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중앙영광교회

パンと御言葉

이용규목사, 2008-02-20 00:25:36

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「パンと御言葉」

御言葉//マタイによる福音書4:1-4

1.原則により生きる人生
立派な指導者は他人と違う「自己基準」、すなわち「原則」をもっている。
彼らはどんな苦しい状況の中でも、いつもその基準と原則を最後まで守る。どんな犠牲や損があっても、その「原則」を決してあきらめない。それを「カリスマ」、または、指導者の「リーダシップ(推進力)」と呼ぶ。そのため、彼らはいくら苦しい状況でも目標を必ずかなう人である。それこそ指導者の能力である。
あなたは自分の人生に対してどんな「自己基準」をもっているか?「基準」や「原則」がはっきりしていない人生は、世の風が吹くと、ゆらゆら揺れてしまう。
アメリカのリンカン大統領は、人の話しに揺れず、原則通りに生きた人物として有名である。
リンカンが10歳の時、彼のお母さんが病気で死んだ。お母さんは最後の言葉でこういうことを言ったそうである。
「エイブ(リンカンの愛称)、お医者先生が私に回復は無理だとおっしゃったわ。
あなたが立派な人になることを心から願って祈っているよ。
私がなくなる前に、私と一つ約束することがある。できる?」
エイブの人生の中で絶対に酒を飲まないことと、絶対にタバコを吸わないことだよ。」
お母さんとのこの約束が、彼に一生の一つの「原則」になったそうである。それで彼は人生でどんな誘惑があっても、絶対に酒を飲まなかったし、タバコを吸わなかったそうである。
「原則」が人を守り、誘惑に勝つ力を与える。
偉大な人物は生まれつきではない。偉大な原則をもって強い意志で最後までそれを守っていく人を通して作られる。
マタイによる福音書4章4節のイエス様の姿は、その偉大な人物の姿である。
荒れ野で40日間、断食なさったイエス様は、たぶんすごくおなかがすかれたと予想できる。どれほどおなかがすかれただろうか?断食したことのある人なら、十分分かると思う。しかし、よりによってその時、悪魔はイエス様を「パン」で誘惑した。暖かくてふわふわしたパンを想像するだけでも耐えられないのに、そんな誘惑を受けると、いかに苦しかっただろうか。
その時、イエス様がこのものすごい誘惑を軽く乗り越えた秘密がある。その秘密の正体は何だろうか?そこに能力があるだろうか?それは、ただ一つ「原則中心の人生」であった。イエス様の人生の中心は「ただ聖書」だった。イエス様はいつも聖書から離れなかった。聖書がイエス様に与えられた使命によりイエス様は十字架につけられ、聖書が与えられた使命によりイエス様はお墓から復活なさった。だから、パンの強力な誘惑を受けた時にも、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きると書いてある。」という御言葉で、悪魔を簡単に退けた。
イエス様はいつも御言葉の「原則」を守った。御言葉から右にも左にもそれてはならなかった。
多くの人々は「神様が僕にも直接に話してくだされば、僕もそのとおりにやる。」という。しかし、イエス様も直接御言葉をいただいていない。強力な誘惑を受けた時、神様は沈黙なさった。イエス様はただ、すでに聖書に書かれた御言葉によって、自ら判断なさったのである。それこそ意志的な信仰であり、能動的な信仰である。イエス様の方法は、神様からの言葉を切れなく待つことではなく、すでに下さった御言葉(聖書)に耳を傾けたことである。
「書かれた御言葉」、つまり聖書が、イエス様の人生の「原則」であり、「基準」であった。
イエス様はどんな環境でも、その原則から外れたことがなかった。飢えの苦しさも、死も、どんな脅迫も、イエス様をこの原則から倒すことができなかった。イエス様はただ聖書の基準とおりに生きた方である。イエス様の人生は聖書そのものであり、聖書の証人の人生であった。だから、イエス様は聖書通りに、人類の救い主になった。
クリスチャンの真の姿は、「人生の基準」がイエス様に似ていく姿になることである。
クリスチャンは世と違う「自分の基準」をもっている人である。イエス様のように、聖書を基準として、聖書通りに生きる人である。

2.        パンと御言葉
イエス様を誘惑した悪魔の場合のように、私たちを倒す最も強い世の誘惑の風は、やはり「お金の風」である。(韓国)の南大門も、結局「お金の風」によって全部燃えてしまった。もし、放火犯が自分の土地に対する十分な報償をもらったら、このばかばかしいことは絶対起きなかっただろう。結局、「お金の風」に自分の基準が揺れてしまい、南大門だけでなく、自分の人生も倒れ、全国民の胸もつまってしまったのである。ここで、一度考えてみよう。彼がもしイエス様のように、聖書の原則により、敵を愛し、敵のために祝福するという基準を持っている人だったならば、南大門を燃やしたのではなく、毎朝、南大門の周囲を掃除する善い市民になったのではなかろうか。
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)
イエス様のこの御言葉は、結局、信仰生活の最大の敵がお金であるということを示している。お金で神様を捨てる人がいる可能性を、強く警告されている。
あなたの人生の原則は、果たしてパンか?聖書か?パンによって、聖書があなたの心から離れることがあってはいけない。世のどのおいしいパンがあなたを誘惑しても、聖書を守らなければならない。荒れ野のイスラエルの民も、結局、神様を金の子牛に変えてしまったことがあった。お金は、神様の次にある程度、怖い存在に違いない。お金の誘惑に勝てる人は、他のどの誘惑にも勝てる。あなたが聖書の原則を生きられないようにする、最大の強敵は、富であることを常に覚えてほしい。
「不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(テモテ一6:17)
「御言葉に心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」(箴言16:20、新改訳)
「富を得ようとして労するな/分別をもって、やめておくがよい。」(箴言23:4)
お金は誘惑に過ぎない。誘惑は早く切れば切るほど良い。それによって、自分がやっと安全を得る。ただ聖書だけ人生の命であり、真理であり、力であり、祝福である。お金より聖書の人生を守ることが、人生を守ることである。
お金に聖書が奪われないように。
お金に人生が奪われないように。

3.        聖書が作った人
イエス様の次に、世と妥協しないで、聖書通りの人生を生きた代表的な人物は、リンカンだろう。彼がどれほど正直な人生を生きたかは、彼のあだ名、「正直なエイブ(honest ABE)」を見れば分かる。
リンカンのお母さんは信仰がとても深い人だった。
娘と息子を産んだが、娘の名はサラ、息子の名はアブラハムとつけた。アブラハムとサラを子どもとしてもっていた方だった。お母さんは、時間がある度に、子どもたちに聖書の話を聞かせた。しかし、残念ながら、お母さんはアブラハム・リンカンが10歳の時に世を去ってしまった。そして、家庭の環境が貧しく、リンカンは学校の教育をわずか9ヶ月しか受けなかった。この大変な環境の中でも、彼は世界最高の指導者として育った。何が彼を偉大な人物にさせたのか。その能力は、果たして何だろうか。
リンカンは、大統領の就任式の演説でこう語った。
彼は、聖書一冊を手にし、
「この古い聖書は、私の母から譲っていただいた聖書です。
私は、この聖書によって大統領になり、この場に立っています。
私は、この聖書通り、この国を統治することを約束します。」
彼は、聖書通り自分の人生を生きた人であり、
聖書通り国を治めた大統領であった。
26代のルーズベルト大統領は、誰よりもリンカンを尊敬したという。
彼は、大変なことがある度に、壁にかかっているリンカンの肖像画を見ながら、「こういう場合、リンカンならどうしたのだろう?」として答えを見つかったりしたという。
彼は、リンカンを一言でこう表現した。
「リンカン大統領は、聖書一冊で作られた人です。
彼は、聖書から学んだ真理を、いつも生活に適用し、自分の人生を偉い人生として作り上げました。彼は、聖書と共に生きた、偉大な聖書の人物だったのです。」
アメリカの学生が使用するある教材(The American Patriot’s Handbook)では、リンカンをこういうふうに紹介する。
「リンカンは、家庭の環境が貧しく、学校の勉強はあまりできなかったけれど、
聖書を読んで、また読んで(He read and reread the Bible)、偉大な人物になった。」
リンカンを偉大な人物にさせたのは、環境でも、学校でもなく、聖書だった。
彼は、聖書の作品だった。
どうか。あなたもリンカンのように聖書と親しみたくないか。
聖書は、人生に影響を与える本ではなく、人生に革命を起こす本である。
聖書は、人生の参考書レベルではなく、人生の完全な教科書である。
あなたにとって、聖書はどのような本なのか。
雑誌より低いレベルにあるか。あるいは、参考書レベルの程度か。あるいは、完全な教科書か。
それが、あなたの人生を決定する。
リンカンは述べた。
「私は、霊の食卓に出る前に、肉の食卓に出たことがありません。」

6 コメント

박유진

2008-02-20 00:26:41

「1.原則により生きる人生」の部分は、イン・ソンジョンさんが訳してくださいました。ありがとうございました。

中森千草

2008-02-20 15:39:37

生きていく上で、 最も基準となるものが何かによって、 判断、行動され、 その確かとなるのが聖書であり、 神様の御言葉を適用するかしないかで、 人生を大きく左右すると思いました。 
リンカーンの生活状況は、 目で見てはとても貧しかったと思いますが、 聖書、神様の御言葉にあふれた、すばらしい環境を神様がお与えになり、神様に選ばれた人だと思います。
私自身、もっと神様に目を向けて、御言葉にしたがい、神様の御心にかなう生活を送らなければならない。

安間チョウコ

2008-02-20 20:56:44

パンと聖書(御言葉)
レントの時節がめぐってきた。受難節が来たのに此の世的生き方をしている。
イエス様の復活は最高の喜びだけれど、イエス様を信じるものとして十字架の意味と断食は本当に苦しい。イエス様は荒野に出て40日の断食をされる。レントに入ると荒野をイメージして世俗から離れ、聖なる世界を自分の環境に持ち断食をできるだけしようと思う。しかし意気地がないからいつも3日くらいでくじけてしまう。   
以前レントの期間中、環境を整えることが出来て、一週間パンを食べず、その間聖書を読み、肉のパンを断って、心のパンを食べたことがあった。その時は、恵みに満ちてアーメンを何度もいった。今年は、レントの準備も出来ずにいるので、イエス様に申し訳ない。
日曜日の説教からはイエス様とリンカーンの意志の強さ、けれど自分の意志の弱さを知った。
今年のレントは、少なくとも水曜の朝の礼拝だけは欠かさず参加し、またマタイの福音書を28章まで何度も読んで、聖書に書かれている状況を頭に刻んでいきたい。

田辺高幸

2008-02-21 07:02:19

自分が聖書を読むようになったのは不純と言えば不純であった。イエス様を信じる人たちのことを理解しようというもので、そこには信仰心を強くしようとかはなかった。それがいつの間にか、読むことが日課となった。
そうなると読み方が自然と変わって来た。この書は僕を正しい方向に導くようにしてくれているので、何かをするときの基本となったのである。困ったことにあったとき、聖書の御言葉が僕の物事をする基本となった。間違いなく僕にとって最も影響力を持つ本になった。
今となっては読むことは当たり前のこと。おそらくずっと続くんだろう。これで毎日正しく生けれればそれで自分は満足です。

古郡武志

2008-02-21 10:33:40

1.立派な指導者は他人と違う「自己基準」、すなわち「原則」をもっている。
 このところ、異常な事件のニュースに報道を通して接する度に思うことがある。それは、「何でもありの世の中になったな」という感想である。恥や罪の意識で抑制されていた行動が、その恥や罪の意識というくびきから解き放たれ、何でもできるようになったということである。また、これは、各自の行動に全く「自己基準」や「原則」がなくなってきたことを意味するのだと思う。もちろん、ただ一つの基準を除いてであり、その基準とは、「何を差し置いても、人を傷つけても、自分の欲望は充足させる」という基準であるが…
すでにこの基準は強まりこそすれ弱まることはなく、もはや末期的様相を呈しているのではないかとも思う。これはニュースで出てくる異常な事件の主人公だけの問題であろうか?そうではあるまい。慈善事業に寄付しようとすれば、耳元でこうささやく悪魔がいるかもしれない。「寄付するより、少しでも貯金しといた方がいいぞ。日本の年金制度は崩壊が確実なんだから、寄付もいいけどさ、お前の老後の生活安定も大事だぞ…」どうも、漠然とした生活不安感が広がって、人のことを考える余裕を失っていく…これもニュースに出てくるような露骨的な利己主義ではないが、利己主義の範疇に属するものであろう。この世の全ての人がそのような利己主義を貫徹したらどうなるか、すさまじい弱肉強食社会となり、おぞましく見るにたえない社会になるのであろう。
 しかし、われわれは、決してこのような世の中の流れに身を任せてはいけないのであろう。われわれは、「地の光」「世の塩」である。利己主義充満の世の中に染まってはいけない。例えば、聖書のみことばを通して、わたしたちは命じられているのである。「あなたの隣人を愛しなさい」と…「少しでも弱い人・苦境にある人のために祈り、すこしでも具体的に何かをしてあげること」を原則にしたいと思う。もちろん、原則にすべきことはこれだけではない。愛、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制…みことばが教えてくれる原則は数多く、これらの原則をまもることは容易なことではない。しかし、「自分の利益を中心にし、心からわきおこる憎しみ・怒りに身を任せろ」という悪い基準・原則の支配に抗って、正しい原則・基準を置くようにしたい。もちろん、それは、聖書である。「敵のために祝福する」という基準を持つ人がもう少しでも世の中に多かったら、歴史上数多く見られた憎悪の連鎖による殺戮の悲劇は少なくなったであろう。
 「無原則」な指導層をもち、「無原則な社会」である日本にいるからこそ、正しい原則・基準で身を律し、周りにもよい影響を与える存在になりたいと思う。
2.イエス様のこの御言葉は、結局、信仰生活の最大の敵がお金であるということを示している。お金で神様を捨てる人がいる可能性を強く警告されている。
 はっきり言ってお金は好きである。給料が振り込まれて、残高が増加した預金通帳を見れば、誰しもよい気分になるのではないだろうか?ただ、私も、通帳の残高は全く気にせず、ただ、御言葉によって霊的に充実した自分に喜びを感じるような人間にならなければと思う。また、富に関しては、「永遠の世界」に持っていくことはできないということに留意したいと思う。金が第一目的の人生を送ったら、きっと死ぬときに後悔するだろうが、そのときは手遅れなのである。「永遠の世界」を意識し、御言葉を読み、実践して、富を天に積めるようにならなければならないと思う。

木下 

2008-02-21 17:35:43

イエス様がお話になった「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きると書いてある。」という御言葉が心に残りました。誘惑に対して心を守る聖書の御言葉の偉大な力について再認識しました。説教の中で紹介されている、リンカーン大統領、ジョン・ワナメーカー、ムーディ牧師様など偉大な方々の人生は、それぞれ違いますが、聖書の御言葉を信じて、聖書を読み、人生に適用したことにより聖書は、架空の昔の物語ではなく現在も、永遠に不変に変わることのない真実を記した書であることを身を持って証明していると信じています。神様は私に何を望まれているのでしょうか。私は聖書によって、日々心を守り、心を豊かにして神様が喜ばれる人生を歩んでいきたいと思います。

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