Skip to content

중앙영광교회

主を喜ばせる者

이용규목사, 2009-10-04 00:07:35

閲覧数
386
推奨数
4
主を喜ばせる者

人々は今日も何かのために一生懸命に頑張っています。
学生は進学のために、卒業生は就職のために、事業家は会社の発展のために頑張り、主婦たちは家族のために、病人たちは健康のために頑張っています。
パウロとテモテも一生懸命に頑張っていると言いました。彼らは何のためにそんなに頑張ったのでしょうか?彼らはひたすら「神様に喜ばれる者」になるために頑張っていると言いました。どれほど頑張ったかと言うと生きていようが死んでいようが霊の世界にいようが神様の喜びになることに渾身の力を注ぎました。神様に喜ばれることは彼らにとってかけがえのない重要なことでした。それはまさに彼らの人生の目的でした。
パウロとテモテは人生の目的をはっきりと分かっていました。神様はわたしたちを神様の喜びのために造られました。(黙示録4:11) 人生の一番の目的は神様に喜ばれることです。祝福される人はいつも次のような質問をしながら生きています。
それは「わたしはどうすれば神様の喜びとなるのか?」という質問です。
でも危険な人の質問は違います。
危険な人は「わたしはどうすれば自分を喜ばせるか?」と自問します。
しかし人生をあきらめた人は次のような危険な質問の答えを捜し求めています。
「わたしはどうすれば神様を怒らせるか?」
あなたの人生は今、どのような質問の答えを捜し求めていますか?

1. 成功した人生
神様はご自分の手で造られた人類をご自分の手で滅亡させようとお決めになりました。神様は洪水をもって人類を滅亡させる計画をお立てになりました。なぜ神様は人類を滅亡させようと決められたでしょうか?人々が神様の喜びのためではなく、自分自身の喜びのために生きたからです。その結果人間は堕落の沼に落ちました。
その時、神様は一人の老人を見つけられます。その人は神様の前で輝いていました。その人はノアという老人でした。「ノアは神様の喜び」でした。(創世記6:8) 神様は彼を通して人類の歴史を作り直されます。神様は彼に大いなる恵みをお与えになりました。ノア自身を含め、家族と人類を救うことを彼の手に任されます。今日わたしたちが存在するのもノアおじいさんのお陰です。神様はご自分を喜ばせる人を非常に愛されます。成功した人生は神様の喜びとなる人生です。神様はご自身を喜ばせる者に必ず御恵みをお与えになります。(創世記6:8)
礼拝とは何でしょうか?
礼拝とは神様を喜ばせるすべてのことです。
元来の礼拝は礼拝の時間にだけ捧げる限られた礼拝ではありませんでした。
エデンの園では礼拝の時間を別に設けませんでした。アダムとエバはいつも神様の御側で礼拝を捧げました。しかしアダムとエバが罪に落ちて以来、神様は強制的に礼拝の時間をお設けになりました。時間をお決めになり、必ず「礼拝を守りなさい」とおっしゃいました。このようにして定期的な礼拝の時間が作られました。
神様はイエス様を通してエデンの園の時の礼拝のように人生が常に礼拝する人生、神様の喜びとなる人生に回復することを待っておられます。人生そのものが礼拝になることを願っておられます。それで、神様はイエス様を通してわたしたちを敵から友にお変えになりました。(コリント二5:18) 神様はわたしたちと友達になることを願っておられます。
エデンの園で切られた交わりが回復されることを願っておられます。
アダムとエバはいつ罪の沼に落ちたでしょうか?神様との交わりをもっていた時は何の問題もありませんでした。少しの間出来た神様との交わりの隙間から悪魔の誘惑が入り込みました。神様との交わりを復活させなければなりません。イエス様がこの世に来られた目的も神様との交わりの回復でありました。霊的な交わりは言い換えれば神様の喜びになることです。聖書には世の中と友達になることは神様と敵になることだと書かれています。
だとすれば神様と友達になれる交わりはどのようにすれば回復できるでしょうか?

2. 交わりの王道
霊的な交わりには確かな王道があります。
それは肉的な手段より霊的な深さに頼ることです。
神様ははっきりとおっしゃいました。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている…むなしくわたしをあがめている。」(マルコ7:6-7)
礼拝は口先ではなく、心から捧げなければなりません。
礼拝の時間は自分自身を喜ばせる時間ではありません。神様を大いに喜ばせる時間です。神様を喜ばせことが出来ない礼拝は礼拝とは言えません。心と魂が神様に集中しなければなりません。
心のこもった祈り、心のこもった賛美、心のこもった御言葉、心のこもった献金は神様を喜ばせる力ある礼拝の姿です。礼拝を無駄にしてはいけません。心のこもっていない礼拝には形式はありますが、力はありません。心のこもっていない礼拝を神様は喜ばれません。
礼拝の動機はただ一つです。それは「どうすれば神様の喜びになるのか?」です。礼拝の動機が義務感、強制、自分のためではなく、神様の喜びに焦点を当てることができれば礼拝には礼拝の真の力と神様の御恵みも強く現れます。


3. 力探し
「ところでわたしたちはこのような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神様のものであって、わたしたちから出たものではないことが明らかになるために。」(コリント二4:7)
わたしたちの中には偉大なる力があります。信じる者に神様から与えられた力です。このような力はそのままにしておいては何の役にも立ちません。それを求めることによってわたしたちの力は発揮できます。その力はわたしたちの心の中にあります。ですから、心が重要で思いが重要であります。内なる人はつまり思いであり、心なのです。聖書は語っています。「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。」(ローマ8:6)命と平和、天から与えられるその力は思いからなります。それはただ霊の思いを考えればいいことです。思いが奇跡を起こします。
霊の思いとは何でしょうか?神様から与えられた物を考えればいいのです。神様はわたしたちを聖殿にし、神様の御臨在を意味する聖霊様をお送りになり、神様の御言葉をお与えになりました。土の器のようなわたしたちの中には聖霊様と御言葉の宝が入っています。信じる人は思いが違う人です。信じる人はみすぼらしい土の器を考えないで、神様から与えられた宝を常に考える人です。土の器だけに気をとられると不安と失望で落ち込みますが、宝を見つめれば力と喜びと希望が満ち溢れます。
ロレンス兄弟は皿洗いをしながらも自分と一緒におられる神様を思いました。ですから、彼には台所でも天国の力が伴っていました。ものを変えようとしないで考えを変えなければなりません。何をしても神様を思いなさい。いつも神様があなたの傍におられることを思いなさい。神様の御臨在を頭の中で思い続けなさい。それこそが天国の宝を見つける最高の方法です。
信仰をもって思い続けなさい。
「神様は今、わたしと一緒にわたしのためにおられる。」
天国はこちらでもなく、あちらでもなく、ただあなたの心の中にあります。そのために思うことによって見つけ出すのです。
感情にとらわれないで神様の御臨在を続けて思いなさい。あなたにもきっと天国が感じられます。
次は御言葉の黙想です。御言葉を繰り返して考える人が宝を見付け出します。
「いかに幸いなことか神に逆らう者の計らいに従って歩まず…主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人。」(詩篇1:1-2)
祝福される人は常に神様の御言葉を考える人です。そのような人は流れのほとりに植えられた木のようにときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがなく、その人のすることはすべて繁栄をもたらすと言いました。(詩篇1:3)
ダビデの人生はまさにこの御言葉を証明しています。
ダビデはこのように告白しました。
「わたしはあなたの律法をどれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。」(詩篇119:97)
「わたしはあらゆる師にまさって目覚めた者です。あなたの定めに心を砕いているからです。」(詩篇119:99)
ダビデの力は御言葉の黙想から生まれました。
問題を繰り返して考えることは心配につながりますが、御言葉を繰り返して考えることは黙想につながります。問題を繰り返して考えると悩みになりますが、御言葉を繰り返して考えれば答えを与えてくれます。
世の中のことを考え続ける習慣は破滅をもたらしますが、神様を考え続ける習慣は勝利をもたらします。
ソルゼェ二-ツィンがロシア革命史を50年以上研究し、出した結論は非常に聖書的です。
「6千万名の命が奪われた恐ろしい共産革命がロシアに起きた理由は二つあります。一つ目はロシア人たちが神様のことを忘れてしまったからであり、二つ目は神様の御言葉を忘れてしまったからです。」
わたしたちは思いの革命を起こさせなければなりません。
頭の中に神様のことや御言葉を復活させなければなりません。そうすることによってわたしたちの人生はロレンス兄弟やダビデやヨブのように必ず復活することでしょう。
「どうすれば神様を喜ばせることが出来るでしょうか?」
常に神様を思い、御言葉を思えばいいのです。これこそが神様の喜びであり、わたしたちの力になります。
「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。」(ローマ8:6) 

3 コメント

이용규목사

2009-10-04 00:11:38

이은미 자매님이 번역해 주시고
후루고오리상이 감수했습니다.
두 분께 감사드립니다.

中森千草

2009-10-04 01:02:36

1日の終わりに、「神様 私は今日、神様の喜びのためにがんばりました。でも、神様にとって喜びとならなかったのであれば、ごめんなさい。」と言っています。
それからは、神様をたくさん意識して生活できるようになりました。
意識の方向が、神様なのか?世の中なのか? 大事だと思いました。
世の中で生活していますが、自分は何の目的で、誰のためにと考えたとき、それは家族のためでもなく、自分のためでもない。  神様のためなのだと。。。。。
だったら、神様のために生きよう。神様のための人生にしようって。。。。。
このような思いをもって生活しています。その結果、たくさんの助け、祝福をいただいています。
この生活は、世の中から見れば、弱いかもしれない。でも神様にとって、そしてクリスチャンにとっては、最高だと思う。
神様のために今日も、これからも生きていきます。



古郡武志

2009-11-22 06:18:47

まずもって喜ばせるとすれば、それは誰になるのであろうか?

男たちは、今日も彼女を喜ばせようと努力をする。
ディズニーランドに連れて行ってデートをし、コンサートに連れて行き、映画に招待し、ディナーに連れて行く。
努力をすれば、彼女の嬉しい表情を見ることができる。
さらには言葉で直接表現してくれるかもしれない。
そんなとき、もし彼女のことが好きであれば、男たちはとろけるほどに幸せなのであろう。

主を喜ばせるのと彼女を喜ばせるのは違いがある。
彼女については嬉しい表情を見て、言葉を聞くことができるが、わたしたちは主の嬉しい表情をこの目で確認することができなければ、主が発せられた言葉を聞くこともできない。
もし主が人間の感覚器で知覚できれば、人間というのはもう少し主を喜ばせることができるのだろうか…そんなことを考えたりもする。

信仰とは見えないものを信じる力である。
遠くにいる彼女に手紙やプレゼントを郵送するときは、彼女が受け取るときの反応を直接この目で確認することはできない。
しかし、受け取ってくれたときの反応を想像して、熱心に手紙やプレゼントを送るのである。

たしかに主の表情を目で見ることはできないが、どんなことをお喜びになられるかを御言葉によって教えて下さっている。例え、この目で見ることはできなくても、喜ばれていることをビビッドに想像したい。

ところで、私はみんなと同じようにささやかな願いをもっている。
どんな形であれ、人と接するときには、いくばくかの喜びなり幸せなりを感じてもらいたい。もちろん、仕事で接する場合でも、私と関わることによって仕事がうまくいったのでよかったというようなことでも感じてもらえたらいいと思う。
だからこそ、感情に任せて不快な言動をしてしまうと後悔をしたりもする。
こういう思いの中に評判をよくして自分を高めたいという利己的な願望が入り込んでいることは否めない。
しかし、主は重要な掟として「隣人を自分のように愛しなさい」をわたしに提示して下さっている。すこしでも人の喜びや幸せを考えることができれば、主は喜んで下さっているはずだという想いも一方であるのである。

「ありがとう」そういって微笑む彼女の笑顔の向こうに主の笑顔が浮かんでくる。
そんな男性でいられればいいなと思う。

Board Menu

リスト

Page 38 / 55
Status 番号 タイトル 投稿者 日付 閲覧数
  354

忍耐できる信仰

4
이용규목사 2009-11-19 343
  353

기다릴 줄 아는 믿음

18
이용규목사 2009-11-16 1005
  352

管理者が賞賛された理由

3
이용규목사 2009-11-14 265
  351

청지기가 칭찬받은 이유

21
이용규목사 2009-11-09 742
  350

信仰を完全にするには

4
이용규목사 2009-11-07 291
  349

믿음이 온전하게 되려면

17
이용규목사 2009-11-02 652
  348

私は使命を帯びた人である

4
이용규목사 2009-10-31 378
  347

나는 미션을 받은 사람이다

21
이용규목사 2009-10-26 595
  346

私は善い業のために存在する。

4
이용규목사 2009-10-24 280
  345

나는 선한 일을 위해 존재한다

22
이용규목사 2009-10-19 1126
  344

神様は成長を望まれる

4
이용규목사 2009-10-17 589
  343

하나님은 성장을 원한다

20
이용규목사 2009-10-12 854
  342

私は神の家族だ

4
이용규목사 2009-10-10 345
  341

나는 하나님의 가족이다

18
이용규목사 2009-10-05 630
  340

主を喜ばせる者

3
이용규목사 2009-10-04 386
  339

주를 기쁘시게 하는 자

22
이용규목사 2009-09-28 653
  338

目的に導かれる人々

3
이용규목사 2009-09-27 310
  337

목적에 이끌린 사람들

22
이용규목사 2009-09-21 2211
  336

三つの祈り

4
이용규목사 2009-09-18 1292
  335

3가지 기도

29
이용규목사 2009-09-14 1640

   

sketchbook5, 스케치북5

sketchbook5, 스케치북5

나눔글꼴 설치 안내


이 PC에는 나눔글꼴이 설치되어 있지 않습니다.

이 사이트를 나눔글꼴로 보기 위해서는
나눔글꼴을 설치해야 합니다.

설치 취소