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중앙영광교회

従順の対象 

이용규목사, 2008-06-19 02:47:00

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従順の対象 
目に見えない神様に従順するには?)

御言葉//サムエル記上26:8-11

1.        どうして従順がうまくできないか?
 思っているよりうまくいかないことが、従順である。
 会社の上司に対しては従順がうまくできるのに、神様に対しては思ったより従順がうまくいかないことが現実である。それでは、神様に従順することがうまくできない理由は何だろう?世の中のどんな偉い人よりももっと偉いお方が神様であるのに、なぜ神様に従順するのがそんなに難しいことなのか?その大きい理由の一つが、世の中の人は目に直接見えるが、神様は目に見えないからである。
 もし神様が夢にでも現われて‘○○○執事よ!あなた、どうしてこのごろの信仰生活がそうなの?あなた、しっかりしろ!あなた、どうして主日礼拜をそんなに頻繁にサボったりするの?あなた、どうして十分の一献金を盗んでいるの?あなた、どうして神のシモベの話を聞いてくれないの?あなた、どうしてこのごろお祈りしていないの?あなた、どうしてこのごろ御言葉を読まないの?あなた、どうしてこのごろ属会に参加していないの?’と、3日連続でおっしゃるとしたら、我らの従順の姿は完全に変わるでしょう。しかし、今日神様はそういうふうに働いていらっしゃるお方ではない。人というのは、個人的、直接的におっしゃってくださらないとその御言葉を疎かにしている傾向がある。主日礼拜や様々な礼拜に参加して御言葉を聞いても、変化の少ない理由がまさにここにあると言える。
肉の人であればあるほど、目に見えるものが好きである。
 目に見えないと、何か感じることもできなく、安心もできないからである。昔から古今東西を問わず偶像をたくさん造った理由も、ここにある。
 しかし、キリスト教は目に見える偶像物がない宗教である。神様が十戒をくださった時、一番先に下さった御言葉も、'あなたはいかなる像も造ってはならない。いかなるものの形も造ってはならない'ということであった。(出20:4)
神様は霊であるので、目に見える姿では来られない。したがって、目に見える神様は偽者になるしかない。本当の神様は、肉眼では見られない。霊は、肉では見られない存在だからである。だから、真の従順は、目に見える神様に従順するのではなく、目に見えない神様に従順するのである。
上司に対する真の従順の姿も、上司が目の前に見える時にだけ働く目隠しの従順ではなく、上司が目の前にいない時に働く本気の従順である。見える時にする従順は誰でもできるが、見えない時にする従順は誰でもできることではない。それは心からの従順だからである。人の本気は、相手のいない時に現われる。いる時には‘はい’といいながら、いない時に霊と真理をもって悪口を言う人は、従順のない人である。
 そういう面で、ダビデは、神様を充分に感動させるに値する真の従順の人であった。
 ダビデは、目に見えない神様に従順する時も、まるで目に見える神様にしてあげるようにした人であった。彼の従順の姿を、御言葉を通して具体的に見てみましょう。

2.        ダビデの従順の姿
 ダビデは、20代の若い頃に死線を行き来する非常に苦しこを歩むようになる。
 生き残るために、狂った人のふりをしなければいけない時もあり、自分の国に暮らすことができない状況になった時もあった。彼がこのように大変な生活を続けなければならなかったのは、彼を殺そうと夢中になっていたサウルのためであった。このサウルさえいなければダビデの人生が地獄から天国に変わることは時間の問題であった。サウルさえいなかったらダビデがイスラエルの王になるはずであった。彼はサウルという人間のせいで、毎日毎日死の陰の谷を行かなければいけなかった。そうしたところ、いよいよダビデにも絶好のチャンスが来た。決心さえすれば、すぐサウルを殺せる機会が来たわけである。ダビデとその部下たちが隠れている洞窟の中に、サウルが自ら、しかも一人で、武装解除の状態で入って来たのである。サウルが用を足すためにその洞窟の中に入って来たのである。誰にも知られないまま、簡単に殺せるはずだったのに、ダビデはサウルを殺さないで彼の上着の端だけをひそかに切り取った。なぜ殺さなかったのか?復讐すべきだった敵を、なぜ殺さないで生きて帰らせたのか?
ここに止まらず、サウルを殺せるよい機会がまた訪れて来た。
ダビデを追っていたサウルとその部下たちが幕営の中に横になって眠り込んでいたのである。
ダビデと一緒に行った部下のアビシャイが、眠り込んでいたサウルの姿を見て、槍の一突きで彼を刺し殺させてくださいと言った。しかし、ダビデはそれも許さないで、ただ彼の枕もとの槍と水差しだけを取って立ち去ろうと言った。(サムエル記上26:8、11) なぜそうしたのか?どうして敵中の敵であるサウルに手をつけなかったのか?どうして彼を目の前で殺さなかったのか?常識的にはとても納得行かないところである。
ダビデが愛の多い人だったから?それとも特別な寛容の能力を持っていたから?
違う。ダビデはかえって人より寛容と忍耐性がない人だったという事実を、サムエル記上25章でよく語っている。ナバルが、ダビデが送った部下たちに‘ダビデとは何者だ。わたしのパン、わたしの水、それに毛を刈る者にと準備した肉を取って素性の知れぬ者に与えろというのか。’と言っただけなのに、ダビデは激怒し、400人の兵に剣を帯びさせ、‘明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男を一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰してくださるように’(サムエル記上25:22)と誓いまでしながらナバルを殺しに駆け付けた。
果してダビデがいい人柄を持っている人だったのか?全く違う。彼は元々火のような性質を持っている人であった。ところで、どうして敵中の敵であるサウルにはこんなにも寛大であったのか?ナバルはすぐ殺そうとしながら興奮を隠せなかった彼が、一体どうして二回も殺す機会が来たサウルには手をつけなかったのか?ナバルよりサウルの行為がもっと悪かったのに、どうしてそうしたのか?その理由は簡単である。
サウルがたとえ悪い人間だとしても、彼は神様が自ら油を注がれた人だからである。
‘殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。’(サムエル記上26:9-新翻訳バージョン)
ダビデは‘王としてのサウル’を恐がっていたのではなく、
彼を‘王に立てられた神様’を心より畏れたのである。
彼は神様の権威に徹底的に従順した。たとえサウルは悪者であったが、神様の権威に挑戦しないで、命をかけて従順したのである。これがまさに、ダビデが見せてくれた真の従順の姿である。彼は神様に立てられた人を通じて、目に見えない神様に従順した。
ロックフェラーの従順もこれに似ていた。彼は‘神様の次で、牧師先生に仕えた’代表的な人物である。それで神様は彼をダビデのように世界最高の人物として立ててくださった。彼のお母さんが彼に残した10つの遺言の中で2番目の遺言がまさにこれであった。
‘神様の次で、牧師先生に仕えなさい。
牧師先生との良い関係の中で神様の御言葉を聞いて従順することが、祝福された道である。’
牧師との関係がよくないと、社長との関係がよくないよりもっと大変である。牧会者たちと常に良い関係を維持するために努力しなければならない。ダビデが、神様が付与したサウルの権威に従順したように、信徒は神様の立てられた権威に絶対に従順しなければならない。
もちろん、サウルのようにリーダーが間違えていることもある。その時こそ、気を付けなければならない。ダビデがサウルを殺そうとしなかったように、私たちもリーダーに手をつけてはいけない。それは、すなわち神様の権威に挑戦するのである。
‘あなたたちは我々に向かってではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ。’(出エジプト記16:8)
リーダーが間違った時は、神様が立てられたから、神様に任せればそれで十分である。
'主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ'(サムエル記上26:10)
我らはひたすら権威に従順さえすれば100点である。他のことはすればするほど、自ら傷つける結果をもたらすだけである。アロンとコラの子たちのように。(民数記12:2、16:32)
    
3.        見えない3つの従順
神様は霊だから目に見えない。それでは、目に見えない神様にどうすればうまく従順することができるか?従順の対象が誰かを正しく知らないと、従順はまともにできない。
前に説明したように一番目の対象は‘神様の立てたリーダー’である。リーダーに従順することが、まさに神様に従順するのである。‘私は神様には従順するのに、リーダーには従順できない’と言うことは、徹底的な矛盾である。
‘指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。
この人たちは、神に申し述べる者として、
あなたがたの魂のために心を配っています。
彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。'(ヘブライ人への手紙13:17)
‘よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。’(テモテへの手紙一5:17)
二番目の従順の対象は、‘神様がお作りになった節期’である。神様は節期をすごく大事にされた。節期に対する絶対従順を捧げることを望んでいらっしゃる (出エジプト記35:2、12:14) イスラエルの人々がエリコを占領する直前にした従順も、まさに‘節期従順’であった。もっと簡単に言えば‘節期従順’はすなわち礼拜従順であり、集まり従順である。末世には集会を怠ったりする人が多いと言った。(ヘブライ人への手紙10:24、25) 即ち、節期従順の難しさを表現している。主日礼拜や各種の集まりを怠けるようになると、それがまさに神様を無視するのである。’‘都合従順’は最悪の不従順である。これは都合に従順することで、決して神様に従順することではないからである。都合を越えて集まる従順が、真の従順である。
三番目の従順の対象は‘神様からいただいた御言葉’である。神様がくださった聖書に従順するのが、即ち神様に従順するのである。
‘初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。’(ヨハネによる福音書1:1)
‘あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。’(申命記28:2)
サウルが神様に捨てられた理由は、彼が神様の御言葉に不服したからである。
‘主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。’(サムエル記上15:22)
‘主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる。’(サムエル記上15:23)

本当に神様に従順したいと願っているのか?
神様は、我らが具体的な従順を捧げることを望んでいらっしゃる。具体的な従順は、具体的な対象を通じて来る。
‘神様が立てたリーダー’に従順して見なさい。
‘神様が作った節期’に従順して見なさい。
‘神様がくださった御言葉’に従順して見なさい。
これが従順の真の姿である。
‘リーダー従順’、‘節期従順’、‘'御言葉従順’、この3つの従順が、あなたの人生をダビデのように立ててくれるように祝福する。

5 コメント

이용규목사

2008-06-19 02:48:08

이 진애 자매님이 번역하였습니다.
감사합니다.

中森千草

2008-06-19 05:37:53

従順には優先順位が大事であり、自分の取り巻く環境から見るのではなく、私たちを創造された神様の立場から考え、決めなければならない。
正しい基準をもつことによって、勇気のだせなかった部分に対し、はっきり断ることができ、神様に従うハードルは高く見えますが、心の持ち方によって簡単に乗り越えることができました。
私の勤めている会社では、セキュリティーのためのカメラが何台か設置してあります。しかし、いつのまにかこのレンズが、私たちスタッフを一人一人映しており、二台あるTVに私たちの行動が鮮明に映っています。そして、イスラエルにいても、社長の自宅からも、パソコンを通してこの映像を見ることができるように設定されており、最初知ったときは驚きましたが、私たちには見えていなくても、神様の目には私たちの細部まで見えていることを悟り、毎日社長のおかげで訓練ができています。見えないからこそ畏れをもって、従順することを学びました。

田辺高幸

2008-06-19 15:06:03

神様は目に見えない存在である。だからこそ信じる信じないのという話になる。そこに多くの日本人が抱える問題点が見えてくる、つまり、見えないからいないと思ってしまう。見えないから信じないとなる。見えないものに従順は出来ないとなってしまう。目に見えないから、目に見える偶像を造るか、目に見える存在として現れる新興宗教に走り馬鹿な目にあってしまうのである。他の国では、しっかりした宗教観があるのに、それがない。見えないものは信じないという単純な論理がまかり通っている。しかし、目に見えるものがそんなに重要なのだろうか?目に見えないからこそ信じるのではないのか?目に入るものはただ単に存在しているだけではないのか?肉的な現象だけが全てではないのではないのか?そう思うのである。目に見えないものに従うこと、それが肉に生きる者になりがちな人間に対する神様がお試しになっている原因ではないかと思ってしまうのである。つまり、従順出来るかという問いを神様を下さっているのではないかと思うのだ。
ダビデは。目に見えない神様に対して、従順であった。サウルを討つチャンスはあった。けれどそれを行わなかった。神様が選んだ人の命を奪うことが出来なかったのである。このことは神様に従う姿勢がなければ出来ないことだ。肉的にならなかったのである。だから神様は、彼に後世に残る偉大な人物をして語り継がれる人物にしてくださったのである。だから多くの人は、ダビデを信仰のモデルとして生きているのである。
神様に従順する方法として、神様が選んだリーダーに従うこと、神様が下さった時期に従うこと、神様が下さった御言葉に従うこと、この3点が、かなり重要である。これは目に見えなくとも信じていなければ行うことが無理だからである。もし自分に従順の姿勢が無くなってきたら、これら基本を強く思って生きて行こうと思う。いや、これは信じている今だからこそ、強く心に持っていなければならないと思う。神様を信じない人が多い中、神様に対して従う者として生きるには、これが大切であると思っている。

古郡武志

2008-06-21 09:05:21

「世の中の人は直接目に見えるが、神様は目に見えないからである。」
 世界経済の中における日本経済の比重は、近時、年を経るにつれ、低下していると言われているが、そんな日本経済の中でも、炭素繊維・単結晶シリコン・セラミックス等の素材産業を見ると圧倒的な世界シェアを有する企業が多く、その技術は世界最高水準にあると言っても過言ではない。
 その力の源泉は数十年先を見据えた長期的視点にたつ基礎研究投資にあると言われている。何故か(自分でもよくわからないが)目に見えないものという話を聞いたときに、この日本経済の特質が思い浮かんだのである。
 基礎研究投資は、投資して、今年・来年にその成果が見えるという話ではない。今年・来年に成果が見えないから、やめたとしたら今日の素材産業の強さはなかったはずである。
もし、今年・来年の利益を求めるのなら、手っ取り早く株式・不動産投資などを行えばよいのであるが、それは波のような値動きに左右されるはかないものである。
 目に見えるものには従順しやすいが、目に見えるものの特質とは何だろうか?上司・恋人・財産・美貌…上司・恋人との関係も永続しない、財産・美貌も容易になくなる、一言で言えば、はかないものということであろう。はかないものに従順するということは、自分をはかないもの・うすっぺらなものにしてしまうことである。次々とあらわれるはかないものに従順しきるとすれば、必ず人生の終幕で取り返しのつかない後悔をすると思う。「いろいろなものに従順してきたが、結局自分の人生は何だったのか?」と…
そんな従順で一時楽しい思いをしても、株・不動産の売却益で浮かれるようなものである。
 神様はたしかに目に見えないが、唯一永続性を有する確かなものであり、神様への従順を通して、揺るぎなく強い体質を身につけたい。今日・明日ではなく、数十年先さらには永遠を見通す力をもって、投資をしていきたい。
 我々は、目に見えるもの、特に数値で判断・評価ができるものが確かなものだと思っている。しかしながら、事実は、目に見えないものが確かなものであるということだ。このパラドックスは、生きる勇気と力を与えてくれるパラドックスである。このパラドックスを大切にして生きていきたい。

木下 

2008-06-29 18:24:55

神様を直接見ることができませんが、聖書を通して、日々の経験を通して、確実に存在しておられることを信じることができます。最近、私の身の回りに起きていることが神様の贈り物であることを感じることができます。神様は私たちを困らせる存在ではなく、万事が有益となるように働いてくださる存在であることを信じています。環境が自分にとって過ごしやすいから幸せなのではないとおもいますし、また、環境を変えようとするのではなく、まず神様に従順して自分自身を少しでも変える努力をしていきたいと思います。私たちの視界には限界がありますが、神様は私たちの心を含めてすべてを御覧になりご存知だと思います。神様の力を信じて従順していきたいと思います。神様の豊かな恵みに感謝します。

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