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중앙영광교회

聖霊の人

이용규목사, 2008-05-21 23:30:21

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「聖霊の人」

御言葉//ローマの信徒への手紙 8:12-16

1.        信仰の人とは?
信仰の人は、世と区別される人である。
信仰の人は、世の暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れていただいた人である。(一ペテロ2:9) 世が暗闇だとすると、信仰の人は光である。これは、確実に区分できることであろう。ところで、クリスチャンがこの世の人々と違うのが、ただ日曜日に教会に来ることしかないというと、とても深刻な問題に違いない。光が暗闇と同様のはずがない。日本の天皇の子どもたちすら、その生活が一般人と違うのに、神様の子どもがこの世の人々と同じく暮らしてはいけないのではないか。
その力は、私たちにあるのではない。神様が、世と違うように、世と区分できるように生きる力を直接私たちに与えてくださった。それが、聖霊である。
信仰の人が力があるのは、「聖霊の人」だからだ。私たちが神様の子どもであることを証明してくださる方は、聖霊様である。(ローマ8:16) 聖霊の有無が、神様の子どもであるか否かを決定する。信仰の人は、必ず聖霊の印を受けるようになっている。(使2:38)
聖霊の人は、どのような人か?
聖霊によって導かれる人である。(14)聖霊の導きを受けている人は、肉に従って生きず、聖霊によって体の仕業を絶つ人である。(12,13)そうすると、聖霊の力がその人を生かし、世で光としての人生を生きるようになる。
聖霊の導きを受けている人がどのような光としての姿を現すか、お証を通して直接確認してみよう。

(ある姉妹の先週のお証)

「『愛と喜びと平和は、聖霊の実である。聖霊が結んでくださる実である。聖霊がおられると、自然に結ばれる実である。聖霊が結んでくださる実を、人が結ぶというのは、不可能に近い。それゆえ、自分の力で愛し、喜び、平和で生きることはとても難しいことである。信仰の人は、自分の力ではなく、聖霊の力で生きる人である。そうすると、聖霊の実は自然に結ばれる。
愛し合いながら生きようと努力するより、まず聖霊の人になるように努力すべきである。
喜びながら生きようと努力するより、まず聖霊に満たされるように祈るべきである。
平和で生きようと努力するより、まず聖霊の導きをいただこうと努力すべきである。
聖霊はこのすべて(実)の木だからだ。木だけきちんと育てば、実は自然についてくる。
多くの人々はだまされて生きている。環境のせいで、幸せになれないという。』

一週間の(御言葉の)適用を、いつも笑うことにしました。一人で歩いているときも、顔の筋肉を上にあげてみたり、「イーーー」と発音してみたりしました。でも、今週の忙しいスケジュールと、やるべきことを考えると、険しい顔になってしまいました…しかし、まず聖霊の導きをいただこうとすべきだということを思い出し、今週も、自分の人生も神様が導いてくださる、そして私はただ聖霊の導きに従えばいい、と思ったら、自然に笑うことができました…!この1週間は、最後に残った奨学金の面接がある週だったので、とても緊張していましたが、笑う笑顔の適用で落ち着くことができ、また、聖霊様の導きがあるということで心強くなりました。そんな中、面接の日になり、面接に行きました。面接の途中、面接官が私に、私の笑顔を見るとよい気持ちになると褒めてくれました。知らないうちに緊張はなくなり、とても気楽に面接を受けることができました。そして、数日後、結果の発表があり、そこには自分の名前がありました。
聖霊の導きを求め、信じることによっていただいた笑いが、このような感謝の結果を生んだと信じています。笑う笑顔は、自分を幸せな道に導くだけではく、他人を幸せにしてあげられるということを悟る1週間であり、そこに人の心を動かせる力があるということを感じる1週間でした。」

2.        聖霊の実を与えてくださった目的は?
神様は、信仰の人々に聖霊を通して二つのプレゼントを与えてくださった。
聖霊の実と聖霊の賜物がそれである。聖霊の御業は、実と賜物によるお働きである。まず、聖霊の実について探ってみよう。
聖霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制である。(ガラテヤ5:22,23) これは、すべて人格と人柄に関することである。聖霊の実は、人格的に成熟な人の姿を表す。その代表的な方がイエス様である。
神様は、私たちが成長することを願われる。イエス様まで成長することを願われる。(エフェソ4:13)
神様が聖霊の実を与えてくださった目的は、イエス様のように成長するためであった。
教会を何年も通っているものの、子どものようになっていてはいけない。教会に、「万年赤ちゃん信者」が少なくないという。説教を何年も聞いているのに、まだオムツをつけ、哺乳瓶のミルクを飲んでいる信者が多いという意味である。
聖霊は成長の霊である。聖霊を受けたか。無条件的に成長しよう。聖霊は、神様が私たちに与えられた最高の成長ホルモンである。
霊的に成長できていない人は、乳だけ飲んで、硬い物は食べられない。祝福と慰めと望みの御言葉、「もらいなさい」というも言葉は、喜んでいつも「アーメン」というが、献身と宣教と悔い改めの御言葉、「与えなさい」という御言葉は、いつも無視し、聞かないふりをする。教会に来ても、いつも自分のもらう分だけを考える人である。そして、そのような人にはねたみと争いが終わらない。(一コリント3:3)
聖霊の実を結ぶ人は、自慢せず、相手を怒らさず、ねたまない人である。(ガラテヤ5:26)
人間には3つの年齢がある。一番目は、実際の年齢で、その次が体(健康)の年齢、そして最後が霊的な年齢である。実際の年は40歳なのに、健康の管理がうまくできていなくて、体の年齢が60歳の人もいるし、逆に体の年齢が20代の人もいる。実際の年より、体の年がもっと大事だというのは、誰でも知っている。このように、その人の霊的な年齢はもっと重要である。あなたの霊的な年齢はいくつだと思うか。まだ離乳食を食べているか。成長障害者になってはいけない。

3.        聖霊の賜物を与えてくださった目的は?
聖霊の賜物は、知恵の言葉、知識の言葉、信仰、病気をいやす力、奇跡を行う力、預言する力、 霊を見分ける力、 異言を語る力、 異言を解釈する力がある。(一コリント12: 8-10)
神様が、この大事な賜物を与えてくださった目的は、他人に仕えるためであった。( 一コリント12:4-6)
「一人一人に『霊』の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」(一コリント12:7)
「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」(一ペテロ4:10)
聖霊に満たされている人は、仕えがうまい。奉仕が生きている。使役に対する意識が強い。
私たちは、体の各部分だと言われた。各部分(器官)には、既にその機能に合う能力が与えられている。私たちは、誰もその各部分として、各自に必要な賜物を一つ以上神様からいただいた。その賜物を持って、手だったら手で、足だったら足で、目だったら目で互いに仕えなければならない。そのときこそ、体が完全になる。
人間は、一人では生きられない。体の各部分であるため、一緒に生きなければならない。いかに親指が偉くても、親指一本ではコップ一個すら持つことができない。しかし、5本指がチームになると、完全な力を出すことができる。コップを持つだけでなく、作ることもできる。一人で生きないで、共に生きようとすべきである。一人で生きようとする人生は、手なしで生きる人と同様である。手のない人生はいかにかわいそうだろうか。中国の大地震で、両手が切られて救助された子どもの姿に、私たちは非常に心を痛める。もし、彼が両手が無事で救助されたら、彼は当然、私たちに喜びと感動を与えたのだろう。手が切られたのが、私たちの心を痛ませているのだ。
私たちの中にも、体と各部分の原理がそのまま適用されると聖書はおっしゃる。(一コリント12)ある人は手、ある人は、足、ある人は目の使命を持っている。いかにその人が賢いといっても、一人では不完全である。手があっても目や足がないと、うまく仕事ができるはずがない。そのため、人間は一人では生きられない。自分がすべての各器官を持っていないからだ。誰かが手になってくれて、足になってくれなければならない。属会(スモールグループ)が絶対的に必要な理由が、ここにある。属会の仕えを通して、自分の各部分(手、足、目…)と会うからである。そうすると、完全な体になる。手のない障害児にならない。属会で、互いの手を握って、こう祝福してあげよう。
「今まで、一人でとても寂しくて大変だったでしょうね。もう心配要りません。私があなたの手と足になってあげますよ。」
人間は、仕えを通して互いに各器官になっていく。
このことのために、神様は聖霊の賜物を与えてくださった。賜物は、仕えるために与えられた。聖霊は仕えの霊である。聖霊は共にさせる霊である。聖霊に満たされた人は、一生懸命喜んでよく仕え、共に生きることに対する賜物を持っている人である。

信仰の人は聖霊の人であり、聖霊の人は成熟な人であり、また仕える人である。聖霊は、実を通して人を成熟するように建築してくださり、賜物を通して他人に仕えるように建築してくださる。聖霊は偉大な建築家である。聖霊がお働きになる場には、いつも成熟と仕えの道具によって、再建築の業が行われる。
聖霊が私たちの証人になってくださったように、これからは私たちが聖霊の証人になるべきであろう。
成長と仕えの証人として!


5 コメント

中森千草

2008-05-22 06:21:42

” 光 ” を外に表現できていないというか、神様の子どもとしての自覚が少なかったと思います。
イスラエル人は、神様から選ばれた特別な民族としての誇りをもっており、そして、信仰者であることを、世間を気にせずに堂々と行動に表しています。彼らは本当に強いです。男性も女性も軍隊にいくので、最初はその影響からかと思っていましたが、”神様から選ばれた” という思いが彼らをとても強くしています。私たちクリスチャンは、神様の子どもです。彼らよりもっと自信と、誇りをもって生きるべきだと、自分に言い聞かせました。

木下 

2008-05-22 17:15:49

「笑う笑顔は、自分を幸せな道に導くだけではく、他人を幸せにしてあげられる」という姉妹の言葉に感動しました。私は無理に笑顔を作ろうとすると、とてもぎこちない笑顔になります。聖霊様の導きにより自然で温かい笑顔を作れるようにしていけたらと思います。聖霊様の導きにより、自分も豊かになり、人の心を動かし感動させることのできる人生を歩んでいけるようにお祈りしていきたいです。

田辺高幸

2008-05-23 16:30:31

僕らと他の人の大きな違いは、聖霊様がいらっしゃるかどうかということである。この聖霊様がいるということ。それはとても素晴らしい神様からの賜物である。聖霊様が僕らとともにいらっしゃってくださるから、喜びを持って毎日を送れる。
主は僕らのことを光と言われた。その言葉を僕は信じて生きている。光にしてくださっているのは、聖霊様だ。そのことを忘れないでいたい。僕らは聖霊様とともにいるのだ。
この世を明るく照らす。それは僕らの役割だ。何故なら聖霊様がともにいらっしゃるのだから、光としてくださっている方の力を生活に使わなくてはならない。だから今後も聖霊様のことをいつも意識して行動をしていきたい。聖霊様と一緒に歩く毎日をしたいと思う。
聖霊様、本当にありがとうございます。聖霊様を下さった主、ありがとうございます。主を天から送られた父、ありがとうございます。感謝でいっぱいです。それを忘れないで、光として世に仕えたいと思います。主は、私は仕える者であると言われました。弟子である僕は、師匠のように行動をしたいと思います。だからそうしたいと思います。こんな毎日の繰り返しが出来たら幸せに思います。

古郡武志

2008-05-24 08:10:23

・神様が、世と違うように、世と区分できるように生きる力を直接私たちに与えて下さった。それが、聖霊である。

職場で夜遅くに急な依頼を受けた時に、私はいらつき怒りを感じてしまいます。
聖霊の実の中には、「寛容」という実があるはずですが、そういう瞬間、私の心の中には、聖霊様のために空けておくべきシートがすでに埋まっているのだと思います。
サタンという名の不意な来訪者によって…
「疲れているから早く帰りたいのに何でよりによって…」と思うばかりで、その人がどういう事情・経緯のもとでそのような急な依頼をせざるを得なかったのかを考える心の余裕はありませんでした。
 聖霊の実の中には、「利己」という文字はありません。たとえ、短い時間の間でもこの世の人々と同じであったことを聖霊様に申し訳なく思いました。
 自分の気に入らないことに怒り、不平不満を言い、険しい顔をする…これは世の人の姿です。
 はっと気がつくと険しい顔になっている自分・・・
私も聖霊様の導きによって、笑顔があふれ、人に幸せを与えられるような人になりたいです。そのためにも、きちんと聖霊様のことを考え、聖霊様の声を聞いていかなければならないと思いました。
 聖霊様、今後ともきちんと言うことをきくように頑張り、祈りますので、今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

安間チョウコ

2008-05-24 08:32:09

「現代の[霊性]を考えるーより良いスピリチュアルケアのためにー」

この長いタイトルは8月にキリスト者医科連盟総会が、東京の私たちが主催者となって虎ノ門のホテルで、行われるテーマ名である。私にとってはわけのわからない題名だったので、仲間からお借りしたPHP新書「スピリチュアルはなぜ流行るのか」磯村健太郎著を読んだ。これを火曜日の夜に読んだら不安になって眠られなくなり、水曜の早天祈祷会に起きられなかった。それでこの本の内容を少しご紹介したい。
現代の若者は、宗教のように堅苦しい組織的なものは好みでない。今から40年前は、使い捨てという言葉はなく、共同体があり、隣人も誰かがわかっていた。ところがそれ以後、壊れ易いガラスの器が若者だとすれば器を覆うプチプチのエアークッションや、中の段ボール箱や、外側の木箱などは、壊れやすいガラスを守ってくれる共同体であったが、それは失われ、ガラスがむきだしで生きていくことにさらされる様になった。若者は、近くにいる家族にも違和感を抱き、「カフェ型コミュニテイ」のようなネットワークに匿名か仮名で本心をさらけ出す。著者は『見えない何かとつながる感覚をスピリチュアリティととらえ「スピリチュアリティは人の生に何らかの実存的意味を与えてくれるかのように直感させたり、命のリアリティを感じさせたりする側面がある」といい、宗教は「合理的な秩序を超える領域について、人の行為や思考に意味を与えたり、意味を示唆したりするもの」いう。スピリチュアリティは宗教意識の核であり、スピリチュアリティは広義の宗教の一側面と考える。』という。(スピリチュアリティはキリスト教の霊、信じた人には聖霊といえるものだと思う)今の若者は姿や立場は邪魔なもの、リアリティのない生,人生の手触りを感じないで、コースに乗るための競争にますますあおられ「勝ち組」か「負け組み」に運命付けられると感じている。
目に見えない何かにつながりたい、癒されたい、救われたいと思っているが、敷居の高いものは嫌う。体系化され宗教が固体だとすれば、スピリチュアルは自在に形を変える液体のようだ。宗教はいわば液状化するカウンセリング、スピリチュアル・コンベンションというお祭りのようなものやオウムのようなオカルト集団、ヨガ、自然賛歌のスローライフ活動などに置き換えられるという。
若者は「心の痛み」「魂の痛み」を持ち、ケアを受けたいと思っている。これに応じることを「スピリチュアルケア」と呼ぶ。宗教の言葉を直接には用いずに、ケアを受けたいと思っている人がありのままを受け入れられるよう手助けするのである。高齢者でも宗教を信じない人が増え、一人寂しさに耐えている高齢者が増えている。
読後の感想:私の周囲の風景を見渡してみると、確実に共同体意識は失われた。組織を嫌うというのは国民年金や国民医療費やNHK視聴料の義務的責任も負いたくない、人に批評されたくない一人で自由に生きたいという風潮による。若者の顔を見ると人格形成されていないような、精神が成長していないような、荒廃しているような顔に合うことが多くなってきた。キリスト教や仏教の宗教は現代の要求に応えていないと思う。私たちは後退した集団なのか?先週属会で祈りあったように私達の生きている間にキリスト教の復興(リバイバル)がないかもしれないが、リバイバルの来ることを信じる。今はお金や物質の価値が先行している。しかし隣人愛、聖徒の兄弟愛、神のみ言葉の価値、など、中心がぶれないで魂の痛みに手を伸べることを、(各教会が争っている場合でなく、)世界的に広く組織的に、人間の知恵を結集して立ち上がる時に来ていると思う。

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