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중앙영광교회

人生の最小値の板を伸ばしなさい

이용규목사, 2008-09-18 00:09:45

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人生の最小値の板を伸ばしなさい

御言葉/ダニエル書 6:21、22

1. 最小値の原理

草花が育つためには4つの要素が必要だそうである。栄養分、水、そして位置、鉢のサイズである。この4つが揃っていれば、成長は自然に成り立つ。だが、他のことは満たしても、1つが足りなかったら、草花はもう成長できなくなる。例えば、栄養分、位置、鉢のサイズは満たしているが、ほとんど水がなかったら、この草花は満たされた3つの条件に影響を受けて成長することではなくて、足りない1つの条件(水)によって、成長を止めるだけではなく、最悪の場合、枯れて死ぬかも知れない。
満ちる要素が成長を左右することではなく、一番少ない最小値の要素が草花の成長だけではなく運命まで左右することが最小値の原理である。
神様は聖書に次のようにおっしゃった。
‘律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるとなるからです。’(ヤコブの手紙2:10)
例えば、姦淫も盗みも嘘も不孝もせず、御言葉を全部守ったが、ただ1つだけ守れなかった。その罪が殺人だとどうだろう?(ヤコブの手紙2:11)
他の御言葉はほぼ完璧に守ったとして、殺人罪が無罪になるのか?絶対違う。他の全ては一切力にならず、殺人罪がその人の人生に縛り付けて、監獄へ押し込んでしまう。
最小値の管理に注意すべきである。人生において最小値が運命を左右する絶対的な力を持っている。いくら良いものを積み上げても、最小値を通じて漏れてしまうからである。これは板で造った桶を見てすぐ分かる。他の板がいくら長くても、水はそれに関わらず、一番短い板の所までしか満たさない。自分の人生の桶に恵みの甘雨をもっと満たしてほしいのか?人生の長い板を伸ばすことは無駄である。反って、これは時間の無駄遣いで、お金の 無駄遣いで、人生の無駄遣いに過ぎない。人は自分が得意なこと、やいたいことだけ、集中しようとする。愚かなことである。原因はそれにあるのではないからである。長い板をもっと長くすることではなく、自分の人生の一番短い板を伸ばすのが最優先である。人生はこれに比例して満たされるからである。様々な面で偉いのに続けて苦戦している人をみたら、自分の人生において最小値の板を伸ばさないでとんでもないことに夢中になっているのが分かる。
人生において一番効率悪い様子はデコボコの人生である。
屈曲が激しい人生は苦労であるが、効果はほとんどない。
カップや器の上部がデコボコしたものを見たことがあるのか?全てはその高さが一定である。なぜならば、このような器が一番経済的であり、一番多くの水を入れられるからである。人生の器も神様の中で高さが整えるべきである。そうすれば、神様が福を注いでくださる際、漏れがなく一番多く満たせる器になるからである。神様は我らに続けて福を注いで欲しがられる。しかし、我が人生の最小値の板のせいで、引き続いて漏れてしまうと、愚かで、じれったい人生であろう。

2.目的に導かれる40日の特別早天お祈り会と最小値の原理

2008年目的に導かれる40日で勝利する為には、次の2つを心に刻まなければならない。
一つ目は時間のデコボコがないことである。
時間の最小値の板を伸ばすべきである。半ばに弱い人はその時の板を伸ばして置かないといけない。定期的に屈曲が激しい人は特に注意しなければならない。‘40日を一日のように’最後まで直向に向かっていくように祝福する。
ダニエルは獅子の洞窟に投げ込ませた悔しい時でも、平静心を無くしてなかった。
‘今まで国の為に色々やって来たのに、王よ!私にこんなことはあり得ません。過酷過ぎです。神様に怒られます。’と絶対言わなかった。信仰の人には何よりも平静心が大事である。特に人生で暴風に吹き荒れられる時こそ、力持ちの人は心が揺るがないはずである。心の波が激しい人は躁鬱症に剥き出されている。特に霊的な躁鬱症はどんなに恐ろしいか。福がすっかり漏れ出されるからである。調子がいい時は非常にいい点数を表すが、霊的に憂鬱な時は限りなくダウンするから、瞬間に福が漏れ出されてしまう。それで自分も大変で、渇いている。
‘40日を一日のように’を忘れないよう。
二つ目は、‘人生の目的’のデコボコをなくさなければならない。
神様は我らに5つの人生の目的を下さった。もちろんこれら全ては大事である。だが、もっと大事はことがある。自分の最小値の板を見つけて伸ばすことである。サドルバック教会の健康秘訣は礼拝・スモールグループ・メッセージ…など教会の全てに5つの目的を均等に育てていくことである。ある一つだけに集中することではなく、全てを均等に伸ばしていくことである。なぜならば、最小値がその器(教会、人生)の運命の決め手になるからである。
もちろん聖書には最大値の原理もある。しかしその適用対象がまったく違うことである。易しく言えば、聖霊の賜物は最大値の原理であり、聖霊の実は最小値の原理である。賜物は神様から頂いた長所を最大限に啓発し、それをもって神様へ栄光を返すことである。例えば、音楽には全然素質がなく運動に素質を持っている人が音楽に弱いから音楽に集中投資することは愚かなことである。この場合は長所を活かすべきである。しかし人格や生活に関することは違う。聖霊の実を考えてみよう。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、柔和、節制の9つの実の中で、誠実(忠誠)がなければ、その人の評価はどうなるだろう?他は良いとしても、誠実が足りなくて遅刻しやすく、いい人なのにいつも仕事の締め切りに間に合わないとしたら、彼は1つの実(誠実)が足りない為、それほど最小値を伸ばすのが元気な人生の秘訣である。短所を補うべきである。
人格と生活に関するものはビタミン剤のように人生において欠かせない必須要素である。だから、必ず最小値の板を見つけて伸ばすと、あなたの人生の桶の水(福)が漏れないはずである。
人生の効率性を上げないといけない。漏れないようにしないといけない。
ある人は誰から見ても正に一生懸命生きているが、なんかうまく行かず、実があまりなさそうである。なぜだろう?他にいくら最善を尽くしても、水は短い板を通じてすっかり漏れてします。短いことに気をつけなさい。短いことを伸ばしてみなさい。短いことに集中投資してみなさい。驚くべきことが起こるのである、必ず。あなたの桶の水位が伸びることを体験するだろう。
今回の40日の内に‘私の最小値の板は何か’を見つけて、それを伸ばしていく祝福があるように。

3.ダニエルの生活と最小値の原理

聖書には最小値の原理に引っ掛かった人々が数え切れないほど多くである。
その代表的な人がソロモンとユダである。ソロモンは霊肉的に欠点がなかったが、ただ一つ、彼の人生に最小の板があった。それは女に弱い所であった。彼は1000名も妻を持った。その最小の板を通じて、彼の尊い信仰が偶像へ流れ込み、彼の国は滅びてしまった。
ユダはどうであっただろう?彼も最初は真面目であった。イエス様の弟子たちの中で財政を担当する重要な役割を任された。しかし彼に決定的な最小の板があった。彼はお金に弱かった。この板を通じて彼の命まで流れ出した悲劇のヒロインになってしまった。
イエス様は自ら仰った。
‘だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。’(マタイによる福音書5:48)
神様のように完全な人生を生きていた人がいる。彼がダニエルである。
ダニエルの非理を取り調べるために、国家的な次元で調査委員会が成り立った。だが、彼らはダニエルから非理や汚点を探れなかった。(ダニエル書6:4)彼の人格と生活が潔白で完全であったか推測できるであろう。その理由で、王は3回も入れ代わってきたが、彼の地位は変わりなかった。彼はネブカデネザル王、ベルシャザル王、ダリヨス王にわたって、国の統治者として要職に抜擢された。
ダニエルが獅子の洞窟から出た際、彼は王に言った。
‘神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。’(ダニエル書6:23)
どうして神様が獅子の口を閉ざしたか?
ダニエルははっきり言っている。神様の前で、王様の前で、罪がないからであると。
彼は完全な人生を生きた人であった。彼の人生には汚点の板、決定的な短い板がなかった。それで彼の人生には恵みが漏れない人生であった。それで彼はその恵みによって、獅子の洞窟からも出られたのである。
ダニエルの人生はすべての面において、完全に近い人生であった。それで彼の人生には神様の力と福が満ちた。
今日も神様はあなたに福を注いでいらっしゃる。問題はその福が漏れ出さないようにしなければいけない。
‘桶の水は絶対長い板の高さまで満たされない。’
‘桶の水はいつも最小の板の以上は満たされない。’
この真理は誰も変えられない。神様がくださった真理である為である。
あなたの人生の桶をいっぱい満たして欲しいのか?
人生の最小の板を伸ばしてよ。ぜひ!ぜひ!ぜひ!

7 コメント

이용규목사

2008-09-18 00:11:15

이번에는 박재훈 자매님이 번역을 했습니다.
우리 교회에 재능꾼들이 많아서 얼마나 감사한지요.

이진애

2008-09-18 04:25:40

上記の牧師先生の書き込み内容です。
- "今回は、朴・チェフン姉妹が訳してくれました。
  我が教会には本当に多才な人が多いですね。感謝でいっぱいです。"

中森千草

2008-09-18 05:36:12

自分の弱い部分に対して、半ば、諦めているところもあり、直視しない傾向にあります。
それは、自分にとっても欠点であることはよく分かっていても、欠点に対してよりは、いい部分をもっと引き伸ばそうという考えが強く、できれば、欠点を見て失われる自分に対する自信のようなものを失うのが、怖いのかもしれない。
以外にも人の目に映るのは いい部分よりかは、劣ってる部分が目についてしまう。
神様は自分自身のことをよく知るためにも、このようなメッセージをくださったと思いました。
私に修正する部分はたくさんありますが、どの部分の成長の遅れによってどこに一番ダメージをあたえているのか? パーフェクトになるのが目標ですが、一番害を与えているところから目を向けて改善し、成長したいと思います。

木下 

2008-09-20 08:08:35

神様からの恵みを多くいただくためにには、自分の短所、欠点を補うことが大切であることを学びました。神様は、私たちを愛してくださっていて、日々豊かな恵みを与えてくださっています。私は神様の豊かな恵み、祝福をたくさん貯蓄するだけの器(人格、度量)を十分に持ち合わせているのでしょうか。せっかくいただいた神様の恵みを受け入れることができずに、人生を虚しく過ごしているのでしょうか。私は、完璧な人間ではありません。現在の私の欠点や何が必要であるのかもご存知であり、一生を通して一つずつ修正して完全に少しでも近づいていくことを望んでいらっしゃると信じています。時間は確実にかかると思います。平常心で気持ちを大らかに持って、少しずつ成長して、神様からの豊かな恵み、祝福をたくさん受け入れることのできる人格、度量のある人物になれたらと思います。

古郡武志

2008-09-20 10:16:42

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
「完全」「パーフェクト」これらの言葉で形容されるような人物に出会うとき、たしかに「すごいなあ」という思いもするが、何とも表現し難い気持ちになることがある。親しみを感じられないというか虫が好かないとかいう感じであろうか。
 「人間というのは完璧なものではなく、誰しも欠点があるもので、欠点が少しはあるくらいがかわいいものだ」という世の中の感覚があり、それに安住しているのかもしれない。
たとえば、仮に「完全な」女性から愛の告白をされたら、どうだろうか?(妄想?)おそらく、私の答えはこうなるであろう。「いや~私はあなたにはとてもじゃないがふさわしい人ではないです。あなたにはもっとふさわしい人がいるはずなのでその方とおつきあいされた方がいいのではないでしょうか?」
 人間は、自分に欠点があることを当然視するし、他人に欠点があることを暖かく受け入れてあげる。例えば、酒癖が悪い人がいても、「あいつは少々酒癖が悪くても、仕事が熱心でいい奴だから、まあ大目に見てやろうよ。」
 神様は、確かに「欠点」があっても私達を愛して下さっている。しかし、神様の愛を勘違いし、欠点を克服せずに「不完全な者」に安住するようなことを神様はお喜びにはならないのであろう。やはり、欠点を直して、神様に喜んでもらいたい。
 「完全」「パーフェクト」正直どこかあまり好きになれないこの言葉…でも、御言葉を見て新たな感慨を受けた。やっぱり「完全な者」を目指していいんだなって・・・しかも偉大な「天の父」のようにと。やっぱり決して世的な感覚からは出てこない凄い励ましの言葉で、感激させられる。
 この御言葉を受けると「完全な」女性から愛の告白をされたときの言葉はこう変わるはずだ。「はい、私は今はあなたにふさわしい人ではないかもしれないが、将来はあなたにふさわしい完全な人になります。もし、私とつきあわないときっとあなたは後悔しますよ。」
 実際にこんなことを言えるかどうかはわからないが、こんなことを言うだけの自信を持てるようになりたい。
 自分の欠点から生じたいろいろな失敗をくよくよ思い悩むことに終止符をうち、過去の失敗をエネルギーに変えられる人になりたい。ここで、思い浮かぶ言葉は「今に見ていろ」
なのだが、この言葉は人間の目を意識した言葉であろう。つまり、自分を見下していた人間を驚かして、尊敬の目を向けさせたいということである。だから、心を静かにして神様に語りかけたい。「神様、私は不完全な者ですが、見ていて下さい。神様にそっくりな完璧な人間になるべく努力しますんで…後でご覧になったらびっくりしますよ」
 いささかいろいろ書いてきたが、やはり「完全な者」を目指すには、自分の日常生活はいささか恥ずかしい。「完全な者」となることは大口をたたくことではなく、世的な忙しさに負けずに、日常生活において、祈り、感謝、御言葉、伝道等をきちんと実践していかなければいけないというのが、このリップルの最後に感じたことであった。
 勇気と力を与えて下さる御言葉に感謝・・・

安間チョウコ

2008-09-20 19:13:13

忙しい夏であった。JCMA総会の準備、EPの参加、JCMA総会、還暦の自分へのお祝いの版画店の準備、まだJCMA機関紙「医学と福音」の編集委員の一人として、など忙しさは続いている。北京オリンピックで金メダルを取った石井選手がインタビューで言っていた言葉が印象的だ。「人生は訓練の連続だ。休むのは死んでからゆっくり休むことにする。」と。素晴らしいと思う。私もまねたいと思う。

田辺高幸

2008-09-20 23:13:34

この場所に辿り着くまで。この説教に書かれていたようなデコボコ道のような人生だった。それが、徐々にだけどならして、今の僕のいる場所がある。いや昔は道すらなかったな。単なるデコボコ人生。
しかし完全な道にはなっていない。まだまだこれからの身。このことを熟知して、毎日御言葉に読み、神様へ祈り、神様を賛美しよう。その小さなことの繰り返し。僕がこれでデコボコが少しながら直っていった。これを今後も行いたい。
完全な者ではない。今はハッキリ言える。だけどへこむ必要は無い。これから良くなっていく、主のことを信じれば、そうなる。それを信じる。従順ではなく、忠義を持って、主へ仕えること。信じていなければ、忠義はできない。この基本を胸に生きて行こう。
先週は礼拝に参加できなかった。話を聞けないのは非常に残念なことだったけど、だからこそ、この文章化されたことで触れられたことに感謝します。でもこれからは休み無く行きたい。主のために、休みたくない。この翻訳をされた朴・チェフン姉妹に感謝を申し上げ、文章を終わりにします。

※聖書を知らない日本人のために、聖書のブログを作りました。ほぼ毎日更新中です。伝導にお役立てください。
「キリスト教 行きていて力ある御言葉」』( target=_blank>http://nabesang.blog116.fc2.com/)

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