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중앙영광교회

指導者の道(3)

이용규목사, 2008-02-07 01:56:25

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指導者の道(3)

御言葉//申命記17:18-19

先週、指導者がなすべきこととして、3つのことに気をつけるべきだと述べた。それは、すべて欲に関することである。権力欲、女欲(性欲)、金銭欲から常に自分を守らねばならない。
今回は、指導者が一生懸命すべき3つのことについて、御言葉を通して探ってみよう。
指導者が常に気をつけなければならないのが「欲」についてだとすると、熱心にすべきことはすべて「聖書」に関することである。聖書は神様の御言葉である。神様は全能なる方であり、そのお方は真である。そのため、聖書は真理の中の真理であり、能力の中の能力である。
「すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイ5:18)
「というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。」(ヘブライ 4:12)
神様が認められる聖書最高の指導者(王)は、何といってもダビデ王である。神様が彼を大きく祝福し、最高の指導者として立ててくださったのは、「心に適う者」だったためであり、「心に適う者」になれたのは、いつも神様の御言葉通りに生きようとしたためである。
「主は私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさにしたがって私に償いをされた。
私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。
主のすべてのさばきは私の前にあり、主のおきてを私は遠ざけなかった。
私は主の前に全く、私の罪から身を守る。
主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私の手のきよさにしたがって私に償いをされた。」(詩篇 18:20-24;新改訳)
ダビデは神様の御前で自ら「完全だ」をいうほど、御言葉の人生を徹底的に生きていた人だった。彼が神様から報われたのも、これのためだと何回も告白している。ダビデがダビデになったのも、神様の道から離れないようとする彼の人生の姿であったことがすぐ分かる。
もちろん、ダビデも人間だから、過ちを犯したこともあった(バト・シェバ事件)。
しかしダビデは、神様もおっしゃったように、このこと以外には神様の御前で完全だった(列王記上15:5)。言い換えれば、ダビデは1万の中で9999つは完全で1つだけ間違っていたのである。人間として本当に素晴らしい人生を生きたに違いない。私たちの人生と比べてみるとすぐ分かる。私たちの中のある人は、ダビデと全く逆で、わずかのことだけ御言葉通りに生き、9990つ以上は御言葉に逆らって生きることが日常生活になっている人もいるだろう。これを見ると、ダビデの御言葉の人生の偉大さが少しでも感じられると思う。
指導者は御言葉によって作られる。御言葉を捨てた人は、神様も彼を捨てたのを、聖書は見せている。ダビデのような指導者になりたいか。御言葉の前でダビデのように完全なものになろうと一生懸命やってみよう。ダビデの神様は、きっとあなたの神様である。
では、御言葉についてどの3つについて熱心にすべきか探ってみよう。
          
1.        読もう
「彼が王位についたならば…それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し…」 (申命記17:18-19)
指導者になるためには、何より本をたくさん読まなければならない。読書力が指導力である。
しかし、読むことも重要だが、何を読むかはもっと重要である。読む内容が、その人をそのように変化させるためである。ある航空会社の面白い報告によると、乗客が読む新聞の種類が席によって違うという。エコノミークラスの人であるほどスポーツ新聞、一般新聞を読む人が多く、ビジネス、ファーストクラスに行くほど経済新聞を多く読むという。何を読むかがその人を作る。
霊的な人は、神様の人は、聖書を読む人である。毎日神様の御言葉に耳を傾ける人である。真の指導者になるためには、常に神様の御声を聞かなければいけない。そのためには、必ず御言葉を読まなければならない。毎日読まなければならない。必ずお祈りで聖霊の導きを求めて読むこと。そして、大事なところに線を引き、丸をつけながら読むと、御言葉の力が倍になる。サドルバック教会の有名な使役である「リカバリープログラム」使役を通して、大勢の人々が癒されたが、その秘密は、恵みのある御言葉を読みながら重要な部分に線を引いたり、丸をつけたりしたことが全部だという。
今年は、すべての信者が少なくとも聖書を1回以上読むという、大事な御言葉の年になるよう祝福する。まだ始めていない人がいても大丈夫。これから始めても遅くない。一日15分だけ投資すると、それがあなたの人生を変えてくれるだろう。パソコンは、入力したとおりのみ出力する。あなたが下品なことをよく読むと下品な人生を生きるようになり、経済関係の本をたくさん読むとその分野の専門家になるように、毎日聖書を読む人は、神様とともに天国の人生を生きることになる。

2.        学ぼう
「神なる主を畏れることを学び」(申命記17:19)
ロックフェラーがいつも口癖のようにした言葉があるようだ。「成功するためには、耳は開き、口は閉じておくこと。」他人の話を聞いて学ぼうとする姿勢が、その人を成功の座に入れるという言葉である。この言葉は、不変の真理である。いつも他人の話を無視し、我を張る人こそ、成功する人を見たことがない。なぜなら、このような人は、自ら自分の監獄を作っておき、その監獄が宇宙だと錯覚しながら生きているからだ。この人に見つかりにくい単語は、「変化」である。変化する人こそ成功する。変化の必須要素は、「学ぼうとする姿勢」である。
学ぼうとする人が指導者になる。
学ぼうとすることも、内容が大事である。何を学ぶか。
「神様を畏れること」を学びなさいと書かれている。神様を畏れる人は、当然御言葉を畏れるようになっている。なせなら、「御言葉はつまり神様」だから。(ヨハネ1:1)
見えない神様を畏れたいか。では、見える神様である「御言葉」を先に畏れよう。
今日の教会の深刻な問題の一つは、「御言葉に関する過小評価」である。神様の御言葉を聞いても感動がなく、全く何も感じない場合も多い。これが、果たして御言葉を畏れる姿だろうか。
御言葉が軽視される時代では、信者も世から軽視されたが、御言葉が畏れられた時代では、信仰の人も世から高くされた。
「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」(テサロニケ一2:13)
テサロニケ教会の信者のように、神様の御言葉を人の言葉としてではなく、生きておられる神様の御言葉として受け入れなければならない。それによって御言葉のお働きが出てくる。
箴言で神様はこの点について明確にしておられる。
「言葉を侮る者は滅ぼされ/戒めを敬う者は報われる。」(箴言13:13)
それで、ダビデは大きく報われたのである。
御言葉に関する過小評価は、つまり神様に対する冒瀆だけではく、自分に対する呪いである。指導者は御言葉に対する畏敬によって、神様を本当に畏敬し、自分を祝福する人生を生きるべきである。
ソロモンが神様の神殿を造った目的は何だったのだろうか。神様の契約の箱を持ってくるためであった(列王記上8:21)。そのため、神殿を造ると同時に契約の箱を神殿に移した(列王記上8:1)。では、契約の箱の中には果たして何が入っていたのか。「(モーセが入れた)石の板二枚のほか何もなかった。」(列王記上8:9)という。
結局、7年もかけて神殿をものすごい規模で造ったのは、契約の箱、つまり御言葉を入れるためであった。契約の箱は、神様のご臨在の象徴であった。御言葉は神様だからだ。御言葉に対する考えがどうかによって、神様についての考えもそうである。
今日(こんにち)、真の神殿は私たちの体である(コリント一6:19)
では、私たちの中には何がいるべきか。神様が私たちの体を自らこのように驚くべきものに造り上げた目的は何だろうか。「御言葉」を入れるためである。御言葉が神殿の存在理由だからである。神様の神殿である私たちの中には、いつも御言葉が満ち溢れるべきである。御言葉を畏れる人が、真の神様とともにいる真の神殿である。新約時代に来て、イエス様はもう一つの大事な宝を私たちに与えられた。それは、つまり聖霊である。(使徒1:5、コリント一6:19)
私たちの体が「御言葉の家」+「聖霊の家」になるとき、神様の観点から完全な家になる。

3.        守ろう
指導者は約束をきちんと守るべきだ。それによって他人に信頼を与えることができる。人も大事だが、神様の信頼を得る人が大きな指導者になれる。神様の御言葉はすべてが約束である。御言葉をきちんと守って行う人が祝福された指導者である。御言葉を読み、畏れることも、結局御言葉を守って行うために必要なことである。いかに御言葉をたくさん読んで、神様を畏れても、「御言葉の行い」がなければ、それは偽りである。御言葉の実りは、「守ること」である。悪魔も、守らないといったら、弟子訓練も勝手にしろうというが、守るというと、すぐ非常対策会議を開く。自分たちがつぶされるようになるからだ。悪魔は弟子訓練を受けることを怖がるのではなく、御言葉を守ることを怖がる。
天国で本当に大いなる者は誰だろう。イエス様はこうおっしゃる。
「それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」
御言葉を守って教える者より大いなる指導者はいない。
モーセの後でイスラエルの指導者になったヨシュアに、神様は指導者の道を直接語ってくださった。
「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」(ヨシュア1:8)
御言葉を読むことによって、口に入り、いつも黙想することによって神様を畏れるようになり、御言葉を全部守って行うことが、力のある指導者の道であることをはっきり述べられている。
御言葉がつまずいてはいけない。口から心に、心から手(行い)まできちんと流れなければならない。
御言葉があなたのどこで流れずにつまずいているか。まだ口の中にも入っていないか。あるいは、口だけに留まっているか。あるいは、考えまでは来たか。手でつまずいているか。御言葉が開くと、あなたの人生は御言葉によって必ず成功するようになる。ヨシュアのように、あなたが行くところには、エリコの城も崩れ落ちるだろう。
「主よ!私の人生に御言葉の血管が大きく開きますように!」

6 コメント

安間チョウコ

2008-02-08 06:39:35

指導者Ⅲ
「指導者が熱心にならなければならないことはみ言葉である。」
長い休暇後、使役訓練が始まった。先生にローマ書第8章を暗記してくるように言われていたにもかかわらず、のらりくらりでやっていたのでぼんやりしか覚えていなかった。ところが이 성훈さんは、しっかり暗記され、さらさらとやってしまわれた。私はガツンとげんこつを食らった気がした。来週は彼に刺激されて多くの方が暗記をご披露されるだろう。
キリストについて伝道しようと思ったら、聖書の中の鍵になる御言葉が出なければ伝道は出来ないだろうと最近思うようになった。なぜなら私は日本語のパンフレットを時々新宿で配っているが、ただ配るだけで終わっている。(出来れば使役訓練を受けている方と一緒に行けたらよいと思っている。)
あのパンフレットを理解するのは結構難しい、キリストが椅子の上にあってキリスト中心に心の中が変わることがわかるためには誰かの導きが必要で、そのためには(路上)伝道で説明するのが良いことだと思う。そこでいろいろ質問も出るであろう、そのとき適切な聖書のみ言葉が出ることが、大きな助けになると思うので「聖書を座右においていつも読むようにしなさい。」との牧師様のアドバイスは実行できるようにします。(日野原重明医師95歳はお父さんが牧師で小さいときに聖句を暗記させられたそうです。小さいときに暗唱した聖句が今も心の糧になっているといいます。)

田辺高幸

2008-02-08 07:22:51

人生で最も繰り返して読んだ本は、聖書である。ほとんど毎日読んでる。正直ここまで読み続けている本は自分にはない。
僕が聖書を読み始めたのは、実はそんなに真面目な理由ではない。この教会に来て、真剣にイエス様に信仰心を持つ人たちに出会った。しかし全く理解が出来ない。彼らたちのその気持ちが知りたくて、それで読み始めたのである。
何度も読んだ。最初の頃は信仰心がどうしても出なかった。まさに「信仰の薄い者たちよ」の典型であった。しかし読み続けていくうちに、ある時、フッと変わった。そのきっかけになったのは、僕の読んでいた聖書にある。新約だったが、その後ろに詩篇が付いていた。それを読み終えた時に、救世主とはと考えた。その時に、もしかしたらイエス様ではないかと思ったのである。
詩篇を書いた人はダビデである。実は僕の信仰はダビデの言葉で始まったのだ。主を信じれるようになれたのはダビデの存在だった。
僕は聖書を読む時、勉強のつもりで読んでいる。神様が直接に教えてくれる機会は僕には聖書しかない。僕にとって素晴らしい教科書は聖書しか今はない。
聖書を読んで道を歩いていた時、僕はある声を聞いた。「あなたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのようにあなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」という部分を読んでいた時である。それは「あなたは正しい人間になりなさい」というものだった。それから、僕は聖書をより真剣に読むようになった。あの声の通りに生きたいと思ったから、聖書を読むことで勉強がしたかった。そして守りたかったのだ。主は聖書で「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と言われた。僕は今までこんな言葉を聞いたことはない。そんな主が僕にくれた言葉だと思ったから本当にそう思った。
正直、聖書に書かれてあることを守れていないことが多い。だからこそ僕は毎日聖書を読むのだろう。いつになったら、神様が僕に語ってくれた言葉を忠実になれるだろうか。それは分からないけど、正しい人間になるために聖書を読むことがいいことだと、僕はそれを信じて生きている。

古郡武志

2008-02-08 10:44:38

1. 「何を読むか」がその人を作る。
 私たちは、イエス様のようになるために作られた。イエス様のようになるためには何を読まなくてはいけないか、イエス様の書である聖書を読まなくてはいけないということだ。「何を読むかが人を作る」という意識で私たちは日頃見るもの・読むものを選んでいたのかなと考えると本当に漫然と情報の只中に流されていたのではないのかなと思う。
 私が今読むものとして多いのは仕事の専門分野に関わる本などであろうか?うん…たしかに現実に仕事をしてこの世界で生きていくためにはそういった本を読んで専門的な知識をたくわえておくことは必要なのだが、やはり自分の命の核となる聖書という書物が別にあるという意識をきちんと持っておかねばならないと思う。そうでないと、「永遠の生命」とは関係ないこの地上でのテクニック的なことに終始してしまうことになってしまうから…ふと自分の足元を見ると「年収…万の勉強法-実証!短時間、低コストで成果5倍」こういった安易な回答を求める読書物も忍耐心のない自分の形成に一役買っているのだろうか?まあ、こういった雑誌は一回さっと目を流す程度に留めておきたいものだ。
2. 神様の神殿である私たちの中には、いつも御言葉が満ち溢れるべきである。
 神様が創って下さった大切な器である私たちの中には、清い神様の大切な言葉をいれなくてはならないはずであるが、なかなか現実はそうはいかないのであり、自分の周囲の数多くの人の中に入っているのは、御言葉ではなくて流行の芸人のギャグ等であるだろう。私の属する職場でも去年日本を席巻した例のギャグをいらついたときなどに口走る人が多かったと思う。たしかにそのギャグは、周りの人が何をいおうとわが道を行くという強さを感じさせ、小気味いいものではあったのだが、あくまでもその程度のことであり、永続性のある深みはなかったのである。実は、よくよく考えてみると本当に私たちの中には、軽い言葉や人を傷つける言葉が充満していて、人の恵みや安らぎを与える言葉というのは本当に少ないのだと思う。
 実は職場で同僚との会話の中で聖書の一節を口にする機会があり(それは「隣人を自分のように愛しなさい」という御言葉だったと思う)、たしかそのときは「何わけのわからないこと言っているの?」というような反応だった。もちろん、自分を感動させた御言葉を人前でも語っていきたいという思いはあるのだが、深くて清い言葉よりも軽くて耳ざわりがよくて面白い話しが受ける状況の中で容易なことではない。しかし、気負わずにさらりと伝えられるように(口かつ行動で)日々努力したいと思っている。

中森千草

2008-02-09 05:58:34

聖書には、 生きていくうえでの希望が、 たくさんあります。 
何度も繰り返される御言葉、 なんでこのような書かれ方をしているのか、 どこに書いてある御言葉とつながっているんだろうと、 読んでいて興味がわいてきます。 
学んで、 守ることですが、 聖書を読んでいて理解して納得はしていますが、 守ることはとても勇気が必要です。 聖書を目にしているときは神様を畏れ、 聖書から目が離れると、 世の人々を畏れている自分がいます。 常に、 神様を見上げる体質に変わりたいです。

津田浩史

2008-02-10 10:03:21

 休みの間、聖書の通読は順序に従わず旧約聖書ばかり読んでいましたが、旧約聖書の列王記以降は読みづらい話が多いと感じました。ソロモン王の後はイスラエルとユダの分裂、両国の王と民のほとんどは神に背いて勝手なことばかり行い、その背信に怒る神様が、アッシリアやカルデアを使ってユダヤ人を殺して徹底的に苦しめる、そんな話が次々と繰り返されるので、いったいどこに救いがあるのかと思いながら読んでいました。最後は捕囚から解放され、生き残った民が神殿を再建するのですが、全体を通して裁きの神様の厳しさと恐ろしさばかりが印象に残っています。
 「読むものが自分を作る」という点では、この読み方は失敗だったかもしれません。
 これから新約聖書の残った部分を通読していきますので、その中で神様の愛と救いを感じていきたいと思います。
 なんとか御言葉が素直に心に入っていくようにし、御言葉を守るようにしなければならないと思いました。

藤田弘量

2008-02-13 08:04:55

何を読むかがその人の人格を作る。
主イエス様に似た人になる為には、イエス様と一緒にいなければなりません。
聖書を読み、お祈りをすることは、イエス様と一緒にいることです。

指導者として大切なのは「仕事が出来る」事よりも「人格的に優れている」事です。

私は後輩たちの技量的指導にあたる時、可能なかぎりドライに指導しています。
なぜなら、ひとたび事故が起きれば多数の人命が失われる事になるからです。
定められた安全マニュアルをひとつひとつ確実に踏襲することが重要です。

しかし、最も大切なのは「仕事に向かう心構え」の指導です。
私は後輩たちに「人間は必ずミスを起こすんだぞ」と指導しています。
ミスを誘引する環境を整え、心理的安定の保持に努めています。

後輩たちは「厳しいやつだなぁ」と思っているでしょう。

聖書を読んで主イエスさまの御言葉に頼り、指導者として成長しなければと痛感しています。

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