神様は成長を望まれる
親ならば子供たちに期待しながら願っていることがあります。
私たちは神様の霊的な子供たちです。神様が私たちに望んでおられる願いは何でしょうか?
神様は私たちが成長することを願っておられます。どの程度まで成長することを願っておられるのでしょうか?イエス様にまで成長することを望んでおられます。一つや二つの面だけではなく全ての面でイエス様のレベルまで成長することを望んでおられます。
‘God wants us to grow up, like Christ in everything.’(エフェ4:15)
1. 職業と人柄
神様はこのように私たちの成長を望んでおられますが、実際、神様の子供たちはどうでしょうか?多くの聖徒たちは世の中の成長には莫大な関心を持って力を尽くしますが、霊的な成長には見向きもせず生きています。ですから今日の多くのクリスチャンたちが年は重ねて行きますが、成長は出来ないのです。いつまでもおむつを付け、哺乳瓶を口にしているのです。
私たちは霊的な成長のために決断し、努力をしなければなりません。それが神様の御心であり、私たちの人生の目的であるためです。(エフェ4:15)
成長をあきらめた人は人生をあきらめた人と同様です。神様は‘どんな仕事をしているのか’より‘どんな人なのか’にもっと関心をもっていらっしゃいます。あなたの職業は天国に持って行けませんが、あなたの人柄は天国につながるためです。
神様の質問は世の中の質問とは違います。世の人々は就くことの難しい職業を持っている人を高く評価します。しかし肝に銘じて下さい。神様は‘どんな仕事をしてきたのか?’とお聞きになりません。神様はこの世でのあなたの職業にはほんの少しの関心さえもっておられません。
天国には教授もいなし、博士もいなし、社長もいなし、大統領もいません。神様は丁寧にお聞きになります。‘どんな人生を生きてきたのか?’と。神様の関心は私たちが築いてあげた業績ではなく、私たちが積み上げた人格にあります。
だから分別のある人は‘仕事に命をかけるのではなく、人格を鍛えることに命をかけます。’
聖書ははっきりと言っています。‘何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。’(コロ3:23)
初代教会の聖徒たちの職業はみすぼらしいものでした。70%の聖徒たちは奴隷でした。奴隷の仕事は動物の成す仕事と似ていました。神様はその仕事を心尽くして神様に対してするようにしなさいと彼らにおっしゃいました。神様であれば十分に出来ることなのに、なぜ神様は愛するご自分の子供たちの仕事を変えて下さらなかったでしょうか?
神様に重要なのは仕事自体ではなく、仕事をする態度(マナー)だったためです。良い仕事から良いマナーが出ることは簡単ですが、辛い仕事から良いマナーが出るのは簡単なことではありません。信じる人々が世の人々と違うのは仕事ではありません。イエス様を信じる人ならどんな仕事をするのであれマナーが良くなくてはなりません。いつも神様に対してするようにマナーを忘れてはいけません。それこそが最高のマナーであります。神様は今もあなたを通してそれを見ることを望んでおられます。それこそが神様に似た人格なのです。仕事を変えようとしないでまずマナーを変えなければなりません。そうすれば当然あなたの職業も変わることでしょう。
2.成長の方法
神様はご自分の子供である私たちの成長に想像を超える関心をもっていらっしゃいます。神様はそのためにイエス様、聖霊様、聖書、その上、状況まで私たちのために用意して下さいました。成長のためのその役割を見てみましょう。
1) 成長のモデル
私たちがよく成長するにはモデルが必要です。モデルがあれば真似することは簡単です。神様は私たちと同じ人間の姿をしたモデルを送って下さいました。そのモデルはイエス様です。イエス様は人生最高のモデルです。成長とは他のことではなく、イエス様に似ることです。
‘わたしたちは皆・・・キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。’(エフェ4:13)
‘わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。’(一コリ11:1)
そうであれば私たちがイエス様の何に似ることが真の霊的な成長なのでしょうか?
‘互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。’(フィリ2:5)
これは英語の聖書には‘think the same way that Christ Jesus thought’と表現されています。
イエス様が御考えになったのと同じ方法で考えることがまさにイエス様の御心を抱くことであり、イエス様に似ることです。霊的な成熟とは心の成熟です。心がイエス様の心に変わることです。
イエス様の人生は御自分を満足させるための人生ではありませんでした。(ロマ15:2‐3)考えの成熟とはつまり大人らしく考えることです。子供たちは自分しか考えません。子供たちは利己的です。ですから子供の考えは幼稚な考えだと言えます。しかし大人は違います。自分のことより先に他人のことを考えます。それこそが愛であります。イエス様は先に私たちのことをお考えになったため十字架から逃げられませんでした。従って私たちは‘ひたすら愛の中で’成長しなければなりません。(エフェ4:15)
考えの変化がすなわち霊的な成熟です。イエス様の御心と同じ心を持つように努力しなさい。イエス様のご慈愛と同じ愛の心を持つように努力しなさい。そうすればあなたの人生も成長の兆しが見えてくるでしょう。
2) 成長の訓練士
神様は私たちの訓練士として、教師として聖霊様を送って下さいました。
人格の成長はすなわち‘聖霊の実(愛、喜び、平和、忍耐)’です。人生の中に聖霊の実がよく実っていればその人の人生は成熟した人生だと言えます。ところで聖霊の実は人の力ではなく、聖霊様の力によって実ります。私たちの成長は聖霊様によって導かれます。ですから私たちは聖霊様を徹底的に頼らなければなりません。聖霊様から離れては決して完全な実を実らせることは出来ないからです。
‘あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。’(フィリ2:13)
‘わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。’(二コリ3:18)
私たちの人格のために働いておられる方は聖霊様です。肉体の喜びのためではなく、聖霊様の導きに従う時、人格の美しい実を実らせることが出来ます。
3) 成長の糧
神様は成長に必要な糧として聖書を与えて下さいました。ただで糧を頂いたのはどれほどありがたいことでしょうか。
‘生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。’(一ペト2:2)
‘イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」’(マタ4:4)
糧(乳、ご飯)を食べずに成長することは不可能であるように聖書の御言葉を受けないで霊的に成長することはあり得ないことです。
TVは一日3時間も見るのに聖書は3分しか読まないとしたら霊的な成長は期待できません。運動は一日2時間もするのに聖書は2分しか読まないとしたら霊的な成長は期待できません。インターネットは一日1時間もするのに聖書は1分しか読まないとしたら霊的な成長は期待できません。30分のTVプログラムを見ないで毎日聖書を読めば1年に2回聖書を読むことが出来ます。私たちはまず霊的な拒食症を治さなければなりません。御言葉を受けなければなりません。御言葉を読まなければなりません。御言葉を通した成長の一番のポイントは‘実践すること’です。
悪魔も私たちが習った御言葉を実践しない限り、聖書を勉強するだけのことは気にしないそうです。
習うことだけに気を取られて、実践できない誘惑に負けてはいけません。習うことより実践することの方が重要です。
真の実力者たちは実践することに渾身の力を傾けます。
‘このことが分かり、そのとおりに実行するなら幸いである。’(ヨハ13:17)
ムーディーは言いました。‘聖書は情報のための本ではなく、人生の変化をもたらす本です。’
あなたにとって聖書はどんな本でしょうか?
お金を使うより聖書を使うようにしなさい。お金では買えない驚きの力を体験することが出来るでしょう。聖書の使用権は神様から与えられた最高の使用権です。
4) 成長の現場
神様は成長の現場として私たちに苦しい状況を与えて下さいました。
神様は私たちの成長のために状況をたくさんお使いなります。聖書の御言葉には従わないのですが、苦しい状況に遭うと自らお祈りをもって神様に近づいていきます。神様は神を愛する者たちには万事が益となるように共に働いて下さいます。この益と言うのはイエス様の姿に似た成長を成し遂げることです。(ロマ8:28‐29)
人々は人生の中で苦しい状況に遭った時、次のような質問をしたがります。
‘神様、なぜ私にこのようなことが起きるのでしょうか?’‘なぜ私の祈りにお答えにならないのですか?’‘なぜ私がこのような苦難と苦痛を味わわなければなりませんか?’
神様は私たちが楽な人生を生きることではなく、成長することを望んでおられます。
厳しい状況は楽な人生を生きるには役に立ちませんが、成長するには最高の環境であります。良い訓練場はあえて障害物をつくっておきます。そうすることによって質の良い訓練を受けることができ、真の実力者に成長することが出来るからです。
‘しかし、神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。わたしを試してくだされば金のようであることが分かるはずだ。’(ヨブ23:10)
神様の十字架は最高の苦難の現場でした。
神様は最後まで耐えておられました。十字架から降ろされる時までではなく、十字架で完全に亡くなる時まで忍耐なさいました。十字架は成長の現場です。十字架は復活の種です。あなたの前に絶望の十字架がありますか?神様の十字架を覚えなさい。絶対に逃げてはいけません。神様が御認めになるまで耐えなさい。
GIVE UP(放棄)しないでGROW UP(成長)しなさい。
それこそが神様があなたにお与えになった人生の目的であるためです。
‘あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。’(ヤコ1:4)
親ならば子供たちに期待しながら願っていることがあります。
私たちは神様の霊的な子供たちです。神様が私たちに望んでおられる願いは何でしょうか?
神様は私たちが成長することを願っておられます。どの程度まで成長することを願っておられるのでしょうか?イエス様にまで成長することを望んでおられます。一つや二つの面だけではなく全ての面でイエス様のレベルまで成長することを望んでおられます。
‘God wants us to grow up, like Christ in everything.’(エフェ4:15)
1. 職業と人柄
神様はこのように私たちの成長を望んでおられますが、実際、神様の子供たちはどうでしょうか?多くの聖徒たちは世の中の成長には莫大な関心を持って力を尽くしますが、霊的な成長には見向きもせず生きています。ですから今日の多くのクリスチャンたちが年は重ねて行きますが、成長は出来ないのです。いつまでもおむつを付け、哺乳瓶を口にしているのです。
私たちは霊的な成長のために決断し、努力をしなければなりません。それが神様の御心であり、私たちの人生の目的であるためです。(エフェ4:15)
成長をあきらめた人は人生をあきらめた人と同様です。神様は‘どんな仕事をしているのか’より‘どんな人なのか’にもっと関心をもっていらっしゃいます。あなたの職業は天国に持って行けませんが、あなたの人柄は天国につながるためです。
神様の質問は世の中の質問とは違います。世の人々は就くことの難しい職業を持っている人を高く評価します。しかし肝に銘じて下さい。神様は‘どんな仕事をしてきたのか?’とお聞きになりません。神様はこの世でのあなたの職業にはほんの少しの関心さえもっておられません。
天国には教授もいなし、博士もいなし、社長もいなし、大統領もいません。神様は丁寧にお聞きになります。‘どんな人生を生きてきたのか?’と。神様の関心は私たちが築いてあげた業績ではなく、私たちが積み上げた人格にあります。
だから分別のある人は‘仕事に命をかけるのではなく、人格を鍛えることに命をかけます。’
聖書ははっきりと言っています。‘何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。’(コロ3:23)
初代教会の聖徒たちの職業はみすぼらしいものでした。70%の聖徒たちは奴隷でした。奴隷の仕事は動物の成す仕事と似ていました。神様はその仕事を心尽くして神様に対してするようにしなさいと彼らにおっしゃいました。神様であれば十分に出来ることなのに、なぜ神様は愛するご自分の子供たちの仕事を変えて下さらなかったでしょうか?
神様に重要なのは仕事自体ではなく、仕事をする態度(マナー)だったためです。良い仕事から良いマナーが出ることは簡単ですが、辛い仕事から良いマナーが出るのは簡単なことではありません。信じる人々が世の人々と違うのは仕事ではありません。イエス様を信じる人ならどんな仕事をするのであれマナーが良くなくてはなりません。いつも神様に対してするようにマナーを忘れてはいけません。それこそが最高のマナーであります。神様は今もあなたを通してそれを見ることを望んでおられます。それこそが神様に似た人格なのです。仕事を変えようとしないでまずマナーを変えなければなりません。そうすれば当然あなたの職業も変わることでしょう。
2.成長の方法
神様はご自分の子供である私たちの成長に想像を超える関心をもっていらっしゃいます。神様はそのためにイエス様、聖霊様、聖書、その上、状況まで私たちのために用意して下さいました。成長のためのその役割を見てみましょう。
1) 成長のモデル
私たちがよく成長するにはモデルが必要です。モデルがあれば真似することは簡単です。神様は私たちと同じ人間の姿をしたモデルを送って下さいました。そのモデルはイエス様です。イエス様は人生最高のモデルです。成長とは他のことではなく、イエス様に似ることです。
‘わたしたちは皆・・・キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。’(エフェ4:13)
‘わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。’(一コリ11:1)
そうであれば私たちがイエス様の何に似ることが真の霊的な成長なのでしょうか?
‘互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。’(フィリ2:5)
これは英語の聖書には‘think the same way that Christ Jesus thought’と表現されています。
イエス様が御考えになったのと同じ方法で考えることがまさにイエス様の御心を抱くことであり、イエス様に似ることです。霊的な成熟とは心の成熟です。心がイエス様の心に変わることです。
イエス様の人生は御自分を満足させるための人生ではありませんでした。(ロマ15:2‐3)考えの成熟とはつまり大人らしく考えることです。子供たちは自分しか考えません。子供たちは利己的です。ですから子供の考えは幼稚な考えだと言えます。しかし大人は違います。自分のことより先に他人のことを考えます。それこそが愛であります。イエス様は先に私たちのことをお考えになったため十字架から逃げられませんでした。従って私たちは‘ひたすら愛の中で’成長しなければなりません。(エフェ4:15)
考えの変化がすなわち霊的な成熟です。イエス様の御心と同じ心を持つように努力しなさい。イエス様のご慈愛と同じ愛の心を持つように努力しなさい。そうすればあなたの人生も成長の兆しが見えてくるでしょう。
2) 成長の訓練士
神様は私たちの訓練士として、教師として聖霊様を送って下さいました。
人格の成長はすなわち‘聖霊の実(愛、喜び、平和、忍耐)’です。人生の中に聖霊の実がよく実っていればその人の人生は成熟した人生だと言えます。ところで聖霊の実は人の力ではなく、聖霊様の力によって実ります。私たちの成長は聖霊様によって導かれます。ですから私たちは聖霊様を徹底的に頼らなければなりません。聖霊様から離れては決して完全な実を実らせることは出来ないからです。
‘あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。’(フィリ2:13)
‘わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。’(二コリ3:18)
私たちの人格のために働いておられる方は聖霊様です。肉体の喜びのためではなく、聖霊様の導きに従う時、人格の美しい実を実らせることが出来ます。
3) 成長の糧
神様は成長に必要な糧として聖書を与えて下さいました。ただで糧を頂いたのはどれほどありがたいことでしょうか。
‘生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。’(一ペト2:2)
‘イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」’(マタ4:4)
糧(乳、ご飯)を食べずに成長することは不可能であるように聖書の御言葉を受けないで霊的に成長することはあり得ないことです。
TVは一日3時間も見るのに聖書は3分しか読まないとしたら霊的な成長は期待できません。運動は一日2時間もするのに聖書は2分しか読まないとしたら霊的な成長は期待できません。インターネットは一日1時間もするのに聖書は1分しか読まないとしたら霊的な成長は期待できません。30分のTVプログラムを見ないで毎日聖書を読めば1年に2回聖書を読むことが出来ます。私たちはまず霊的な拒食症を治さなければなりません。御言葉を受けなければなりません。御言葉を読まなければなりません。御言葉を通した成長の一番のポイントは‘実践すること’です。
悪魔も私たちが習った御言葉を実践しない限り、聖書を勉強するだけのことは気にしないそうです。
習うことだけに気を取られて、実践できない誘惑に負けてはいけません。習うことより実践することの方が重要です。
真の実力者たちは実践することに渾身の力を傾けます。
‘このことが分かり、そのとおりに実行するなら幸いである。’(ヨハ13:17)
ムーディーは言いました。‘聖書は情報のための本ではなく、人生の変化をもたらす本です。’
あなたにとって聖書はどんな本でしょうか?
お金を使うより聖書を使うようにしなさい。お金では買えない驚きの力を体験することが出来るでしょう。聖書の使用権は神様から与えられた最高の使用権です。
4) 成長の現場
神様は成長の現場として私たちに苦しい状況を与えて下さいました。
神様は私たちの成長のために状況をたくさんお使いなります。聖書の御言葉には従わないのですが、苦しい状況に遭うと自らお祈りをもって神様に近づいていきます。神様は神を愛する者たちには万事が益となるように共に働いて下さいます。この益と言うのはイエス様の姿に似た成長を成し遂げることです。(ロマ8:28‐29)
人々は人生の中で苦しい状況に遭った時、次のような質問をしたがります。
‘神様、なぜ私にこのようなことが起きるのでしょうか?’‘なぜ私の祈りにお答えにならないのですか?’‘なぜ私がこのような苦難と苦痛を味わわなければなりませんか?’
神様は私たちが楽な人生を生きることではなく、成長することを望んでおられます。
厳しい状況は楽な人生を生きるには役に立ちませんが、成長するには最高の環境であります。良い訓練場はあえて障害物をつくっておきます。そうすることによって質の良い訓練を受けることができ、真の実力者に成長することが出来るからです。
‘しかし、神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。わたしを試してくだされば金のようであることが分かるはずだ。’(ヨブ23:10)
神様の十字架は最高の苦難の現場でした。
神様は最後まで耐えておられました。十字架から降ろされる時までではなく、十字架で完全に亡くなる時まで忍耐なさいました。十字架は成長の現場です。十字架は復活の種です。あなたの前に絶望の十字架がありますか?神様の十字架を覚えなさい。絶対に逃げてはいけません。神様が御認めになるまで耐えなさい。
GIVE UP(放棄)しないでGROW UP(成長)しなさい。
それこそが神様があなたにお与えになった人生の目的であるためです。
‘あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。’(ヤコ1:4)
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4 コメント
이용규목사
2009-10-17 23:37:35
늘 감사합니다.
田辺高幸
2009-10-18 00:51:02
僕らには大変素晴らしいお手本となる方がいらっしゃいます。主です。主の浮き世の生き方を見ると、困った人を助け、皮膚病で苦しんでいる人を助け、食べ物のない人を助け、差別されている人に手を差し伸べてと、自分ではなく他人のために生きていました。この姿に感動し、奇跡よりもこんな愛に溢れる人になりたいと思い、主に着いて行こうと思いました。僕が主と崇めたのは、そんな主の行動からでした。人の中には、キリスト者になったらすぐにこうならないといけない、と言われ批判をされたことがあります。しかし、人の生きる年月は長い訳だしノンビリでもいいから主のようになれたらいいと思っています。こうなるためには、神様と直接会話ができるわけではないから聖書を読むことが大切だと思っています。だから、朝に満員電車の中で読んでいます。そうすることで頭に入り、小さなことから出来ると思うからです。
そして僕らに宿っている聖霊様の存在も忘れてはいけないと思います。自分で思ったことをやったら失敗だらけという無惨な生き方をしてきたから本当にそう思います。常に僕の心の中にいらっしゃる方を忘れないで行って成功した例はたくさんあります。だから忘れないで生活することをしたいと思います。もちろん、人の意見もしっかり聞いて、というのもあります。何故ならいい指摘をしてくれる方は、神様が僕を成長させるために送ってくださった方だと僕は思うからです。人と人の関係は大切です。だから神様は人を作造られたんだと思います。神様はたくさんのものを下さり成長の機会を下さっています。だからこれに応じられる人になりたいと思います。神様が御認めになるように生きたいと思います。
中森千草
2009-10-18 03:15:52
しかし、苦しくはなく、神様との時間が増えて心は満たされ、
何より神様の御心が分かった今、目的に向かっていけることがうれしい。
神様の御心に達するまで、乗り越えていきます。
古郡武志
2009-11-24 08:29:53
この世で醜い差別が未だ解消されず、そして醜悪な差別に熱中する人々の醜悪な姿が今で瞼の裏に焼きついている私にとって、そんなイエス様の姿はきらきらに輝いている。
そして、イエス様はそんな姿でありながらも決して傲慢にふるまったりするのではなく、弟子の足まで洗ってあげたのである。
最近父親の背中すら流していない私としてはただただ恐縮する他ないことなのであるが、
そこまで腰を低くされていたことも本当に感動させられる。
まさに尊いモデルがいらっしゃるのである。
がそんな私の人に対する見方はイエス様のようにはいかない。
まさに職業のような外的条件についつい無意識的にも左右されてしまう。
イエス様は40日の荒野でサタンから誘惑を受けたときに、「人はパンだけで生きるものではない」と言われた。
もし自分だったらどうか?きっと「アンパンかピザパンがいいです」などと言ってしまったのではないか?
まあ、それはともかくモデルとして現実的なのはせめて先生とか会社の先輩・上司などであって、あまりにもイエス様とは距離があってモデルとしては現実的ではないように感じられる。その距離感は何といって表現してよいのかわからないが、○○光年というような感じであろうか?
昨今日本では「成長」という言葉が話題になっているが、それは政権には経済を成長させる戦略が不在だという主旨の「成長戦略が不在だ」というフレーズの一部で使われている。
今日の経済新聞の記事だったが、ある半導体製造装置の会社2社では今成長のキーワードは「長期」だという。そのうちある一社では2025年の事業環境を予測して、短期的に達成できる事業から長い時間が必要なものまでいろいろな事業を考えて実現していくという。
金融危機で短期的な利益を追求する経営姿勢の危うさを感じたからだという。
イエス様との距離は凄まじく遠いが、
イエス様への成長戦略のキーワードも「長期」でいきたい。
仮に1kmあった距離が、1日に3cm縮んで、999m97cmになれば、それでもいいのではないか?
たとえ少しずつでも近づくことに喜びを感じていきたい。
ありがたいことに、イエス様への成長戦略には、将来の予測を行って複雑な事業計画・研究計画を構築する必要はない。
聖霊に従い、御言葉という糧を得て、神様から与えられた状況から逃げないことである。
こんなにシンプルでわかりやすい成長戦略はないが、反面シンプルでわかりやすいことをきちんと続けることが如何に難しいことかは人間の経験が証明している。
経済成長戦略が不在と批判される現政権…
そんな批判を第三者的に笑ってもいられない。
私自身が「君にはイエス様への成長戦略がなく、実行もされない。」などと言われないように気をつけなければならない。