イ・ジソン姉妹は日本で各種報道機関とのインタビューを行った。それを通訳した時から、私の心に今でもはっきりと残っているものがある。
ある記者が彼女に質問をした。
‘事故が起きる前の姿に戻してくれるとしても戻りたくないと本に書きましたが、その理由をお聞かせ下さい。’
イ・ジソン姉妹はごく自然に次のように答えた。
‘もちろん、ひどい火傷を負った大事故によって私が失ったものも多くあります。 顔、8本の指…などの外見的なものは、私はたくさん失いました。
しかし、私には事故を通して失ったものより得たもののほうがはるかに多いのです。
神様の愛、家族の愛、教会の人たちの愛、友人の愛… 多くの人々の愛によって、私の心は事故の前よりも豊かで幸せだと言えます。
もし私が過去に戻るのなら、今のこの豊かな恵みと愛を全部失うことになるから、戻りたくないのが当然ではないですか?
私は苦難を通して目に見えるものは失いましたが、目に見えない本物の宝はもっとたくさん得ることができました。’
そして、日本の障害者を勇気づける言葉があればかけて下さいと記者が依頼した。
イ・ジソン姉妹はこのように助言した。
‘障害者の最も大きい障害は、自分自身が自らを障害者と考えることだと思います。
自分を障害者だと考える人は障害者として生きるしかありませんが、たとえ体の障害を持っているとしても、自分の心に障害がなければ、その人は誰よりも健康な人としてしっかり生きられると考えます。
本当の障害者は、体の障害者でなく心の障害者です。
自分を障害者と考える心の障害を退けなければなりません。
そして自分が失ったものばかり考えないで、残っているものを常に考えてこそ、幸せになるのです。
失ったものばかり考える人はいつも文句を言いますが、自分が持っているものを考える人はいつも感謝することができるのですね。’
‘あなたがたは世の光である’
この光は確かに太陽や月、電気の明かりのような肉の光ではなく、人間の心と霊の光である。
光の根源である神様は、イ・ジソン姉妹に他の人よりもっと明るい主の光を与えて下さった。 彼女の外見は少し傷ついたものの、彼女の内面はもっと美しくなった。
天国の宝が彼女の中から世の光として照らされている。
私たちは肉の苦難にだまされてはならない。 肉の苦難は通り過ぎる風のようなものに過ぎない。 肉の苦難は隠された心の宝石を世に掘り出す祝福された作業になりうることを、イ・ジソン姉妹を通して知ることができる。
苦難はこれ以上害になるもの、つらいものではない。
苦難は苦難であるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
重要なものは苦難に対するその人の目だ。
その苦難を祝福として見る人には、苦難が祝福の実を結び
その苦難を呪いとして見る人には、苦難が呪いの実が結ぶ。
現実が重要なのではなく、現実を見る目が重要だ。
イ・ジソン姉妹のように
自分に臨んだ苦難を
感謝の目で
希望の目で
祝福の目で
見ることができる目を全ての人が持ったならさぞ良いであろう。
そうすれば、この地に不幸な人は跡形もなく消えることになり、幸福な人のみ生きる天国が建設されるからである。
‘この地の天国建設は私の心の天国建設から始まる。’
ある記者が彼女に質問をした。
‘事故が起きる前の姿に戻してくれるとしても戻りたくないと本に書きましたが、その理由をお聞かせ下さい。’
イ・ジソン姉妹はごく自然に次のように答えた。
‘もちろん、ひどい火傷を負った大事故によって私が失ったものも多くあります。 顔、8本の指…などの外見的なものは、私はたくさん失いました。
しかし、私には事故を通して失ったものより得たもののほうがはるかに多いのです。
神様の愛、家族の愛、教会の人たちの愛、友人の愛… 多くの人々の愛によって、私の心は事故の前よりも豊かで幸せだと言えます。
もし私が過去に戻るのなら、今のこの豊かな恵みと愛を全部失うことになるから、戻りたくないのが当然ではないですか?
私は苦難を通して目に見えるものは失いましたが、目に見えない本物の宝はもっとたくさん得ることができました。’
そして、日本の障害者を勇気づける言葉があればかけて下さいと記者が依頼した。
イ・ジソン姉妹はこのように助言した。
‘障害者の最も大きい障害は、自分自身が自らを障害者と考えることだと思います。
自分を障害者だと考える人は障害者として生きるしかありませんが、たとえ体の障害を持っているとしても、自分の心に障害がなければ、その人は誰よりも健康な人としてしっかり生きられると考えます。
本当の障害者は、体の障害者でなく心の障害者です。
自分を障害者と考える心の障害を退けなければなりません。
そして自分が失ったものばかり考えないで、残っているものを常に考えてこそ、幸せになるのです。
失ったものばかり考える人はいつも文句を言いますが、自分が持っているものを考える人はいつも感謝することができるのですね。’
‘あなたがたは世の光である’
この光は確かに太陽や月、電気の明かりのような肉の光ではなく、人間の心と霊の光である。
光の根源である神様は、イ・ジソン姉妹に他の人よりもっと明るい主の光を与えて下さった。 彼女の外見は少し傷ついたものの、彼女の内面はもっと美しくなった。
天国の宝が彼女の中から世の光として照らされている。
私たちは肉の苦難にだまされてはならない。 肉の苦難は通り過ぎる風のようなものに過ぎない。 肉の苦難は隠された心の宝石を世に掘り出す祝福された作業になりうることを、イ・ジソン姉妹を通して知ることができる。
苦難はこれ以上害になるもの、つらいものではない。
苦難は苦難であるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
重要なものは苦難に対するその人の目だ。
その苦難を祝福として見る人には、苦難が祝福の実を結び
その苦難を呪いとして見る人には、苦難が呪いの実が結ぶ。
現実が重要なのではなく、現実を見る目が重要だ。
イ・ジソン姉妹のように
自分に臨んだ苦難を
感謝の目で
希望の目で
祝福の目で
見ることができる目を全ての人が持ったならさぞ良いであろう。
そうすれば、この地に不幸な人は跡形もなく消えることになり、幸福な人のみ生きる天国が建設されるからである。
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1 コメント
中森千草
2012-03-26 08:30:17
その後の人生が希望になるか、それとも多くの苦しみを背負って生きていくのか・・・
苦難にあった時、感謝をしなければとか、苦難が大きいほど祝福も大きいのだと
自分に必死に言い聞かせますが、素直に心から思うことが出来るまで
多くの時間がかかってしまう。
いろんな方々の証を聞いたりすることで自分の問題が解決する訳ではありませんが、
考え方の方向が変わったりして、悩んでいたことが小さく見えてきて・・・
ようやく天を見上げることが出来る。
神様は人々を通して伝えてくださる。
だから分かち合いの時間の大切さも、今回教えて頂いたような気がします。