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중앙영광교회

神様のために

이용규목사, 2007-10-16 22:53:31

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「神様のために」

御言葉//創世記8:20

1.        神様の御心
ご自分が自ら作られた人間を、全部ご自分の手で殺さなければならない神様の御心を考えたことがあるのか。人間の堕落と乱れによって、神様は人を作られたことを悔いて心を痛まれたが、洪水で全人類を滅ぼさせるときには、いかに心を痛まれたのだろう。ひょっとして、息子のイエスを十字架に出させ、死なせたことよりもっと苦しまれたかもしれない。人類を滅ぼすときに神様がぶつかった苦しみは、それこそ私たちの想像を超える苦しみだっただろう。一人ではなくて、全人類をご自分の手で殺さなければならなかったため、これは神様ご自分に、一番残酷なことだったに違いない。
親が子どもに体罰を加えるとき、誰がもっと痛むと思うか。
当然、親のほうがもっと痛む。子どもは足で体罰を受けるが、殴る親は心で体罰を受けているからだ。子どもは目で泣くが、親は心で泣くからだ。罪悪で滅亡される人間より、滅亡させなければならない神様がもっと苦しまれただろう。
ノアは神様と共に歩んだ人だった。それで、このような神様の御心を悟ることができる人だった。彼は、神様を慰めたかった。微弱ながら、力になりたがった。そのため、箱舟から下りるなりに、心を込めていけにえを用意し、神様の御前に持っていった。そして、こういう。「神様、いかに心を痛まれたのでしょうか。おっしゃらなくても私は全部存じます。その大変な中でも、この惨めな者を助けられ、細かいことまで気を使ってくださったことも存じます。神様、ありがとうございます。神様、私の心です。受け取ってください。元気出してください。神様、愛してます。I love you, God!’
これこそ、ノアが神様にささげた最初の礼拝の姿である。
本当に純粋で美しい礼拝の姿ではないか。
ここには、自分の欲望や懐勘定のようなものは見つからない。
彼は、「自分のために」礼拝をささげたのではなく、ただ「神様のために」礼拝をささげたのである。
あなたは今まで誰のために礼拝をささげてきたか。

2.        神様のために
何をするかも大事であるが、それよりもっと大事なのは、それをする動機と目的である。礼拝をささげることよりもっと大切なことは、礼拝の動機と目的である。礼拝の目的はただ一つしかない。神様の喜びになることである。神様の満足になることである。礼拝は、「神様のため」「神様に」ささげることである。そのため、ノアも「神様のために」祭壇を築いたと書かれている。(創8:20)
もし、祝福を受ける懐勘定で礼拝をささげたり、ほめられるためにささげると、それは結局自分のためにささげる礼拝になる。このような礼拝は、すでに礼拝ではない。人間の欲望を満たす堕落した道具に過ぎない。何かもらうためにささげる礼拝は、堕落した礼拝であり、詐欺性礼拝である。100点満点の礼拝をささげたいか。自分を見ないで神様だけ見上げなさい。自分の満足を求めないで、神様の満足を求めなさい。「どうすれば神様の喜びと満足になるだろう」このことにだけ集中しなさい。礼拝で自分が何かをもらおうとしてはいけない。礼拝はもらうことではく、ささげることである。自分が神様のために心をささげ、精を入れることである。もちろん、礼拝は「見る」ことでもない。いったい、何を見るというのか。祭壇を見るということか。説教者を見るということか。聖歌隊を見るということか。人々を見るということか。「礼拝を見る」をいうことばは、教会の用語で一番許せないことばである。礼拝に参加するどの人も、見物人に転落してはならない。皆が礼拝の選手にならなければならない。神様の喜びになるために、皆が走らなければならない。
「私は、どんなことがあってもこの礼拝を通して神様を喜ばせる!」
自分が満足する礼拝ではなく、神様が満足なさる礼拝が生きた礼拝であることを忘れてはならない。神様を喜ばせる卓越な方法は、「礼拝」である。ノアおじいさんのときから今まで、神様は真な礼拝を探しておられる。「父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」(ヨハネ4:23)      


3.     あなたのために―神様のために
創世記6:14の「あなたのために」と、創世記8:20の「神様のために」は見事に御言葉の一対になっている。神様はノアの「ために」救いの祝福をくださり (創6:14)、ノアは神様の「ために」感謝のいけにえをささげた。
すべてのものは、入ることがあって、出ることがあるときこそ健康である。
関係も同様である。「私はあなたのために、あなたは私のために」。これより健康な関係はない。健康なクリスチャンになりたいか。ノアのようにこういうふうに生きればいい。「神様は私のために、私は神様のために」。
こういう話がある。ある人が、天国と地獄に行ってみると、食べ物は全部同じだが、天国にいる人々は皆顔色がよくて健康だったけれど、地獄にいる人々は皆飢え死の直前だった。その原因を調べてみたら、スプーンに解答があったようである。天国と地獄のスプーンは、全部長さが3メトル程度の大きいスプーンだが、熱くて半ばはまったく触れず、端っこだけ握られるように作られていた。そのため、地獄にいる人々は、そのスプーンで自分の口だけに食べ物を入れようとしているから、全然食べられなかった。しかし、天国にいる人々は違った。元々、他人に仕える訓練がよくできていたため、彼らはその大きいスプーンで遠くにいる人まで食べ物を食べさせた。そうすると、その人々はまた自分たちに食べ物を食べさせた。それで、天国は皆が健康に生きていたのである。環境が天国を作るのではなく、他人に対する思いやりが天国を作る。互いが互いのことにまず気を使い、心配してあげて、慰めてあげるとき、そこが家庭でも、教会でも、会社でも、学校でも、天国になる。
あなたが今気を使わなければならないのは、「彼が私のために」ではなく、「私が彼のために」である。「彼が私のために」は彼の分であり、「私が彼のために」だけ私の分であるからだ。すべての問題は、自分が自分のするべきことをうまくするときから解けるようになる。アメリカの有名な政治家のことばのように、「その人が自分のために何をしてくれるかを考えないで、自分がその人のために何をしてあげるか」を常に考える人が、健康な関係のリーダになり、主人公になる。
ノアは箱舟から降りるなり、「神様がこれから私のために何をしてくださるか」を考えないで、「私が神様のために何ができるか」を先に考えた人である。これがノアの偉大さであり、力であり、神様が感動なさったことである。
「私は神様のために何ができるか。」
「私は家族のために何ができるか。」
「私は教会のために何ができるか。」
「私は隣人のために何ができるか。」
この考えがあなたを偉大な人物にさせるであろう。
ノアのこの偉大な考えが、今あなたの一番の考えになるように祝福する。

4.    ノアの礼拝
最後に、ノアが神様にささげた礼拝の姿を探ってみよう。
1) 自発的礼拝
ノアは誰かからさせられたのでなく、自ら自発的に神様に礼拝をささげた。これについては以前詳しく説明した。
2) 祭壇の礼拝
ノアは礼拝をささげる前に、まずいけにえをささげる祭壇を築いたという(創8:20)。ニューヨークに行くと、日本の観光客も多く訪れるという有名な教会がある。 Times square churchという教会である。
私たちが主日礼拝に着いたのは、賛美が始まる30分前だったにもかかわらず、すでに人々が並んで待っていた。案内者の案内で席が割り当てられ、座ってみると、大勢の人々がお祈りを持って礼拝を準備していた。牧師の方々は祭壇の上で真剣にお祈りしていて、信者らは祭壇の下で祭壇をつかんでお祈りしていた。本当に恵み深く、美しい姿だった。彼らは礼拝のために早く出て、まず一生懸命お祈りの祭壇を築いていたのだ。あなたのお祈りの祭壇はどうか。手抜き工事か。あるいは基礎を作ることさえ考えていないのか。
3) 清い礼拝
ノアはすべて清ぱ物の中から、また選んで神様にささげた。実に、最高に心を込めた礼拝であった。神様は私たちが体と心と精を全部込めて礼拝をささげるときに、一番喜ばれる。(マタイ22:37)これが生きた礼拝である。体は来ているものの、考えは他のところに行っている礼拝は、偽りの礼拝に過ぎない。しっかりして礼拝をささげなければならない。
4) 焼き尽くす献げ物の礼拝
ノアはいけにえを全部焼き尽くして神様にささげた。最初の焼き尽くす献げ物のいけにえは、ノアによってささげられた。焼き尽くす献げ物の礼拝は、ノアが開発(?)した礼拝の方法である。

この4つの礼拝を一言でいうと、「神様のために」ささげた礼拝である。 
ノアの礼拝があなたの礼拝に転移されるよう祝福する。
礼拝を無視する人は、神様を無視する人である。
礼拝が生きると、人生が生きる。



8 コメント

박유진

2007-10-16 22:54:43

訳が遅れてしまい、申し訳ありません。

田辺高幸

2007-10-17 07:33:04

박유진さん、訳していただき感謝します。
はじめから感謝で始まってしまったが、やはり感謝が大切だなと思った。僕はお祈りをする時に、神様の感謝は自然とでるようになってきた。お守り下さってありがとうございます、と。
ノアは神様が自分のためにして下さったことに感謝を持っていた。ノアは神様に愛された人だったから、その愛に感謝していた。だから礼拝を捧げるとき、愛と感謝があふれるものになったのだろう。
僕たちが生きていけるのは、神様のお陰である。それは間違いがない。神様は僕らのことを本当に愛して下さっている。それを心から感じれば、やはり感謝しかない。
神様、これからも僕たちを愛して下さいますよネ。だから僕たちは、愛をもって感謝して礼拝を捧げます。これからもよろしくお願いします。
そんな心境になったし、これを忘れることなく維持していこう。そしていつも神様に喜ばれる礼拝を捧げようと思っている。

藤田弘量

2007-10-17 08:54:47

教会に導かれて本当によかった。心から感謝しています。

日本に生まれ、この国の文化の中で育った私にとって宗教といえば神社、仏閣です。
この国の歴史、宗教文化を否定するつもりは全くありません。ただ、大多数の日本人が仏教徒であるわけでもなく、八百万の神々を信じているわけでもありません。
それなのにお正月には大多数の日本人が初詣に出かけます。
私もお正月に初詣に行く大多数の日本人でした。
なにを信じるか? なんて考えたこともありません。
重要なのは、ご利益があるのはどこか? です。
どうかご利益がありますように・・・・・・
名前も知らない神様に、意味の解らない念仏を唱えていたのでしょう。

ノアのように心から神様を愛して、神様の心の痛みを察して、精一杯の捧げものを備えて、心をこめた礼拝をささげる。 
神様の喜びになるために。
神様の満足になるために。
神様と自分が心でつながっていればこそ、こころの礼拝です。

とっても素敵な賛美歌があります。
JOYの一員として心をこめて賛美したいです。

  主の喜びとなりたい 心をあらたにして 綺麗な器となり
  光と塩になりたい 願いはひとつ 主の喜びとなる
  願いはひとつ 主のまんぞくになる

礼拝が生きると人生が生きる・・・・ 神様に喜んでいただける礼拝ができるクリスチャンに成長したいと思います。


安間チョウコ

2007-10-18 02:36:49

ノアの礼拝
奏楽から始まる日本の礼拝には畏敬する神と対面する緊張感をもって出席した。礼拝は神の言葉を牧師にとりついでいただくもの、だから示された御言葉と説教の内容が自分の中で一週間の糧となり、感謝で受け、それを感謝献金として表わすのが礼拝と思ってきた。神から一方的に受け取るものが礼拝と思ってきた。
ところが今回の牧師の説教は違っていた。ノアが神に礼拝をささげる。中央栄光教会に来て礼拝は、人間自らが、賛美歌を歌ったり、お祈りしたり、神に自らをささげようとするのが本来の礼拝だと弟子訓練を受けて教えていただいた。お祈りも礼拝の一つではあるが、もっと賛美、もっと神に捧げようという気持ちがこもっているのが礼拝で、日曜日教会でされるのだけが礼拝ではなく日々の中でも礼拝は出来る、と私は理解したのだが、それでよろしいでしょうか?
そうなのか、礼拝は神から降りてくるとばかり思って長年過ぎてしまった万年一年生の私の礼拝態度、ノアの礼拝は私にとって180度逆転するコペルニクス的大転換であった。日曜日教会に行くのはうれしい、神に触れ、神の言葉を聞けるからと単純に思ってきた。私が教会の礼拝に行くときの準備は取るに足らなかった。ノアの礼拝は今生きている存在そのものが神への賛歌で、全て奉げつくすものだ。ここまで純粋に積極的に・・・本当は私もノアのようになりたい。しかし私はまだノアのように純粋になれないまま生きているところがある。それを悲しい人間だと自分自身で見ている、信仰の薄い、力不足の私を許してください。

中森千草

2007-10-18 06:11:18

完璧ですべて行われることに無駄がない神様なのにとても苦しまれて、私はこれから神様を失望させてはいけないと思いました。 神様に求めていたもの、喜ばれたいと思っていたこと、神様の栄光ではなく、自分自身の欲望でした。 優先順位のトップではなかったです。 神様、神様、と言いながらも、実際には自分の思いが一番でした。 神様に賛美を捧げるのに、途中からかっこよく歌おうってしてる自分に気がついて、賛美を捧げる事が出来なくなってしまいました。 神様の大好きな賛美を捧げることが出来なくて、今とても苦しいです。 教会が神聖なる場所であり、今までの私自身の意識を変えて挑まないといけないと、強く思いました。

古郡武志

2007-10-18 08:32:18

1. 「神様、愛しています。I love you,God」!
  以前女性から「愛するとはどういうことなのか?」と問われたときがあった。そのときは、私は何も答えられずに押し黙ってしまった。
  結局「好き」は単に感情的にある人に心が惹かれているという状態であるが、「愛する」とは「自分がその人のことをひたすら思い、大切なものを犠牲にできる」ということではないかと思う。
  「愛する」という言葉は人に対して使うものであり、何となく絶対者である神様に使うというのは違和感を感じる向きもあったが、「ひたすら思い、大切なものを犠牲にできる」という感情をさすのであれば、もちろん神様に対しても躊躇なく使える言葉であり、そして私たちは、私たちを作って下さった神様を心を込めて愛さなければならないと思う。そうすると、「自分は心から神様を愛しているのか?」「愛しているなら、何を神様のために犠牲にしたのか?」という問いが必然的に発生する。
2.「自分を見ないで神様だけ見上げなさい。自己の満足を求めないで、神様の満足を求めなさい。」
 1の最後の問いに対する回答としては、「はい。心から神様を愛しています。だからこそ毎日時間をかけて祈り、主日礼拝もまもって、貴重な時間を捧げているのです」と言いたいところであるが、本当にそう言えるのか?
 毎日祈りをしても賛美と感謝をおろそかにして、自分の願望リストを神様に突きつけるだけの祈りに堕していないのか?主日礼拝は、牧師先生の説教から自分を高めるための話をきき、属員たちとの暖かい交流から心のやすらぎを得るために行っていて、神様を喜ばせることが二の次になってはいないか?礼拝の本道から外れ勝ちな自分のマインドに警鐘を与えるものと受け取りました。
3.「環境が天国を作るのではなく、他人に対する思いやりが天国を作る。」
  弟子訓練を通じて、キリスト教信者として、少しでも美しい姿を見せられるようになりたいと思います。小さくてもよいので、思いやりで天国を作ることのできる力になりたいです。神様や他人が自分のために何をしてくれるかを待ち望む人間ではなくて、少しでも「神様や他人のために何をできるか」を考えられる人間に軌道修正していきたいです。(「弱い人の叫びに耳を閉ざす者は、自分が呼び求める時が来ても答えは得られない。」という聖書の一節が心にとても残っているのです。)
4.「考えは他のところに行っている礼拝は、偽りの礼拝に過ぎない」
 祝福を受ける懐感情や教会の仲間と楽しく過ごしたいという思いに支配される感情を脱して、すべてを与えて下さった神様に感謝しながら、「神様の満足・喜び」をしっかりと考えられる礼拝を捧げるように努力したいと思います。

津田浩史

2007-10-19 08:55:18

「洪水でノア以外の人間を滅ぼしたときの神様のつらい気持ち」-今まではこうした見方をすることはありませんでした。しかし、罪深きためとはいえ、自ら愛すべき子供として作った人間が、突然の洪水になすすべもないままおぼれ死んでいくのを見ることは、神様にとって本当につらいことだったと思います。
そのような神様の気持ちをノアが察し、神様のために「宥めの香り」による礼拝をささげたのですね。今まで気付かなかった深い意味を教えて下さり、ありがとうございます。自分の礼拝も、自分の願いを神様に叶えていただこうとするものでなく、まず神様を崇め賛美し、神様が喜んで下さるように、心からお祈りをささげるものにしていきます。
 あと、藤田さんの感想を読んで自分も思ったのですが、日本での一般的な「仏教徒」のうち、クリスチャンが神様を崇めて心から礼拝をささげるのと同じくらい真剣に「御仏」を崇めてお祈りをし、イエス様による救いと同じくらい強く「御仏」による救済を確信し、聖書の教えと同じくらい経典の内容を理解し、それを自分の生活を律する教えとして守っている人が、いったいどのくらいいるのでしょうか。おそらくごくわずかだと思います。
 昔の自分を含め、多くの人は「神社=初詣/お宮参り/七五三/結婚式」、「お寺=葬式/供養」という機能でしか考えておらず、信仰によって救いや教えを得られている人は少ないのではないか、最近はこう考えるようになりました。私見ではありますが、日本での伝道について、これが多少なりとも参考になればと思います。
 言葉足らずでまとまりのない文になりましたが、今後も神様のために礼拝をささげたいと思います。

木下 

2007-10-20 14:59:21

ノアは箱舟から降りるなり、「神様がこれから私のために何をしてくださるか」を考えないで、「私が神様のために何ができるか」を先に考えた人である。これがノアの偉大さであり、力であり、神様が感動なさったことである

ノアは箱舟の中で、長い忍耐の時を過ごして、ようやく箱舟から出られた場面を考えてみました。私なら箱舟から出られた開放感でいっぱいになり、すぐどこか安全な場所を探して、疲れた心と体を休めてしばらくゆっくりとしていたでしょう。しかし、ノアは箱舟から降りてすぐに神様へ礼拝を捧げたといいます。苦しく辛く耐え難いほどの期間の中においても、ノアのように、自分のことではなく、神様のことを考え、神様のために何ができるのかを考えられるのは本当に難しいことだと思います。試練が訪れることによる忍耐の期間も、忍耐の期間が過ぎた後もどのように考え、どのように行動すべきなのか...心に響きました。

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