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중앙영광교회

どうすれば、どんなことにも感謝することができるか?

이용규목사, 2007-10-31 01:08:34

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「どうすれば、どんなことにも感謝することができるか?」

御言葉//ダニエル6:11
(注:韓国語の聖書では6:10の御言葉が、日本語の聖書では6:11になっています。)

1. どんなことにも感謝しなさい。そうすると、奇跡が起こる。
「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(デサロニケ一5:18)
どんなことにも感謝すると、それこそ神様の御心に適うことになる。神様の御心とは、神様が望んでおられることである。もし、私たちが神様の望んでおられることをすると、神様はいかに喜ぶだろうか。神様はいかに満足なさるだろうか。そして、神様はどうなさるか。神様の御手は神様を喜ばせる者に対してお働きになる。これを、私たちは「奇跡」という。
奇跡は、感謝する人についていく。
今日も、奇跡は起こる。どんなことにも感謝する人に!!!
「一生感謝」という本を見ると、ある女性の執事の話がある。
結婚したが、ご主人が酒好きで、それが彼女の大きなとげだった。
10年以上お祈りしながら待っていたが、ご主人にはまったく変化がなかった。
ある日のことだった。その日もご主人は、相変わらず酒に酔っ払って体もうまく支えることができず、玄関に倒れてしまった。重たいご主人をやっとベッドまでつれてきてみると、自分のことがとてもかわいそうに思えた。神様にも不満が出た。「神様、私があんなにお祈りしたのに、どうして、私の夫は酒をやめないでしょうか。私ももう我慢できません。」といいながら、涙とため息をついていた。しかし、その時、先日牧師先生の説教をいきなり思い出した。「どんなことにも感謝しなさい。そうすると、奇跡が起こる」という内容だった。それで、その御言葉とおり感謝しようとすると、感謝することがなくて感謝ができなかった。言葉にもならないことだが、感謝することを作って、彼女は感謝しはじめた。
「酒に酔っ払っていびきをかきながら寝ている夫を見ると、情けないけど、いないよりはいるほうがましと思って、感謝します。あんなに酒に酔っ払っても、他のところに行かずに、いつも家までちゃんと帰ってきて、家で寝ることに感謝します。酒をあんなにたくさん飲んでも、今まで病院に行ったことがないことに感謝します。土曜日は酒をもっとたくさん飲んじゃって、日曜日になるといつも横になっているので、私が教会に行くことを邪魔しないから、感謝します…」
こういうふうに感謝のお祈りをしつづけると、気持ちもよくなってきた。ご主人を見ながら、微笑んで、お祈りをしているとき、ご主人がトイレに行くために起きた。妻のこの変な(?)姿を見て聞いた。妻は、実際のことを全部話した。夫を見ながらこのような感謝のお祈りをすると、自然に笑いが出たといった。これを聞いたご主人は、「酒ばかり飲んでいる夫と一緒に住んでいることを感謝するから、申し訳ないし、ありがとう。私はこれからあなたの願い通り、酒をやめて、教会に行くことにするよ。」と、奇跡のような変化が現れた。
10年以上涙のお祈りをささげても変わらなかったご主人の心が、感謝のお祈り一発(?)で完全に変わってしまった。感謝のお祈りがいかに威力があるかが分かる。
不満の言葉は人(相手)の心をもっと硬くするが、感謝のお祈りは神様の御手を動かす。「どんなことにも感謝しなさい。そうすると奇跡が起こる。必ず!!!」
ダニエルは感謝の祈りで獅子の洞窟から救われ、パウロは感謝のお祈りで牢から出せられ(使16:25)、イエス様は感謝のお祈りで五つのパンと二匹の魚の奇跡を起こした(マルコ6:41)。あなたの感謝のお祈りが、あなたの人生をどのように変えるか、もう期待できるのではないか。

2. 3つの種類の感謝
だれでも神様の御言葉とおりに感謝したがっている。しかし、それが思ったとおりうまくできない。どうすれば、どんなことにも感謝することができるか。それを話す前に、まず、感謝にも種類があることを知っておこう。
1番目の感謝は、感情から来る感謝である。いい環境が与える感謝である。環境や条件がよければ、まったく努力しなくても本能的に感謝が出る。この感謝はだれもできる。習わなくても自然に出るようになっている。感謝することがあるのに、感謝できない人はいない。これは、初級の感謝である。大勢の人々は錯覚をしている。あたかも、この初級の感謝だけ感謝であるように思っている。そのため、感謝することがないのにどうして感謝ができるかと文句を言う。私たちがどんなことにも感謝するためには、本能的な感謝の他にも感謝があることを必ず知っておかなければならない。
2番目の感謝は、意志から来る感謝である。すべてのことには必ず感謝する要件がある。
一度考えてみよう。神様はどんなことにも感謝しなさいと明確におっしゃった。感謝することがないのに感謝しなさいとおっしゃる理由があるまい。
どんなことにも必ず感謝する要件がある。ただ、自分がそれを見ることができないだけである。悟らないだけである。見つけてみると、必ず感謝の要件はある。
バラを見てみよう。バラには、花ととげと葉っぱがある。ここで何を選択するか(見るか)は完全に自分の判断によるものだ。これは、決して神様が与えてくださることではない。神様はただ、すべての人々にバラを与えてくださるだけである。しかし、同じバラを見ても、ある人はきれいだと感動する反面、ある人はとげに刺されたと痛み、また他の人は何の反応も見せない。なぜだろう?その人の意志的な選択が違ったからである。見るものが違ったからである。
花を選択して花に心が集中している人は、「バラ」というといつもきれいな花だけを思い浮かべる。そのため、彼はいつも感謝とよい気持ちになる。彼はこう賛美するだろう。「ここも神のみくになれば…(賛美歌78章)」
反対に、とげを選択した人は、過去とげに刺された痛い経験を思い浮かべながら、文句をいい、「重き荷のすべてを…(賛美歌363章)」をつぶやくだろう。
しかし、思ったより葉っぱを選ぶ人が多い。葉っぱが多いからでもある。彼らは、葉っぱに隠れてどんなことも感じられない。ただ、無味乾燥な、陳腐な人生を生きる。このような人は人生に喜びも、感謝もない。
あなたは今バラの何を見ているか。
今「何を見るか?」が「何を感じるか?」を左右し、「何を感じるか?」は「どんな人生を生きるか?」を決める。先の女性の執事の感謝がまさにこの感謝である。彼女の人生にはバラよりとげがもっと多かった。しかし、彼女はとげ(酔っ払いのご主人)に心を奪われなく、花を見つめながら、意志的に感謝した。それで花のような美しい人生に変わったのである。この感謝が中級の感謝である。この感謝は、世の人々もきちんと決めてよく訓練すれば十分できる。
感謝の人生を生きたいか。ないことを考えないで、あることを考えながら、いただいた祝福を数えてみよう。人生のとげを見ないで、意志的に人生の花を見つめていこう。そうすると、あなたの人生にも花が咲くだろう。
環境につれられていく感謝ではなく、環境をつれていく感謝の主人公になろう。

3. どんなことにも感謝ができる方法
では、3番目の感謝について探ってみよう。この感謝には、どんなことにも感謝ができる秘密が入っている。
これは、世の人々は絶対真似できない感謝である。ただ、信仰の人だけができる感謝である。3番目の感謝は、霊(信仰、神様)から来る感謝だからだ。感情から来る感謝や意志から来る感謝とはレベルが違う。この感謝が高級の感謝であり、どんなことにも感謝できる能力である。「ダニエルの感謝」がこの3番目の感謝の姿である。
ダニエルは自分が獅子の洞窟に投げられて死ぬことを知っているものの、一日3回ずつ神様に感謝のお祈りをささげた(ダニエル6:11)。彼の周囲には全部死のとげしかなかった。この環境でダニエルはどうして感謝ができたか。神様に感謝すること自体が死の理由であることを知りながらも、なぜ彼は命より感謝を選んだのか。ダニエルにおいて、感謝は命より大切だったのである。
死の前でも感謝ができたダニエルの力は果たしてどこから来たのだろうか。
彼は、世がもっていないことをもっていた。それは、世が耐えられない力であり、世に打ち勝つ力である。それが何か知っているか。「信仰」である。
「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それは【わたしたちの信仰】です。」(ヨハネ一5:4)
彼の信仰の前では、死の力も降伏するしかなかったのである。そのため、彼はこの力によって、死の勢力の前にも堂々と感謝することができたのである。
「信仰だけ、信仰だけ、力だとおっしゃる」(賛美歌)
感謝のカギは信仰である。
どんなことにも感謝する力は、つまり「自分の信仰」から出る。感謝する要件がないことではなく、心がないことでもない。問題は、信仰がないからどんなことにも感謝ができないのである。信仰だけあれば、ダニエルのように死の前でも感謝は自然に出る。
感謝は信仰の素晴らしい表現である。荒れ野のイスラエルの民は信仰がないことを、いつも不満で表現した。彼らが荒れ野で死んだのは、不満を言ったからではなく、実は、カナンの地に入る信仰がなかったからである。逆に、ダニエル、ダビデ、ハバククを見よう。彼らは死の陰の谷の中でも神様を賛美しながら感謝した。彼らの中には、熱い信仰の溶鉱炉がたぎっていたからである。
「いちじくの木に花は咲かず…牛舎には牛がいなくなる。
しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る。」(ハバクク3:17,18)
ルーズベルト大統領(26代)が感謝節のメッセージにこういうことを話したという。
「今日(こんにち)のアメリカの危機は、良いことを与えてくださった神様に感謝しないことにある。」
あなたの人生の危機は何だと思うか。
感謝しないことが人生の最大の危機であることを知っているか。
不平によって荒れ野を迷わず、
感謝の羅針盤でカナンに前進する人生になろう!

7 コメント

安間チョウコ

2007-10-31 05:47:41

ダニエルの感謝
収穫感謝祭の会堂の雰囲気、アトラクション、礼拝、感謝に溢れておりました。
特に私はダニエルの説教が心に響きました。
王以外には拝んではいけないといわれているのにもかかわらず、自分の信じる神に一日に3度感謝のお祈りを奉げる姿、殺されるかもしれないのに信念、信仰を貫き通す強烈なダニエルの神にささげる強さ。(確かに日本で殉教した踏み絵に似ています。)
そこで私は礼拝についてわかりました。神様への強烈な感謝の気持ちがあるから、ノアのように自主的礼拝につながり、神様の喜びに進んでなろうとまで思うのだと、それが本来の礼拝なのだとわかりました。牧師様が「하나님의 임재연습」は聖書の次に大切と思っている本だといわれたので読み始めています。使役訓練ではローマ書8章を解説していただいていますが此の世に自分の基準を置く肉の解釈、神の栄光と霊に自分の基準を置く解釈、6節の「霊の思いは命と平和」が、がぜん光を放ったのです。霊の衣を着るなら・・マタイ福音6章29節、栄華を極めたソロモンでさえこの花の一つほどにも着飾っていなかった。人工のものではなく、神がお造りになった生命にたとえようもない美しさがある、霊の衣以外に私は何を必要とするか、そして心の中が神に満たされ海のような深い神への賛美は心が平和そのものだ。これを表現するのには感謝以外にないではないか?感謝の意味は命の賛歌、生きていくことはもっともっと神との静かな語らいと、心の平和、穏やかさ、今此の世に私の命を置かせていただいている感謝に尽きる。私がキリスト教に求めていた熱望がダニエルの説教から少し解けました。

木下 

2007-10-31 06:39:17

「今日も、奇跡は起こる。どんなことにも感謝する人に。」
私は、お祈りをするときには、まず、神様への感謝することからはじめるようにしています。感情からの感謝、環境からの感謝などが大半かもしれません。自分にとって、辛いこと、苦しいことなど試練が押し寄せてきたとき、果たして自然に感謝の気持ちからお祈りを捧げることができているのでしょうか。出来ていません。そのときは、感謝の祈りよりも、「神様に今どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。私に何をお望みですか。状況がよくなりますように」等、助けを求める祈りを無意識にしていると思います。ダニエルのように、到底、感謝できない状況の中で、逆境の中で、感謝できたのはとても強い神様への信仰があったからだと改めて感じました。
何事にも感謝できる人物になれるように、努めていきたいと思います。

中森千草

2007-10-31 06:51:20

感謝をすることが、たくさんあった!と思いました。  感謝の祈りを捧げるようになってからは、心が満たされ、与えられた恵みが大きいです。  今までの祈りは、自我的な部分が大半で、神様に感謝の心を常に持つことが、勝利につながると思いました。  私は幸せです。  神様から信仰というすばらしい宝物をいただきました。  この原点である信仰を、自分の心に強くもって歩みます。

藤田弘量

2007-10-31 10:05:37

収穫感謝祭を迎え、主日礼拝を守れた喜びに感謝しています。
感謝することの大切さをあらためてかんじています。
私はすでに、神様の奇跡の力を受けています。 教会に導かれ、洗礼を授かりました。 毎週、主日礼拝で聖霊様のはたらきを感じています。 そして、音楽の才能も経験も全くない私が賛美隊JOYの一員として主を称える賛美歌を奏でる喜びを与えていただいています。 本当に潤い溢れる生活を過ごしています。
私は未だ、何事にも感謝できる人間に成長していないのに・・・・

人生において、自らの信念を貫く事ほど難しいことはありません。
社会情勢に押し流されてしまったり・・・ 組織の圧力に押しつぶされてしまったり・・・

ダニエルのような強い信仰心を与えられるように努力したいと思います。
何事にも感謝する信仰を成長させたいと思います。

日本には素敵な感謝の言葉があります。
  「 ありがとう 」

笑顔で「 ありがとう 」と言ってみることから始めてみます。

神様、私を教会に導いていただき心から感謝します。
ありがとう・・・

津田浩史

2007-11-01 09:32:10

 「どんなことにも感謝することができるか?」という問いは、私にとって非常に難しい問いだと思いました。おそらく、3つの種類の感謝に照らし合わせると、私の感謝はまだ1番目の感謝です。
 先週は仕事が順調に行っていたので、そのこと自体がありがたく感じられましたし、多少いやなことがあっても気になりませんでした。
しかし今週は、仕事や家庭の問題で頭が痛くなり、聖書を読んでもいっこうに心が晴れず、サムエル記上でアマレク人を皆殺しにする神様の命令について読んだらかえって気が重くなりました。
 疲れが出たのかもしれませんが、これほど気分の浮沈が激しいと自分でもいやになります。こんなときこそ、説教で教えていただいたように、気が重く苦しいときでも意志による感謝をするよう心がけたいと思います。せっかく感謝ノートもつけているのですし。
 そして、目標はダニエルの感謝ですね。なによりもまず神様にすべてを感謝することが、私たちの真の感謝なのですね。
 この感想文を書いて気づくことができました。
 ありがとうございました。

古郡武志

2007-11-01 16:35:42

1. どんなことにも感謝しなさい。そうすると、奇跡が起こる。
 10年以上涙のお祈りを捧げても変わらなかったご主人の心が感謝のお祈り一発で完全に変わってしまった。大変恵み深いエピソードだと思います。
 私が今不平不満を感じているのは、勉強したいのに時間がないということでしょうか?外国語、音楽、業務上必要な専門知識を深めるための勉強、勉強したいことはやまほどあるのに、仕事が忙しくで勉強の時間がない。多くの社会人が抱えている不平不満であるようにも思います。
 しかし、不平不満を言っていても何も変わりはしないし、自分にも成長はない。よくよく考えてみたら、「仕事で忙しくで時間がない」などといっても仕事が世の中には仕事もない人もいるわけで仕事があること自体にも感謝しなければならないし、多くのことを勉強する時間がなくてもたとえ一つのことであっても勉強できる時間があることに感謝しなければならないのだ。感謝することで、私が与えられたことを一生懸命頑張って最大限生かさなければというマインドにもなる。
 こうして見ると、日頃忘れがちな「感謝」の心は、自分の生活に置き換えても、自分を成長させる実際的な知恵でもあるということがわかります。
2. 3段階の感謝
 私の感謝のレベルは第1段階を抜け出して、ようやく第2段階に差し掛かったところでしょうか?
実は、自分も含め、現在の社会の力は、感謝の力が衰退していることを痛切に感じるのである。「いい環境」が与える本能的な感謝ですら、なくなりつつある。「いい環境」も長く続けば、「当たり前」のことになり、「いい環境」を支えるために多くの人がいろいろ努力をされていることも忘れてしまう。
 実は、本能に任せていると、「感謝」の心はなくなってしまう。そして「当たり前」という言葉は禁句にせねばならない。空気や水が存在するのは「当たり前」なのだろうか?いや、それは作って下さった方がいるからこそ、あるのである。
 間違いなく言えるのは、私の「感謝」の水準は、到底、「死」の力を降伏させるようなダニエルのレベルに至ってはいないということである。しかしながら、最近の自分を見ると、
いい環境にすら感謝を忘れがちな自分の心を「それではいけない」というように思い直そうするマインド、不平不満ばかりを思うのではなく、自分に与えられた素晴らしいものを見ようとするマインド、そういったものは、信仰を持つようになってから形成されてきたのだと思います。信仰の力に感謝を捧げるとともに、「感謝の羅針盤でカナンに前進する人生」を送りたいと思います。

田辺高幸

2007-11-02 09:13:22

「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙1 5章18節)。
僕は通勤途中に聖書を読んでいるのだが、この中で一番心に残ったのはこの部分であった。どんなことにも感謝をしなさいという言葉、人間はどうしても不満が合ったり、怒りを持ったり、文句が出たりといった感じで、感謝を忘れてしまう。そうすると物事はいい感じには進まず、これがまた不満、怒り、文句がもっと出てくる。悪い方向に進んでしまう。
どんなことでも感謝する気持ちを持って考えてみると、それが無くなる。そうすると気持ちが安らいでいく。良い方向に向かっていくのだ。
この例の一つは僕の趣味である絵を描くことが挙げられるだろう。最初は下手だった。最悪な絵として人前に発表されたこともある。何が言いたいのか分からないと批判されたこともある。絵の上手い人に下手と罵られたこともある。この時は、不満を持ったし、怒りを持ったし、文句も出た。だけど今だから言えるが彼らがいたから僕は絵が上手くなったのだ。今に見てろって感じで絵を描いた。そうしたら絵は上手くはなった。当時は憎しんだけど、今はむしろ彼らに感謝している。彼らがいなかったら僕は絵を描くことは辞めていたかもしれない。そして上手くなることはなかっただろう。一つのことをやっていくことの大切さも知ることはなかっただろう。今は、憎んだ相手に感謝している。
それがあるから感謝は大切だと思うのだ。それが憎んだ相手でも感謝を捧げることの大切さが分かるのだ。どんな人にも感謝をしなければいけないと思うようになったのだ。
感謝のレベルはまだ低いかも知れない。だけど、僕は実体験でこれらのことを学んだ。だから先に書いたテサロニケの信徒への手紙1 5章18節が心に非常に響いたのである。感謝。これを忘れないでこれからも生きていこうと思うのだった。

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