挨拶
節日になると、韓国のほぼ全ての人々は移動をします。主に両親がいる故郷を訪れます。交通渋滞で普段の二倍以上の時間がかかっても、何の不満も言わずに毎年移動します。そして翌日もしくは、二日後に再び渋滞している道を運転して、自宅まで戻ります。多くの人々がこのようにするには、重要な理由があります。年に一、二回は両親と親戚に会って挨拶をする為です。
今年のお正月の期間は久しぶりに友人のお母さんに挨拶に行きました。今年 87歳なのに精神的にも肉体的にもとても元気です。耳も遠くなく、人の話がどんなによく聞き取れるか分かりません。心を込めたちょっとしたプレゼントをお渡ししたら、"これから来るときは、何も気を遣わないで " と言ってくれます。‘挨拶しに来るからこんなにいいのに’と言いながらとても幸せそうな顔になります。そして私が持っていった物より、もっと多くの物を持たせてくださいます。
幼いときに親から受けた教育の中で、最も厳しく教えられたのが挨拶です。一日に10回町内会の人々に会っても挨拶をしっかりしなさいと教えられました。うちの店の前で会う人には必ず無条件に挨拶しなさいと、大人になった今でもたまに父から言われます。
この頃、両親が悩んでいる事が一つあります。田舎の我が家は、道端にある家で、家の前がすぐバス停です。両親はそこで雑貨屋を何十年も営んで来ました。そのため行き来する人が誰なのかすぐ分かるのです。ところで親戚の中に両親と仲の良くない人々がいるのですが、その人々はしばしば我家の前を通りながらも知らんぷりして、挨拶もしないそうです。 その事により悩み苦しんだ心の内を私が行けば話したりします。以前には、母側のいとこと、父側のいとこが共に節日になれば必ず挨拶しに来ましたが、この頃はあまり来ないようです。それが気になるのか、‘今年は誰々は来たのに、誰々はきていないなぁ’と話たりします。
挨拶はお金がかかることではありません。時間がかかることでもありません。すれ違った際に、目を合わせ微笑みながらその人の存在をわかっている事を示すだけでいいのです。 声に出さなくても、口だけ少し開いて ‘こんにちは'と言えばいいのです。挨拶は相手を認めてあげて、尊重してくれる一番基本的で重要な手段です。挨拶は人間を人間らしくする一番重要な道具です。人間であれば少なくとも挨拶だけは上手にしなければなりません。 '申し訳ありません、こんにちは、失礼します、ありがとうございます、愛しています' 人に会う時に、この五つの中から一つ二つ自然に出てくれば、人間関係は本当に親密になります。知らんぷりすること、無愛想なことは人間関係を破壊する悪い行為です。
挨拶だけでもしっかりできれば、人は立派に見えます。
一方、挨拶がしっかり出来ない人であれば、身分を問わず、とんでもない人として認識されます。挨拶の溢れる社会は、必ず明るい社会、愛の溢れる社会になるでしょう。
パウロは手紙で多くの人々に挨拶をしました。それが聖書に記録されています。
信仰のある人々にあいさつがどんなに重要であるかをよく教えてくれているのです。
信仰のある人々は世の中の光であり、花であります。 その花は挨拶から咲き始めます。 'こんにちは'は、また違う 'こんにちは'の花を咲かせて、 'ありがとうございます'は、また違う感謝の花を咲かせるようになります。
挨拶は、先にすることがとても重要です。 能力のある人は挨拶を先にします。 一方、無能な人は誰かが先に挨拶してくれるまで待っています。挨拶を受ける人より挨拶をする人の方が有能な人です。相手が挨拶するかしないかを眺めているのではなく、先に近寄って挨拶する人が真のリーダーです。他のものは譲っても挨拶だけは譲ってはいけません。挨拶の先制攻撃は、この地の暗闇を退ける光を発射することと同じです。
挨拶を交わすその中に、明るい人間関係があるのです!
節日になると、韓国のほぼ全ての人々は移動をします。主に両親がいる故郷を訪れます。交通渋滞で普段の二倍以上の時間がかかっても、何の不満も言わずに毎年移動します。そして翌日もしくは、二日後に再び渋滞している道を運転して、自宅まで戻ります。多くの人々がこのようにするには、重要な理由があります。年に一、二回は両親と親戚に会って挨拶をする為です。
今年のお正月の期間は久しぶりに友人のお母さんに挨拶に行きました。今年 87歳なのに精神的にも肉体的にもとても元気です。耳も遠くなく、人の話がどんなによく聞き取れるか分かりません。心を込めたちょっとしたプレゼントをお渡ししたら、"これから来るときは、何も気を遣わないで " と言ってくれます。‘挨拶しに来るからこんなにいいのに’と言いながらとても幸せそうな顔になります。そして私が持っていった物より、もっと多くの物を持たせてくださいます。
幼いときに親から受けた教育の中で、最も厳しく教えられたのが挨拶です。一日に10回町内会の人々に会っても挨拶をしっかりしなさいと教えられました。うちの店の前で会う人には必ず無条件に挨拶しなさいと、大人になった今でもたまに父から言われます。
この頃、両親が悩んでいる事が一つあります。田舎の我が家は、道端にある家で、家の前がすぐバス停です。両親はそこで雑貨屋を何十年も営んで来ました。そのため行き来する人が誰なのかすぐ分かるのです。ところで親戚の中に両親と仲の良くない人々がいるのですが、その人々はしばしば我家の前を通りながらも知らんぷりして、挨拶もしないそうです。 その事により悩み苦しんだ心の内を私が行けば話したりします。以前には、母側のいとこと、父側のいとこが共に節日になれば必ず挨拶しに来ましたが、この頃はあまり来ないようです。それが気になるのか、‘今年は誰々は来たのに、誰々はきていないなぁ’と話たりします。
挨拶はお金がかかることではありません。時間がかかることでもありません。すれ違った際に、目を合わせ微笑みながらその人の存在をわかっている事を示すだけでいいのです。 声に出さなくても、口だけ少し開いて ‘こんにちは'と言えばいいのです。挨拶は相手を認めてあげて、尊重してくれる一番基本的で重要な手段です。挨拶は人間を人間らしくする一番重要な道具です。人間であれば少なくとも挨拶だけは上手にしなければなりません。 '申し訳ありません、こんにちは、失礼します、ありがとうございます、愛しています' 人に会う時に、この五つの中から一つ二つ自然に出てくれば、人間関係は本当に親密になります。知らんぷりすること、無愛想なことは人間関係を破壊する悪い行為です。
挨拶だけでもしっかりできれば、人は立派に見えます。
一方、挨拶がしっかり出来ない人であれば、身分を問わず、とんでもない人として認識されます。挨拶の溢れる社会は、必ず明るい社会、愛の溢れる社会になるでしょう。
パウロは手紙で多くの人々に挨拶をしました。それが聖書に記録されています。
信仰のある人々にあいさつがどんなに重要であるかをよく教えてくれているのです。
信仰のある人々は世の中の光であり、花であります。 その花は挨拶から咲き始めます。 'こんにちは'は、また違う 'こんにちは'の花を咲かせて、 'ありがとうございます'は、また違う感謝の花を咲かせるようになります。
挨拶は、先にすることがとても重要です。 能力のある人は挨拶を先にします。 一方、無能な人は誰かが先に挨拶してくれるまで待っています。挨拶を受ける人より挨拶をする人の方が有能な人です。相手が挨拶するかしないかを眺めているのではなく、先に近寄って挨拶する人が真のリーダーです。他のものは譲っても挨拶だけは譲ってはいけません。挨拶の先制攻撃は、この地の暗闇を退ける光を発射することと同じです。
挨拶を交わすその中に、明るい人間関係があるのです!
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番号 | タイトル | 投稿者 | 日付 | 閲覧数 |
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481 |
砕いてはいけない1 |
2016-02-29 | 343 | |
480 |
깨뜨리지 말라 |
2016-02-25 | 115 | |
479 |
挨拶1 |
2016-02-20 | 90 | |
478 |
인사 |
2016-02-18 | 91 | |
477 |
晩鐘1 |
2016-02-13 | 116 | |
476 |
만종1 |
2016-02-11 | 192 | |
475 |
禁と魔1 |
2016-02-06 | 109 | |
474 |
禁과 魔 |
2016-02-05 | 91 | |
473 |
目1 |
2016-01-30 | 105 | |
472 |
눈 |
2016-01-28 | 81 | |
471 |
誰が和解への犠牲となってくれるのか1 |
2016-01-23 | 151 | |
470 |
누가 화목제물이 되어 줄꼬? |
2016-01-21 | 254 | |
469 |
紙に手を切られて1 |
2016-01-16 | 155 | |
468 |
종이에 손을 베이고 |
2016-01-14 | 262 | |
467 |
勝利の秘法1 |
2016-01-09 | 160 | |
466 |
이기는 비법 |
2016-01-07 | 118 | |
465 |
300円1 |
2016-01-01 | 93 | |
464 |
300엔 |
2015-12-31 | 183 | |
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良き隣人1 |
2015-12-26 | 78 | |
462 |
実力と過ち1 |
2015-12-26 | 105 |
1 コメント
中森千草
2016-02-21 23:54:34
必ず行うべきである。
あいさつにより門が開き、
たくさんの道が頂ける。
自分を守るが為に、
あいさつを怠っていた事は事実です。
あいさつが人々にとって、
自分にとっても益となるようにと
思いを抱きながら
行っていこうと思います。