ランドリー
三浦綾子さんは「この土の器をもー道ありき第2部」の本で許しに関する貴重なあかしを届けてくれました。
夫のスーツ一着をランドリーに預けました。そのスーツは質も良いのですが、品格もある洋服でした。ところが、一週間で仕上がるといわれましたが、預けて半月が経っても持って来ませんでした。心配で電話したところ、そのスーツを盗まれたということです。誰あろう、その店で働いていた店員がその洋服が欲しくて盗んで逃げたそうです。店の社長は、あまりにも申し訳なく思い、説明もできずに連絡を伸ばしてしまったのです。
綾子さんはすごく怒ってました。当然、弁償を求めておきました。
夕方、帰宅した夫に慎重にこの話をしました。夫が大切にするスーツだから話をかけるのが容易でなかったのです。“あなた、弁償しろといいましたよ。しかし、そんな良い洋服は買えないでしょう。”と夫を安心させました。
すると夫が意外な答えをしました。
“だめでしょう。綾子、そんなに恨んでどうすんの?何も言わずに許してあげるべきなのに、、、。”
“なんてことです?弁償も求めずに許すんですか?”
夫は丁重に言いました。
“綾子、弁償や無理な要求はしないで。相手は小さなランドリーだろ。もし、洋服を弁償したとすると、一ヶ月は食べるものがなくて大変かもよ。ただ、許してあげよう。”
綾子は最後まで弁償してもらうといいました。その時、夫は「綾子は、聖書を読んでいるでしょ?聖書には許しなさいと書いてある。許しということは、相手が間違いを犯すときでなければ行うことができないじゃない。何も間違ってないのに許すわけにはいかないでしょう。だから許してあげよう。弁償しろと言っちゃだめだ。“
綾子さんの夫、三浦みつよ氏は、聖書が生きている人でした。彼は、聖書の御言葉をそのまま信じ、生きようとした人でした。自分が大切にして一番お気に入りにした洋服を盗まれても平気で許すことができるということは、信仰でなければ不可能なことです。
「聖書に何と書かれているか?神様は何と言われるだろうか?」
これが私の人生の基準になっているのでしょうか?
それとも「私にどれだけの利益があるのか?私の自尊心をどれだけ立ててくれるのか?」
これが人生の指標になっているのでしょうか?
多くの信仰の人達は、御言葉と生き方が別々な人生を歩んでいます。神様は私たちの生きることのために御言葉をくださったのに私たちは聞くだけで終わらせようとしています。そのため、クリスチャンの生活が力もなく、感動もなく、世間とさほど違いはありません。
御言葉の実践のみが生きた信仰です。行ないのない信仰は、信仰の形はありますが、信仰の力はありません。
「魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。(ヤコブ書2:26)」
肉体の本能は恐ろしい力を持っています。絶対に損したくありません。利益に従って決めようとします。だから、御言葉を激しく攻撃します。できる限りは御言葉に勝ち、そちらに連れて行こうとします。だから許しは容易ではありません。許しは損する思いを与えるからです。愛はさらに困難にさせます。自ら志願して損する行為と断定するからです。肉体の本能は、聖書の生き方を馬鹿な事だと冷やかします。損することを馬鹿なことだと定義しているからです。
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイによる福音書5:44)」
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1 コメント
中森千草
2017-04-02 13:56:28
怒って感情を相手にぶつけるのか、
それとも諦めて現実を受け入れるのか…
ではなく、イエス様の生き方を見習って
イエス様と同じ行動をするという事を、
身につけることから始めなければ
ならないのだろう。
自信はありませんが、意識する事から
始めます。