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중앙영광교회

わが人生の羊飼いは?

이용규목사, 2008-09-25 00:11:21

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わが人生の羊飼いは?

御言葉//詩編23:1-6

1.        ダビデの人生告白
神様の心に適った人であるダビデははたしてどんな人生を生きていたか?
彼の人生観はどうだったか?この質問に対する答えが詩編23編によく表われている。
詩編23編は、ダビデの信仰告白であり、人生告白書である。
ダビデはたとえ環境が、 死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。わたしを苦しめる者を前にしても‘わたしの杯を溢れさせてくださる。’と、主を賛美する人生を生きていた。環境に負けなかったダビデのこの偉大な力は果たしてどこから出たのか?
彼は確かな人生の目的を持っている人であった。目的が揺るがなければ、人生も揺るがない。確かな目的を持っている人の人生は、どんなことがあっても揺るがない。十字架の前でのイエス様も、牢でのパウロも、獅子の前でのダニエルも、敵の前でのダビデもそうであった。
‘ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた。(David served god’s purpose in his generation.)(使徒言行録13:36)
ダビデは、自分の人生を神様の目的に献身することに使った。ダビデは、自分の欲望に献身した人でなく、神様から与えていただいた人生の目的に献身した人であった。ダビデは自分の姿を自らこのように表現している。
‘主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。’(詩編23:1)
ダビデは羊であり、神様は自分の羊飼いだと告白している。羊飼いの役目は、羊の道を導くことである。それゆえ、その羊の方向は羊飼いによる。‘神様が自分の人生の羊飼いだ’というダビデの告白は、自分の人生はひたすら神様によって決められるという意味である。彼の人生の目的がすべて主に集中されている事実をよく語ってくれる。主が導いて下さるから、目的が神様の御心にそのまま従うのは当たり前なことである。ダビデは、神様の前で正しい目的を持っている人であった。自分の羊飼いとして神様に仕えた彼であったので、人生の目的が絶対間違えるはずがなかった。彼の人生の道はいつも神様の導く道であった。彼は、神様の目的そのままの人生を生きていた。
確かな目的を持っている人に、不安はない。 確かな目的を持っている人には心配もない。
なぜならば、神様が特別な祝福を与えてくださるからである。
‘堅固な思いを、あなたは平和に守られる’(イザヤ26:3)
完全なる平和は天国の姿である。だから、神様は目的をちゃんと守る人たちに天国のような平和を与えてくださる。
ダビデを見よう。彼が死の陰の谷を行くときも、自分を苦しめる者を前にしても災いを恐れずに主を賛美することができたのは、まさにここにある。神様が、目的をつかんだダビデの心をつかんで下さり、彼の心に完全なる平和、すなわち天国が降ったからである。そこで、確かな目的を持っている人は、どこに行ってもいつも平和と感謝と喜びが彼を守ってくれる。
ダビデは、目的による、目的のための、 目的の人であった。そのかげで、彼は人より卓越した人生を過ごせたのである。

2.        わたしの羊飼いは誰か?
ダビデは‘主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。’とはっきり告白した。
彼は口先だけで告白したわけでなく、完全に生活を通して告白した。
あなたは生活を通してどういう告白をしているか?これからどんなふうに告白したいと思うか?
‘(     )は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。’
あなたの(    )の中には何が入ってあるか?‘わたし’か?それとも‘お金’か?それとも‘仕事’か?それとも‘恋愛’か?それとも‘テレビ’か?それとも‘インターネット’か?
(   )の中に‘わたし’を一応入れて見よう。‘(わたし)は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。’これはとんでもないことである。その人生がどれほど不安で大変なのか分からない。‘(インターネット)は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。’どれほど危ないか分からない。
今日、幾多の人が自分の人生の羊飼いを、滅びに向かっているものに変えてしまっている。そのせいで人生が生命力を失い、滅びに向かう。神様は、ダビデ時代よりも、もっと詳しく我が人生の羊飼いについて教えてくださっている。‘わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。’(ヨハネによる福音書10:11) 神様はイエス様を我が人生の良い羊飼いとして任命した。イエス様以外に我が人生の羊飼いはいない。(     )の中にイエス様が入らないと、その人生は正解のない人生を生きるしかない。人生の誤答を直さなければならない。一日でも早くあなたの人生から間違えた羊飼い、詐欺師の羊飼いを追い出せ。そうするとき、あなたの人生はやっとダビデのように告白できる。
‘(イエス様)はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い。’
イエス様を‘わたし’の羊飼いにすると、‘わたし’に何も欠けることはなくなる。    
ダビデは主についてこう告白している。
‘主に申します。「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸せはありません。」’(詩編16:2)
私たちの良い羊飼いである神様お一人だけで満足できる人生が幸せな人生である。
‘この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。’(テモテへの手紙一6:17)
神様だけに望みを置くために、わたしたちは40日間毎朝集り、御言葉をつかみ、神様を呼んでいる。
‘わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、’(エレミヤ33:3)
機会はまだ34日も残っている。
神様は福を与えてくださるとき、現金でなく機会を与えてくださる。神様からの福は、いつも機会で換算される。幸いを得るべき人はチャンスを逃さない。サタンは、いろいろな言い訳と誘惑を利用して信徒から祝福のチャンスを奪おうとしている。神様が下さった絶好のチャンスを奪われてはいけない。機会を奪われるのは、お金を奪われるより、もっと悔しいことである。機会を奪われるのは健康を奪われるより、もっともっと悔しいことである。神様があなたのために予備してくださったこの40日をサタンに奪われることなく、自分のものにすることを祝福する。
40日を一日のように絶対勝利しよう。もう一度決断しよう。

3.        むなしい人生、豊かな人生
人の人生は必ずある力によって導かれる。
‘何によって導かれるか’によって、人生の目的地が完全に変わる。もちろん神様の目的によって導かれる人生が健康な人生であり、命と平和の目的地にたどり着ける。それができない人生は、何によって導かれるか?
第一、自分によって導かれる。自分の失敗した過去、人から傷ついた過去がその人をつかみ、放してくれない。そして、自分の無能力と欲に駆り立てられる。無能力に駆り立てられている人は、どんな環境になっても恐れに駆り立てられ、自分は何もできないと言う。欲に駆り立てられている人は、お金が人生を導く。お金になる場所は行くけど、心の電卓でマイナスが出ると行かない。徹底的に利害得失を考えながら生きて行く。神様の目的を考えながら生きて行くべきなのに。
第二は、人に導かれる人生である。両親、友たち、牧師先生…など、人の期待に自分の人生を支配させる。こういう人は、人が自分の人生をどう思うかを気にしている。これこそ、‘見せるための人生’である。このような人生は、それ自体がお疲れ人生である。
神様はこうおっしゃっている。
‘人に見せるための人生は、むなしい人生である。平凡で単純な人生が豊かな人生である。’(箴言13:7-The Message)
見せるための人生は、派手に見えるかもしれないが、中身は空っぽである。だからむなしいのである。見せるための人生は、会う人たち皆を満足させなければならないので、複雑な人生を生きるしかない。複雑な人生が充実した人生という言葉に騙されないでほしい。まことの充実した人生は単純な人生である。ダビデは単純な人生を生きていた。彼は、ひたすら神様にだけ集中した。人に何と非難されても気にしなかった。
世間体は人を複雑にさせるが、目的は人を単純にさせる。
目的に導かれる人は、人の目を気にしないから単純な人生を生きられる。さらに単純な人生は完全なることに集中できるから、豊かな人生を生きられる。
人生が豊かになることを望んでいるか?それなら、イエス様をあなたの羊飼いとして受け入れなさい。それからイエス様に導かれる人生を生きなさい。そうすると、あなたの人生が青草、憩いの水のほとりに伴われるであろう。
人生は、自分でも人でもない、良い羊飼いであるイエス様が導いてくださる人生にならないと、健康な人生になれない。 ‘(イエス様)は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。’  
あなたの(     )をもう一度埋めてみなさい。そうすると、あなたの人生は驚くほど満たされるであろう。

6 コメント

이용규목사

2008-09-25 00:12:16

이 진애 자매님이 번역을 해 주셨습니다.
감사합니다.

中森千草

2008-09-25 06:10:21

まだ何とかなるという状況では、自分の力が表に出てしまい、絶体絶命の場面になると、神様に必死にすがりつく。
目に見えるものが優先されがちですが、見えてはいないですが、確実に働かれている神様に望みをおき、導かれた道を歩かなければならない。そして、神様に目的をもって歩く道がなによりもすばらしいことを、心にもっと刻まなければならない。
目的をもって、それに向かっている人はとても強く感じられ、その目的が神様に向けられているからだと思います。私は、去年の40日の旅で、確かなる生きる目的を知ることができ、神様は私の生活を大きく変えてくださいました。
神様のために生きる人生は、本当の幸せが与えられ、神様を愛することにより、わたしの心は満たされ、神様を見上げることにより、私は強く生きることができています。
神様にほめていただける子どもとして、歩いていきます。

田辺高幸

2008-09-25 06:43:31

昔の僕は、ただ草原を彷徨う羊。羊飼いがいないから好き勝手に草原を走っていた。たけど空しかった。ただ空しかった。悲しいぐらい空しかった。草原は広いけど、これが自分の人生の広さとはつながらない。どこに行くのか、自分で決めて餌を捜す。だけど明日のことなど分からない。何が起こるか分からない恐怖と一人で格闘する日々。ただ僕は捜していたのだろう。自分を導いてくれる羊飼い。
僕が草原にいて力つきようとしていた時。空から手を差し伸べてくれた。「もういいだろう」と僕の手を握り、抱きしめてくれた。その羊飼いは主。それから生活は変わり続けた。黒かった心の紙。主が清い色で塗りつぶした。変わっていく生活。昔の僕は死に、そして新しい僕が生まれた。
羊飼い無しに羊は生きられない。そんなことを知るのに時間が掛かったけど、だから主の恵みや御言葉や奇跡が僕を心地よい洪水で満たしてくれた。これからも続いていく主との生活の日々。人は悩む時もあれば、傷つくこともあり、泣くことだってある。それを変えてくれるのは、正しい羊飼いである主。神様の最高のプレゼント。そして主が私に送ってくれた聖霊様。感謝して毎日祈りを通してお話ししている。自分が知らない、神様が僕を造ってくれた目的を、この方達は僕の心に描くでしょう。それを彷徨っていた羊から、主を羊飼いとして着いていく者として、崇め、賛美し、感謝する日々は、続いていく。これは昔感じていた空しさが喜びに変わった瞬間に生まれた。ありがとうございます。これからも少し出来が悪いけど、僕はあなたにただ純粋についていきます。私の羊飼いは主だけです。

※聖書の御言葉をブログにしてほぼ毎日更新しています。
日本人に知ってほしい神様のことを。
伝導用にお役立てください。
「キリスト教 生きていて力ある御言葉」
http://nabesang.blog116.fc2.com/

古郡武志

2008-09-26 17:52:11

「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。」
何と力強く勇気を与える御言葉であろうか。
目標を定めてまっすぐ生きる人生は美しい。

日本には「勝ち馬にのる」という言葉がある。
豊臣秀吉の後継者をめぐって徳川家康と石田三成が戦った関ヶ原の戦いでは、石田三成側についていた武将が戦況を見つめながら徳川家康側が勝ちそうと見るやいなや、石田三成陣営を離れ徳川家康に寝返ったのであった。
このような武将たちの姿は正直美しくないように思う。徳川家康側にせよ石田三成側にせよ自分が正しいと信じる側につき、勝つにせよ負けるにせよ最後まで戦うべきではなかったのか?それが日本の武士の美学ではないのか?
昨今の日本の政治もそうであろう。自民党の総裁選では、勝利しそうな総裁候補を支持するというのが選挙過程において働く力学である。その方が、大臣ポストも得られるし、利益配分においても損をせずに済む。
いずれにしても自分に利益をもたらしてくれる権力をめぐりあっちふらふらこっちふらふらというわけであり、見苦しいことこの上ない。
しかしながら、わが身を振り返ると、人生を導く主人は入れ替わり、立ち替わり登場する。学校の先生、上司、親、恋人などなど…
特に恋人の力はものすごい。私も圧倒的な力で時間、経済等生活の多くの分野を導かれたのである。
風見鶏のように勝ち馬に乗る醜い人間の姿は、とりもなおさず自分の姿に他ならなかった。私は、自分の人生の主をイエス様にすることを決断したはずだ。しかし、日々私の生活において、別の存在(金銭、その他快楽等)が主人の座を奪還しようとする。
イエス様の主人の座を守り抜き、ふらつく人生ではなく、ダビデのような力強く美しい人生を歩みたいと思う。

木下 

2008-09-28 17:23:36

完全なる心の平和は、私たちの偉大な主イエス・キリストから与えられるものであることを信じています。これからも主イエス・キリストの完全なる心の平和が私の心を満たしてくださることを強く望みます。私たちは、多くの情報や人間関係や欲望などにより、心が乱されやすい時代を生きていると思います。この中で、心に真の平和を持ち続けることは、自分の考えや意志力では難しいと思いますが、主イエス・キリストが私の心を満たし、守ってくださることにより可能になると思います。今回の説教の中で、神様は私たちに多くの祝福と多くの機会を与えてくださっていることを学びました。この豊かな恵みと機会を見逃すことなく、受けとるには、情報や人の言動などに一喜一憂することなく、心を騒がせず、乱さず、主イエス・キリストの平和の心を持ち続けることが必要であると感じました。日常、私が経験する小さなできごとの中にも適用できたらと思います。

安間チョウコ

2008-10-04 20:22:01

この詩篇は大好きな箇所だ。ダビデが、神様を羊飼いにたとえて作ったがイエス様が私たちの羊飼いという気持ちは強い。羊飼いからの溢れるばかりの恵みと平和がある。私は8月に還暦を迎えたがそのとき版画で、何かを祝福として表わしたいと思ったときまずおもわれたのは緑の牧場であった。そこは私たちが永遠に安らげるところで、永遠の平和のあるところ、詩篇23章であった。ダビデが神に忠誠を表わし、いつも心が帰る場所、それが羊飼いの居られるところで、ダビデも私達も羊。天国がこのようでありたい。私たちが天国に帰ったときは牧場があって、そこで羊飼いの近くで一匹の羊として養っていただきたい。

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