口座の黒字が持ってきてくれた立派な勝利の姿を見せていて、アイ城の戦闘は、従順口座の赤字による完敗の姿をよく見せている。
まず、エリコ城の戦闘の従順口座を見てみよう。
ヨルダン川を渡ったイスラエルの民は、強敵であるエリコ城を目の前にして何をしただろうか。驚くことは、彼らは戦争の準備は全くせずに、ただ従順の準備に専念した。(ヨシュア5章)戦争で、従順よりよい準備はないからだ。(サムエル上17:47)
ヨルダン川を渡るなり、神様は常識外れの命令をヨシュアに下される。
「そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。」(ヨシュア5:2)
その当時は、全く割礼を施すような状況ではなかった。割礼は、男性の生殖器の皮を切る手術(包茎)であるために、戦争を目の前にしているイスラエル軍隊には致命的な打撃だった。すべての軍人が、戦闘力を失ってしまう。この先例が、創世記34章に出ている。シケム民族が滅亡された原因が、この割礼だった。このことを知っているイスラエルにとって、本当に従順できない神様の命令だったに違いない。「神様!話にもならない命令をどうしてお命じになりますか。今がどんなときかご存知ですよね。軍人を皆手術させ、動けないようにするのはどういうことですか。私たちの前に今敵が完全武装している姿がお分かりになりませんか。これは、話になりませんよ。本当にひどくありませんか?」当然、このように神様に強く抗弁することもできたはずである。
しかし、ヨシュアとイスラエルの民は違った。彼らは、何も言わずにすぐ従った。(ヨシュア5:3) 口数が多いと、従順ができない。時間がたってしまうと、従いにくくなる。神様の御言葉があると、なるべく口数は少なくして、後回ししないように。そうすると、従順が妨げられない。
本当に従順できない状況で従順したのが、エリコ城の前での「割礼従順」だった。彼らは、自分たちの力を全部委ねた。全面的に、神様だけにつき従った。この従順を通して、戦争での勝利は自分の力ではなく、全面的に神様にあるということを告白したのである。真の従順は、これである。
自分のすべての力を委ねて、神様だけにつき従うことが、力のある従順の姿である。神様はモーセを呼ばれてお使いになるときにも、この従順をお受けになった。(出4:24-26)
イスラエルの民は、団体の割礼従順を通して、「従順口座」に従順をたくさん貯金することができた。そして、続けてもう一つの従順が記録されている。それは、「過ぎ越し際の従順」である。この従順は、その当時神様がお命じになった従順ではなかった。40年も前に命じられたにも関わらず、それを覚えて守った。いかに忙しくて生死の岐路に立っていても、神様に礼拝をささげることを最優先にしたのである。「今は礼拝なんかささげる場合じゃないよ。」ではなく、そのときこそ彼らは礼拝をもっと大事にした。すべての結果は、私たちの肉の準備によるものではなく、神様の御手によるものだからだ。「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる(決定は神様がなさる)。」(箴言16:1―新改訳)
ヨシュアとイスラエルの民は、エリコ城を目の前にし、二つの従順を通して彼らの「従順口座」を満たした。「割礼従順」を通して、全面的に神様だけにつき従う姿を見せ、「過ぎ越し際の従順」を通して、どの状況でも神様を高める姿を失わなかった。彼らは、戦争の準備はせずに、従順の準備だけ一生懸命した。それで、彼らは戦わずにエリコ城を崩した。彼らの従順を通して、神様がなさったからだ。彼らは、エリコ城の周囲を歩くことだけしたのに、エリコ城は崩れた。従順の人は、このように力がある。従順の人は、歩くだけでもそこに神様のお働きがある。エリコ城の勝利は、従順の勝利だった。彼らの徹底的に準備された従順が、完璧な勝利を生み出した。
3. 隠された不従順
しかし、アイ城はどうだったか。
アイ城は、エリコ城の1/10にもならないとても小さい城だった。アイ城は、イスラエルの兵士が直接攻撃をしたにもかかわらず、大敗してしまった。その理由が何だったのだろうか。軍事力の不足ではなかった。神様の敗北の理由を正確に語られた。「隠された不従順」のせいだと。
「イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。」(ヨシュア7:11)
それで、彼らは自ら呪いと敗北を呼んでしまったのである。
不従順は呪いを呼び、従順は祝福を呼ぶ。
アカン一人の不従順がイスラエル全体の敗北を呼んでしまった。
アカンは、エリコの戦闘で神様の御言葉に逆らって、物を盗んだ。その結果がエリコの戦闘ではなく、その次の戦闘(アイ)で出てきた。エリコの戦闘の勝利も、その前に貯金しておいた従順の結果だった。
過去の従順が現在の勝利を産み、現在の従順が未来の勝利を約束し、
過去の不従順が現在の敗北を産み、現在の不従順が未来の敗北を呼ぶ。
あなたの未来は、現在のあなたの従順によるものである。
エリコの戦闘では準備された従順があって、アイ城の戦闘では隠された不従順があった。これが勝敗を決めた。
今、あなたの人生の中には何があるのか。準備された従順か?隠された不従順か?
隠された不従順は、なるべく早く解決しなければならない。悔い改めて、神様に再び戻ってこなければならない。それによって、勝利の扉が再びあなたに開くであろう。
あなたの従順口座は黒字か?赤字か?
「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。」(申命記28: 2)
あなたの従順口座!このままでいいのだろうか。
どうか、祝福される運命を、呪われる運命に変えないように!
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인생의 최소치 막대기를 늘려라34 |
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従順口座4 |
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従順の巨人4 |
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謙遜3 |
2008-04-23 | 503 |
4 コメント
中森千草
2008-06-12 07:00:17
彼らの従順な姿を見て、私はこれでも信仰者なのかと、自分自身がはずかし思いをするときがあります。彼らに関心だけで終わるのではなく、神様に従順する姿を自分にも取り入れ、世の中に出していきたいと思います。
神様を最優先に考え、御言葉に従い、従順によって勝利を手にできるようにしていきたいです。
安間チョウコ
2008-06-12 07:04:55
今日の礼拝で、私は食卓に、お金や名誉や欲望に盛られた食卓を神様の前に差し出したが、神様は「それは私の喜ぶ食卓ではないと言われた。私の食卓は、私をまず重んじる食卓。」といわれた。
聖霊をもっともっと意識することともいわれた。私たちの中では聖書と聖化が大切とも。
日本の教会は聖霊についてよくわかっていないのではないかと以前書いたことがあるが、聖霊についてしっかり捕らえておくことはキリストの本質を知ることと思う。神様もキリストも大切だが聖霊は今の私たちは意識的に非常に大切にしなければならないと思う。私たちの心でありながら、神様の神殿である。私は世俗に生きていながらも、心は修道院を持っていて世俗を離れてお祈りする場所を持っている。何と素晴らしいことだろう。自分自らが神と対話をするとき心を開いて奥深く奥深く交流するとき浄化、カタルシスの涙になる。この経験は聖霊を知らないとなかなか出来にくいのではないか?
今私はJCMAという総会が8月22,23,24日にあり、そのテーマが「現代の霊性を考える一スピリチュアルケアについて一」という現実にマッチしたテーマと思うが、その準備をしながらいろんな参考書を読みながら1キリスト者としての挑戦を受けている。日本人は無宗教が70パーセントといわれる。確かに人が死ぬと火葬場に直行してそこで葬儀屋に司会をしてもらい、骨は散骨したり、無宗教の墓に名前だけ刻んでもらったり、霊園に墓を買っても家族が記念日を覚えて自分たちでして宗教は介入しないということがあるという。このような生き方は自由気ままでよいと思うのかもしれないが、心、魂、霊性のケアを御自分でしてこなかったのはむなしかったのではないかと思ってしまう。
昔の私ならキリスト教に縛られるより無宗教の方がよいかもしれないと思ったこともある。しかしこの教会に来て聖霊がいつも私の中におられるし、聖なる場所を確保するためには聖霊がなくてはならないのだ。このことを今の若者にどう理解していただくか?最近長老の大切さが言われている。長老とは牧師や、年齢のいった指導的立場の人を言うのかもしれないが、この教会なら昔からの秩序は今現在も、成立しているから、弟子訓練、使役訓練を受けたものとしては、聖霊をいつも聖化し、磨きながら、どのように世に働きかけるかを考え続けなければと思う。
ユジンさん今までありがとうございます。12月には大きくなったソノちゃんと赤ちゃんと帰って来て下さいね。お祈りに覚えています。
田辺高幸
2008-06-12 08:29:56
古郡武志
2008-06-13 17:37:15
私たちが関心を持っているのは物質口座か感情口座であり、従順口座にはあまり関心がない。給与が支給され、預金残高が増えると、嬉しくないものはいないだろう。もちろん、わたしも、預金残高が増えれば、自然と顔もにんまりする。そして、感情口座も、社会人を引き付ける考えではある。自分の考えや感情を制御して、人を引き付けるということは、人脈を広げることであり、それだけビジネスチャンスを産むということである。
何故、従順口座にあまり関心がないかといえば、従順によって将来与えられるという祝福が可視的ではなく、容易には認識し得ないからであろう。従順によって与えられる祝福は、ATMのように、今従順したから、すぐに祝福が与えられるというものではあるまい。
現在の従順が約束してくれるのは、未来の勝利である。信仰は、「目に見えないもの」を信じる力だというが、「目に見えないもの」を信じる力はどこから来るかと言えば、従順のよる将来の祝福を約束してくれる御言葉に関する全幅の信頼であろう。
「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マルコによる福音書7章24節)これは、弟子訓練での暗唱箇所だが、人生を強固・堅固にするのは、従順だと教えてくれている。この聖句をきいて思うのは、岩の上に自分の家をたてることの困難性であろう。岩を杭で打ち抜いて堅固な基礎を作るのは容易なことではあるまい。私の生活の中では、岩ではなくて、泥の上に家を建てなくなってしまうような誘惑が多いのであろう。例えば、「あ…ちょっと…今やると失敗しちゃうので、また後で…」など。泥の上に家を建てても、へなちょこな家だというのに…御言葉に基礎を置かず、カメレオンがその時時の状況に応じて変色するように、自分もその時時の環境に従順しがちなのだと思う。
さて、実は、このリップルを書いていてふと思ったが、実は、従順口座が増えると、物質の口座と感情の口座も増えていくのではないかと思った。
財産も神様が与えて下さった大切なものと認識することにより、無駄なことにお金を使うのをやめることにより、物質の口座残高も増え(節制)、怒りなどを抑え、誰にでも親切に優しく接するように努力することで人間関係も円滑化する(柔和)。
「節制」も「柔和」も御言葉が聖霊の果実と教えてくれているものの中に入っているのだが、もちろん聖霊に従っていき、聖霊の実が豊かに結ぶように歩んでいくことも従順の一つの形だと思う。
いずれにしても、これまでの従順は、時を選んだり、自分の気に入るものだけ従順したりなど不完全な従順であり、口座残高は、借入金の方が多い状況と言わざるを得ないだろう。「過ちては改むるにはばかること勿れ」と論語にもあるように過去の不従順を振り返りくよくよ思い悩むよりも、従順を積み重ねて、黒字転換のリバイバルを起こせるように頑張らねばならないと思う。