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중앙영광교회

聖書は何を語っているか

이용규목사, 2008-01-09 00:56:00

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「聖書は何を語っているか?」

御言葉/ヨハネによる福音書5:39-42

1. 証人となる
聖書は、私たちを神様の証人とならせる本である。
聖書は、‘神に仕える人がどのような善い業をも行うことができるように、十分に整えてくれる。’(テモテへの手紙二3:17)
‘そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。’(マタイによる福音書7:24)
‘聖書に書かれていることをすべて忠実に守りなさい。
そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する’(ヨシュア記1:8)
聖書は、神様の人が有能で賢く、行く先々で栄え、成功するようにしてくれる本である。
神様は、この本の内容を守って行う人に、世の中が与えてくれない驚くべき恵みと祝福とを与えてくださる。
それでは、一体何を守って行わなければならないのか?聖書は何をすべきだと述べているのか?聖書の核心的な内容は何なのか?こんなに厚い本で一体何を、どのようにするということか?イエス様はこれに対する答えを、とても単純化して私たちに教えてくださる。

2. 聖書は何を語っているか?
聖書の中には何があるか?永遠な命がある。‘あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。’(ヨハネによる福音書5:39) 永遠な命は、聖書からでないと得られない。だから聖書は尊いものである。聖書は‘命の本’である。
それでは聖書は誰について証言しているか?イエス様を証言している。‘聖書はわたしについて証しをするものだ’(ヨハネによる福音書5:39) 言い換えれば、聖書に盛られている‘永遠な命’はイエス様の中に入っているという話である。聖書の中にイエス様がいらっしゃるから永遠な命があることであって、イエス様がいらっしゃらなかったら聖書にいくら珍しいものが入っていると言っても‘永遠な命’はない。イエス様だけが永遠な命の力であり、永遠な命の宝の箱である。
昔も今も多くの人々が聖書を研究(勉強)してはいるが、無茶なところに行く傾向が多い。‘あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。’(ヨハネによる福音書5:40) このようにおっしゃっている神様の御心はどんなにもどかしかったか?研究の方向がイエス様(命)に向けないで、お金、知恵、合理化などに流れてしまい、クリスマスに主人公であるイエス様が消えたように、聖書の本質であるイエス様が消えている。イエス様のいない聖書はもう聖書ではない。イエス様がいらっしゃるから、聖書は力があって、生命力があるのである。
聖書の内容を一言で言ったら、それは当然‘イエス様’である。聖書は‘イエス様の本’である。
イエス様が命であり、イエス様が能力であり、イエス様が聖書そのものである。
‘主の名を呼び求める者は皆、救われる。’
‘わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。’(使徒言行録3:6)
‘イエス、最も尊いその御名’を日々に賛美しながら生活する人生より恵まれた人生が他にあるか?
聖書の内容を一言で表現すると、‘イエス様’であるが、イエス様はこれを2つの言葉で説明していらっしゃる。それはまさに‘もっとも大切な戒め(偉大な戒め)’と‘大宣教命令(偉大な使命)’である。
もっとも大切な戒め(マタイによる福音書22:37-40)は、イエス様が旧約の御言葉を要約してくださったのであり、大宣教命令(マタイによる福音書28:19-20)は新約時代に自らなさった使役を要約してくださったのである。
聖書を守って行うということは、イエス様をよく信じて従順することであり、
聖書を守って行うということは、偉大な戒めと偉大な使命に、偉大な献身の姿を見せることである。
‘偉大な戒めと偉大な使命に対する偉大な献身だけが偉大な人物を作る。’
偉大な人物には必ず偉大な証がある。偉大な神様が同行してくださるから。
もっとも大切な戒めと大宣教命令とを適用しやすく解いて述べると、それはまさに‘人生の5つの目的’'である。
聖書は、‘5つの目的’を語っている。5つの目的をよく守る人は、まさにイエス様に従順する人であり、聖書通り生きている人である。聖書をこんなに厚く書いて述べたいことは、結局‘人生の5つの目的’である。
では、どういう人が聖書をよく守って行う人生を生きている人なのか?
常に5つの目的に向けて走って行く人である。この5つの目的とかけ離れた人生を生きている人は、結局人生を無駄遣いしているのである。その人が世の中の前ではいくら大きい業績、成功、お金、名誉を得たとしても、それは神様の前では無駄使いに過ぎない。
私たちの人生に対する神様の点数は5つの目的に対する次の質問から出る。
-私はどうすれば神様の喜びになることができるか?(礼拜)
-私はどうすれば教会(神様の御身)をもっと愛することができるか?(交わり)
-もしイエス様が私の立場なら、どのようになさっただろうか?(訓練)
-私はどうすれば他人を助けることができるか?(使役)
-私はどうすれば世の中に命(福音)を伝えることができるか?(伝道)
各質問当たり、点数を20点にすると、今、あなたの人生の点数は何点か?
神様の前に立つ時、恥ずかしくない点数か?神様に褒められる点数か?
‘忠実な良い僕’と‘怠け者の悪い僕’とは、今日のあなたの人生が作って行っている。

3. 5つの姿
神様は、私たちが5つの目的のために生きるようにするため、イエス様を通して5つの姿を見せてくださった。神様はイエス様を通して私たちのオリジナルの姿を見せられ、私たちを御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められた。(ローマの信徒への手紙8:29)
自分自身の本来の姿が知りたいか?それは、イエス様の姿を見たらすぐ分かる。
‘信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめよう’(ヘブライ人への手紙 12:2)
そうしたら、私たちが世の中に証拠しなければならない5つの姿は何だろう?

1) 神様の家族の姿で生きて行かなければならない。
イエス様は神様の息子としてこの地に来て、御子の権勢を証拠しながら暮した。そしてお父さんである神様と完璧に一つになっている姿を見せてくださり、兄弟である私たちのために命まで与えてくださった。これが、私たちが世の中に見せなければならないまことの姿である。神様の子供としてのプライドと能力とを持って、お互いに愛して仕えながら一つにならなければならない。この姿を回復するためには、主の中でスモールグループを通じた恵み深い交わりが必ずなければならない。
あなたはまことに神様の家族である者の姿で生きているか?
2) 神様の人柄のモデルとして生きなければならない。
イエス様は、‘私を見た者はお父さんを見た’とおっしゃるほど、神様の姿をそのまま世の中に見せられる人生を生きておられた。では、今日は誰が神様のまことの姿を世の中に見せながら生きて行かなければいけないのか?‘訓練を受けた私’である。私たちは、神様の姿を世の中に見せる義務のある、天国のモデルたちである。これは訓練と試練を通して美しく整えられる。
‘銀がきれいだということはどうやって分かりますか?’という質問に、銀細工人の答えた内容が私たちの霊的な姿をよく語ってくれる。
‘銀に私の姿が映る程度を見て分かります。’
‘銀はきれいなほど、自分の姿を見せるのではなく、主人の姿を映る。
その反面、純度が低いほど不純物で満たされるから、自分の姿で主人の姿を遮ってしまう。あなたの人生には神様の姿がよく現われているか?それともまずくて醜い自分の姿が、常に神様の姿を遮っているのではないか?しつこい訓練を通して絶えずに磨いて行かなければならない。神様の姿だけが照らされるように。
信仰の純度の高い人であればあるほど、その人の‘人生の鏡’には常に神様の姿が鮮かに映るものである。
3) 神様の栄光の拡大鏡として生きて行かなければならない。
イエス様は神様の栄光のために十字架の苦痛にも耐えた。祈りを教えてくださる時も、‘神様の御名が崇められますように’とおっしゃって神様に栄光を捧げることを最優先と思った。神様を喜ばせることが人生の目的の中の目的である。神様を喜ばせるすべてのことが礼拜である。一方、神様を悲しませることは偶像礼拝である。神様を喜ばせるためには良い習慣をつけなければならない。感じがあるかどうかに関係なく意志的によく神様と神様の御言葉とを思う習慣をつけるのである。これがまさに神様の臨在訓練である。
4) 神様の恵みの使役者として生きなければならない。
イエス様は弟子たちの足を洗ってくださったのみならず、罪人たちのために十字架につけられる使役を最後まで行われた。教会のまことの使役者は、信徒たちである。使役は、自分の能力を分かち合うのではなく、神様に受けた恵みを教会の人たちと分かち合うのである。だから、私たちは‘恵みの使役者’である。恵みの使役者は、どんなことでも自発的に喜びを持って行う。恵みを知っている人は、使役(奉仕)が生き返える。恵みは奉仕の母だから。
あなたは未だに教会で礼拜だけ捧げてどんな仕事もしていないか?
教会の使役者はまさにあなた自分という事実を忘れないでほしい。サドルバッグ教会のように元気な教会は、全信徒が1週間に1つ以上、それから1時間以上、教会のために奉事する。これが元気な信徒、元気な教会の姿である。
イエス様は人を捜していらっしゃる。
‘誰が私の手足になってくれるか?’
5) 神様の福音の宣教者として生きなければならない。
イエス様は命を与えてくださるためにこの地へいらっしゃった。
‘近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである’ (マルコによる福音書1:38)
‘全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。’(マルコによる福音書16:15)
‘福音が伝えられるすべての機会を最大限活かしなさい’(コロサイの信徒への手紙4:5-英語翻訳)
誰かが自転車に乗って行っている途中あなたの前で倒れたか?それは、神様の与えてくださった機会である。その機会を最大限活用して命を伝えて見なさい。神様も喜ばれ、あなたも幸せになるだろう。
私たちは教会の中では使役者であり、教会以外のところでは宣教師である。

今、あなたはどんな姿をしているか?
神様の家族らしく生きているか?
天国のモデルらしく生きているか?
神様の栄光を現しているか?
恵まれた使役者らしく生きているか?
福音の宣教師らしく生活しているか?
これが、聖書の語っている我が人生のまことの姿である。

5 コメント

박유진

2008-01-09 00:59:47

今回は、イ・ジンエさんが訳してくださいました。
お忙しいところ、ありがとうございました。

田辺高幸

2008-01-10 08:44:14

僕は神様はいらっしゃるとは思っていたが、確信を持つことは出来なかった。それを変えてくれたのは間違いなく聖書だ。この本により僕は確実に神様の存在を知ることが出来た。神様はいらっしゃる。間違いないことだ。
神様の姿は僕は見たことはない。だけど、神様がいることを、神様がどのような方なのか、そして神様はどのように自分たちを愛しておられるかを知ることは聖書の中で見ることが出来る。そうそれはイエス様だ。
イエス様は私を見る者は父を見るとおっしゃった。主を見ることで神の存在を目にすることができる。兄弟を愛することをイエス様は言われた。イエス様を通して神様は愛であることを知ることが出来た。そしてイエス様は自分を犠牲にすることで人類を救った。神様はイエス様を通して、お造りになった人間に対する愛情を示された。
イエス様を見ることが神を見ることなのだ。
これを書いてある聖書は間違いなく神様を証明する本であることが分かる。
さて40日の旅で示された5つの目的。これを点数をつけるとなると寂しい数字になるだろう。だからこそ自分はこの目的のために生きている。神様のために生きて行こうと思う。
これからも弟子訓練が続く、そんな感じである。
最後に、イ・ジンエさん、今回、僕たちのために訳して下さりありがとうございます。自分自身、リップルをさぼっていて反省しています。そんな自分にリップルをする機会を与えて下さって感謝しています。今後、リップルは、自分のためにもさぼることなく書くつもりです。

中森千草

2008-01-13 01:01:26

洗礼を受けたときに、 聖書をプレゼントしていただき、 洗礼を受ける前から決まっていたイスラエルの旅行に、 洗礼式の2週間後に旅をしました。 
旧約が怖くてなかなか読めませんでしたが、 イスラエルという地を見て、 そして、 人々を見て心に感じることがあってからは、 早く日本に帰って旧約を読みたいという思いになりました。(イスラエルには新約しか持って行かなかったため)
イスラエルに行ってまず感じたことは、 信仰のなかに生活がきちんとありました。 人を通して信仰、 そして、 聖書にすごく興味をもち始め、 聖書は、 私たちがどのように生きていけばいいのか?が書かれており、 生きていくうえでのガイドブックだと思いました。
”律法を守らなければならない” という考えが強くなりがちですが、 律法に従って生きていけば、 必ず成功の道になることを、わたしは確信しています。

윤현명

2008-01-14 03:47:48

最近、イドンヒさんの証を聞いたです。彼の証に感銘を受けました。「神様は私のように足りない人も使うし、私のように勉強ができない人も使います」。それを聞いた途端私はハレルヤと心の中で叫びました。私はいろいろ足りない人だけど、いつか神様が私を使い、その働きを表わすことを期待します。

安間チョウコ

2008-01-15 07:27:39

去年私が弟子訓練を受けているといった友人に今は使役訓練を受けているといったら、「安間さん大変だ大変だといいながらやるんでしょうね。信じられない。」といわれた。
聖書を読むようにと1月1日には「겅경읽기표」を受け取り、気持ちを新たにした。
使役訓練の日課表で聖書を読むこと、お祈り、黙想、暗記などをしていると本当に時間に追われる。キリストの後ろについていく事は私にとって人生すべて修養=訓練を意味する。
普通の人は元旦は少しのんびりして何もしないでボーっとしていられるけれど、修養の身はそうはいかない。聖書から始まる。時間が結構かかる。キリストについていきたいと思うなら世の中の人が望むものは受け取ることが出来ない。私が望んだ道だ。

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