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중앙영광교회

管理者が賞賛された理由

이용규목사, 2009-11-14 23:58:23

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「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである。』と言われた言葉を思い出すようにと」(使徒言行録20:35)
イエス様がこの地に来られたことは受けるためではなく、与えるためです。イエス様はご自分の命を私たちに神様との和解のための捧げ物として与えるために来られました。神様の愛を私たちに注いであげるために来られました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないはずがありましょうか。」(ローマの信徒への手紙8:32)
信仰は神様の恵みを受ける器である。だから信仰を持つもの以上に恵みを持つ者はいない。
神様のものをすべて受け取ることが出来る人であるためだ。神様は私たちの器に愛、救い、罪の許し、御子、賜物、恩寵、永遠の生命、天国・・・等 天の全てのものを盛って下さいました。
信仰を持つことは確かに人生最高の祝福といえる出来事です。
神様はなぜ私たちに全てのものを残さず下さったのでしょう?
神様は私たちが神様の通路になることを願っておられます。私たちを通して世の中に神様の愛と恵みが流れることを願っておられます。
「あなた方に新しい掟を与える。互いに愛しなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書13:34)
私たちは愛の管理者としてこの地で選ばれた者なのです。

1、管理者が賞賛を受けた理由。
イエス様は弟子たちに次のようなたとえのみ言葉を言われました。(ルカによる福音書16:1-13)
 ある金持ちが管理者へ自分の所有物を預けたが、この管理者が財産を浪費しているという噂を聞きました。主人は怒ってこの管理者を解雇する計画を立てました。管理者は心配になりました。解雇されれば、食べていくすべがないからです。そこで管理者は自分なりに対策を考え出しました。主人に借りのある人を一人づつ呼んで、油を百斗借りている人には50斗を帳消しにして、小麦を百石借りている人には20石を帳消しにしてあげました。そうすれば自分が解雇された後に彼らが家に迎え入れてくれるだろうと期待したからですい。しかし、おかしなことが起きました。主人がこの事実を知ったのですが、怒ったのではなく、管理者の行ったことを賢くふるまったと賞賛して下さったのです。この言葉は、世の常識では理解の行かない言葉です。なぜ主人は怒らないで、賞賛したのでしょうか?主人は神様で、管理者は私たちであるからです。神様は私達が与える生き方をすることを喜ばれます。神様は私たちに任せられたものを善なることに使うことをお喜びになられます。
このたとえは霊的に見なければ、解釈できません。
ここでは金持ちの主人は神様であり、管理者は私たちをさします。神様は私たちに必要なものはすべてくださいました。私たちが持っているもののなかで神様が与えてくださらなかったものは一つもありません。神様は私たちに時間も、お金も、健康も、才能も、家族も、すべて管理人の私たちに預けてくださいました。私たちの人生は管理者の人生です。1番目は最初に万物の主であられる神様がお作りになり、そして私たちに万物を治めなさいといって与えられたからであり、2番目は死んでいくほかない命を主が代価を支払って生かしてくださったからです。
「あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(コリントの信徒への手紙一6:19,20) 「だから、あなた方は食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ、10:31)
管理者が持つ財産はつまり神様が私たちに預けられた財産で、現実的な観点から見れば私たちが所有している財産を意味します。誰かが財産をたくさん持っていたところ、貧しい人が貸して下さいと言って来たので、1000万円を貸してあげました。しかし、後で事情を聞いたところ、貧しい人の状況は本当に気の毒なものでした。その人は老いた両親を養い、子供も6人もいるのに、夫は病気で寝ており、妻が他の家の日雇い仕事をしてやっと飢えをしのいでいたのです。そこで、お金を貸した人は借りた人を呼んで、苦労が多いことをいたわり、800万円を帳消しにしてあげるので残りの200万円を後で状況が良くなったら少しずつ返しなさいといいながらお米100㎏まで持たせて送り出したとしたら、人々はこの人をどのように評価するでしょうか?この人に対して怒りを感じるでしょうか?あるいは本当に良い人だと賞賛し、表彰でもしなければならないと言うでしょうか?世の中にこのような良い人はいません。だから、主人は管理者を賞賛するのです。
そうです。私たちは神様の管理者なのです。神様は私たちに任されたもので貧しい人を助け、善なる事をするとき、神様は賞賛されます。神様は私たちに任せられたものを積み上げておくのを喜ばれるのでなく、善なることに使うことを喜ばれます。
神様は管理者である私たちが神様が下さったもので善なることをすることを願っておられます。

2.管理者の意識
私たちも管理者のように神様から賞賛を受ける人生を充分に生きることが出来ます。一つのことだけ変えればよいのです。私が持っている全てのものを「自分のもの」とする考えを捨てねばなりません。すべてのものが主であられる神様のものです。神様が少しの間私に任してくださったのです。私たちはただの管理者に過ぎません。「管理者の意識」さえ確実に持っていれば、誰でも「管理者の賞賛」を受けることが出来ます。間違った「主人意識」にとらわれると、私たちは決して喜んで帳消しにすることが出来ません。私たちのものならどんなに惜しいことでしょう。神様は私たちにすべてを与えてくださいました。私たちを通して世に与えるためです。この通路をふさがってはいけません。「管理者意識」でこの通路をきれいに通さなければなりません。そのときに神様の賞賛のみ声もよく聞こえることになるのです。
「神様のものは我がものと固執しながら生きてきました。金の宝貨、子供達さえ主のものであるのに、私のものだと。主よ、不忠実な僕を許してください。預けてくださった財産、使命を主のために使います。」(福音頌)
ある日イエス様のところに金持ちの青年が来て質問をした。(マタイによる福音書19:16-22)
「先生、永遠の命を得るには、どんな善い事をすればよいのでしょうか。」
ここでイエス様は二つの話をなさいました。第一は「あなたが生命を得たいのなら、掟を守りなさい」、第二は「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」といわれました。前の話で管理者が借りを帳消しにすることは、貧しい人に自分の所有物を売って与えることと同じで、このことはまさにイエス様が言われる最高の善行です。だから主人である神様が賞賛するのは当然のことなのです。
神様は言われました。「だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、誰があなた方に本当に価値あるものを任せるだろうか。」(ルカによる福音書16:11) 私たちは世の財産を任せられたものです。この財産については神様に忠実でなければなりません。神様に喜びのために遣わなければなりません。そうでなければ、神様の国の本当の財産を私たちに任せることが出来ないのです。
イエス様は私たちに骨のある言葉を話されました。「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」(ルカによる福音書16:8) 世の子ら達よりも信仰の子は管理者の仕事をもっと知恵深くしなければならないのに、そうできないことを心配されています。神様のご心配通り今日あちこちで「信じる人がとてもひどい」という声が聞こえてきます。信仰の人が決してけち臭くあってはなりません。神様の豊かさのように心の豊かな人にならなければなりません。神様の豊かさで世の貧しさに対して責任を負う人にならなければなりません。これが管理者としての姿です。

3.ロックフェラーの人生
ロックフェラーは43歳で世界最高の金持ちになりました。しかし、気の毒にも53歳で病院から1年以上は生きられないと死刑宣告を受けました。彼は全ての髪の毛から眉毛まで抜けてしまい、消化もできず、ようやく一日に牛乳一杯で命をつないでいました。彼は不眠症で寝ることも出来ませんでした。ある日聖書を開いて読んでいて、ルカによる福音書の6:38を通して神様のみ声を聴きました。「与えなさい。そうすれば、あなた方にも与えられる。押入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。」
このみ言葉で彼の人生は完全に変わりました。「集めるだけの人生」から「与える人生」になりました。ある日は、病院に行って、貧しい母と娘を目撃しました。娘が重病にかかって入院を絶対しなければならないのに、入院費がなく、病院側は入院させることは出来ないと頑強に拒否しました。けれども母は娘が生きるために、入院費は後で必ず返すので入院をさせて欲しいと哀願しました。この場面を見ていたロックフェラーは自分の秘書に命じて入院費全額を支払うようにしました。娘はロックフェラーのおかげで入院することになり、体も回復へ向かいました。遠くからこの少女を眺めていたロックフェラーはこのときの自分の心を自叙伝に次のように書いています。「私は今まで生きてきて、このように幸福な生き方があることを知らないでいました。」神様は与える人に世が与えることのできない幸せを下さいます。
神様は与える人に天のものを下さいます。神様は与える人に健康と生命も下さいます。
ロックフェラーは神様に切に祈りました。「神様、私に健康を回復させてください。私が長く生きたいためではありません。神様が私に下さったお金を世のために使いたいのです。私に世界に分け与える時間を下さい」
このあと一年が過ぎたが、彼は死にませんでした。10年経とうと、20年経とうと彼は死にませんでした。彼は98歳まで神様が下さった財産を熱心に世のため使い、天国へ行きました。神様は善なることをする管理者を探しておられます。神様のものを任せる者を探しておられます。神様のみ心のままに世に与えられる人を探しておられます。
「与えよ、そうすればあなたにも溢れるばかりに与えられるだろう」
世の中に小さいものを与えるものには、神様が大きいものを必ず任せて下さいます。
「お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。」(マタイによる福音書25:21)
「ごく小さなことに忠実なものは、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実なものは、大きなことにも不忠実である。」(ルカによる福音書16:10)

3 コメント

이용규목사

2009-11-14 23:59:16

안마상이 번역을 해 주셨습니다.
귀한 섬김에 감사드립니다.

中森千草

2009-11-15 03:42:40

すでに神様が与えてくださったプレゼントを眺めたとき、
最高の贈り物であり、すばらしい祝福を受けていたのだと。
大きなことはしていませんが、与えることは自分の手から物が
離れていくことなのに、なぜかうれしくなり、気分が良くなる。
この喜びが欲しいためなのか、与えるという行いは続いている。
信仰者として生きることが、本当の喜び、幸せを感じることができるだろう。
神様の子どもとして生きられることは、何より感謝の思いでいっぱいです。



古郡武志

2009-11-29 06:45:40

管理者が賞賛された理由

米国でも韓国でも寄付の文化が盛んであるという話をよく聞くが、日本ではそうでもないらしい。というか私自身も寄付とかはあまりしたことがない。
やはりいざ財布からお金を出そうとすると、いろいろ自分の欲望があらわれてくるので、なかなかお金を出せないのである。
このお金でおいしいものが食べられるだとか、あれも買いたいとかこれも買いたいとか旅行ができるとか…

さて、そんなけちん坊の私も以前寄付をしたことがある。
中国で四川大地震が発生したときにユニセフを通じてわずかな額を寄付したことがある。
日本が地震国であるからか他人事とは思えず寄付をした次第である。
寄付をしたことで具体的に何かいい事があったかというと決してそんなことはない。
「ありがとう」と言われたわけでもないし、何かお礼の品を受け取ったわけでもない。
しかし、遠い異国の地で自分の出したお金が毛布なり食料に換わり、寒さや飢えを凌ぐ役に立っているかと思うとちょっぴり嬉しい気持ちになった。
そして、いつも私に生じるせこい感情が生じることもなかったのである。
ロックフェラーが出会ったような人生を変える大きな出来事というのではないが、与えることの幸せをちょっぴり味わった瞬間である。

自分の欲望を満たすために自分の手に財物を握りしめたい人間にとって、すべてを自分のものではなく神様から任せられたものだという前提で取り扱うことは正直相当に難儀なことである。
 しかし、すべてのものを神様から任せられたものだという認識をきちんともつことで人生は破滅から免れることができる。時間やお金を変なことに使えないという意識になるのである。
思い出す。学生時代に徹夜で麻雀をしたときのことを…
眠気で意識が朦朧とした状態で麻雀牌を握り締めて「ツモ」「ロン」などと叫んていたと
きに、すでに窓の外は暗闇ではなく、朝日が差しこんできていた。朦朧とした状態で朝日を浴びながら、空しさに襲われるのである。「自分は一体徹夜で何をしてきたのだろう。」
あるいは仕事上どこぞの高級クラブに行ったときの会計で金額を提示されて空しさを感じたこともあった。「何のためにこんなにたくさんのお金を使うのか?」
欲望を充足するために時間やお金を使うとその最中は感じなくても、後で悔恨と空しさを感じてしまうのである。
そういえば、今このリップルを書いているのに使っているこのパソコンも神様から任せられたものである。時間を浪費するネットサーフィンではなく、リップルを書くのにパソコンを使うのであればきっと神様も喜んでくれるのであろう。
意外と管理者意識は生活の隅々で生きてくる。
管理者意識を大切にしたいものだ。

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