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중앙영광교회

指導者の道(2)

이용규목사, 2008-01-29 01:42:46

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指導者の道(2)

御言葉//申命記 17:14-20
1.        考えの力
まず、よく知られている鶏小屋の鷲の例話を考えてみよう。
卵を抱いている雌鶏のところに、鷲の卵を入れた。ひよこたちと一緒に、鷲のひなも孵化した。周囲には、全部鶏とひよこしかいなかったため、鷲のひなも、ひよこと同じ生活をしていた。しかし、ある日、鷲のひなは空を悠々と飛んでいる母鷲を見る。そのとき、鷲のひなの考えが変わる。「私は、今まで自分がひよこだと思って生きていたが、今見ると、ひよこではなく、鷲だったんだ。」考えが変わると、彼の人生も変わった。よろよろ歩くばかりだった鷲のひなは、翼を広げ空を飛ぶようになる。ひよことは全く違う世界の人生が始まったのである。
鷲を飛ばせたのは、環境の力ではない。彼の周囲は、依然としてひよこたちしかいない。鷲を飛ばせた本当の力は、つまり「考えの力」である。自分が鷲だと知った瞬間から、彼の人生は変わり始めた。
自分を鶏だと思う人は、鶏の人生を生きるしかない。自分を鷲だと思う人は、鷲の人生を生きるようになる。
あなたは、自分を鶏だと思うか?鷲だと思うか?
あなたは、本当は鷲なのに、鶏だと自ら考えているだけである。だから、ずっと鶏の生活から抜かれないのだ。問題は、あなたの環境は身分ではなく、あなた自分の考えにある。考えが鶏なのに、鷲になるということは、ありえない。人は、考え以上の人生を生きることができない。
今もひよこの考えを持っているか。なるべく早く捨てなさい。
指導者は、まず指導者の考えを持たなければならない。大きい声で叫んでみよう。
「私は鷲だ。私は神様の子どもだ。私は世の光だ。私は王の系統を引く祭司だ!」
そして、鷲らしく人生の翼を大きく広げて、空を飛んでいく姿を想像しながら生きてみよう。
あなたは、誰よりも強い信仰の鷲になるであろう。
「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)    

2.        指導者の道―3大欲を警戒しよう
先週は、「どうすれば指導者をうまく選ぶことができるか」について探ってみた。
第一は、外見ばかりいい外面型指導者ではなく、心が神様の御前で正しく立てている中心型指導者を選ぶべきで(神様が選ばれる人)、二番目は、植民地型指導者ではなく、仕え型指導者を選ばなければならない(同胞の中から選ぶ人)ということだった。
今週は、指導者に選ばれた人が、どうすれば指導者の道をうまく歩むことができるかについて探ってみよう。まず、指導者が気をつけるべき3つのことについて聖書は語っている。指導者として気をつけるべき3つのことと、一生懸命すべき1つのことは何だろうか。
指導者になることも大事だが、その座を美しく守ることはもっと大事である。
ないときよりあるとき、自分を守ることがより難しい。
時間がないときよりあるとき、自分を守ることがより難しい。
お金がないときよりあるとき、自分を守ることがより難しい。
健康がないときよりあるとき、自分を守ることがより難しい。
指導者になる前より、なってから 自分を守ることがより難しい。
罪を犯しやすく、堕落しやすく、怠けやすく、鬱になりやすい。
「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」(コリント一10:12)
指導者はどんな点に気をつけなければいけないだろうか。聖書は3つのことを非常に明確に述べている。
選ばれたものは、抜けられないように気をつけなければならない。そのためには、下記の3つの欲にいつも気をつけるべきである。

1)        権力欲
「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。」(申命記17:16-新改訳)
当時の馬は、最高の軍事力だった。権力を維持するのに一番大切な部分だった。今日だと、北朝鮮の核武器のような威力を持っていたといっても過言ではない。「馬を増やす」ということは、指導者の権力欲を示している。指導者が権力欲があると、結局惨めな最後になるということは歴史がちゃんと証明している。
本当に神様に選ばれた指導者は、世の力に頼らず、神様だけに頼る。
これについて、神様は続けて悟りを与えられる。
「戦いの日のために馬が備えられるが 救いは主による。」(箴言21:31)
イスラエルに対しての警告はより深刻だ。
「災いだ、助けを求めてエジプトに下り/馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしいことを頼りとし/イスラエルの聖なる方を仰がず/主を尋ね求めようとしない。」(イザヤ31:1)
「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると/助けを与える者はつまずき/助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる。」(イザヤ31:3)
紅海の前で、ファラオの最先端の兵馬も、神様の御前ではおもちゃに過ぎなかったのではないか!神様の力の風邪の前を通ることができた兵馬は一匹もいなかった。実に、主の御前では単なる肉に過ぎなかったのである。
指導者の席は、世の力が守ってくれるのではなく、ただ神様だけが守ってくださり、繁栄させてくださる。
真の指導者は、「馬」を多く置くのではなく、「御言葉」を多く置く者である。(申命記17:19)    

2)        女欲
「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。」(申命記 17:17-新改訳)
指導者は、肉の情欲を治めなければならない。「あなたの力を女たちに費やすな。」(箴言31:3) ソロモンが倒れた決定的なきっかけが、妻をめとったことであった(列王記上11:1-13)。神様がはっきりと警告なさったのにも関わらず、「ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。」(列王記上11:2-3)と記録されている。そんなに知恵のあるソロモンも、結局女性問題で倒れてしまった。治療より予防のほうがもっと簡単だ。妻(女)をたくさん置かないで、まず御言葉をたくさん置くように。それが上策である。女性問題が複雑な人は、立派な指導者になれない。

3)        金銭欲
「自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。」 (申命記17:17-新改訳)
昔から、金銭欲のある人々は、その始末があまりよくない。
「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」(テモテ一 6:10)
指導者が気をつけるべき3つには、全部「多く」という修飾語がついてある。馬が悪いのではなく、「多く」がわるい。妻が悪いのではなく、「多く」が悪い。金銀が悪いのではなく、「多く」が致命的である。指導者にとってこの3つは、多ければ自分を破滅させる怖じになる。
王は、国を治める前に、この3つをまずきちんと治めるべきだ。
権力、女、金の欲にはまると、指導者は指導力を失い、滅びてしまう。
これの代表的で悪いモデルが、ソロモンである。

4)        ソロモンの例
ソロモンは、一千の燔祭の礼拝をささげただけで、神様に知恵と豊かな祝福を頂いたが、王として多く置いてはいけないもの3つを全部多く持って、滅びてしまった指導者だった。
まず、彼はエジプトから輸入した馬をものすごく多く持っていた(列王記上10:28,29)。そのため、ソロモンは馬と戦車のための馬屋だけ四千も持っていたという(歴代誌下9:25)。彼の権力欲はすごかったのである。
第二、ソロモンの女欲は、聖書のどの王にも勝る。ソロモンは外国の女を愛したと聖書は記録している。それで、彼の妻は国際的に選ばれ、王妃が七百人、側室が三百人もいたようだ(列王記上11:3)。
第三、彼の金銀はどうだったか。
「ソロモン王が飲み物に用いる器はみな金であった…銀はソロモンの時代には、価値あるものとはみなされていなかった。」( 列王記上10:21-新改訳)
「王は銀をエルサレムで石のように用い」( 列王記上10:27-新改訳)
「ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。」( 列王記上10:23-新改訳)
彼は、いわゆる前代未聞の金持ちだった。
ソロモンは、申命記17章で神様が多く持ってはいけないとおっしゃった3つを、全部驚くほど多く持っていた王だった。そのため、彼は、たとえ最も知恵を持っていたものだったものの、最も滅びた王になってしまった。(10部族を奪われ、わずか1部族の命脈だけ維持― 列王記上11:11-13) 神様の御言葉がいかに正確に私たちの人生にそのまま適用されるかをよく示している。すべての歴史は、ただ御言葉通りになっていく。
「言葉を侮る者は滅ぼされ/戒めを敬う者は報われる。」(箴言13:13)
自分の経験で再び御言葉を検証する必要はない。ソロモンの人生で十分証明されている。世を変える本当の指導者になりたいか。イエス様と似た指導者になりたいか。神様の御心に適う指導者になりたいか。自分の中の3つをまず治めるものになりなさい。自分の3つの欲を治められないと、どの人も治められない。
権力、女、金にいつも気をつけなさい。特に、この3つが多くなることに気をつけなさい。天下無敵のソロモンを倒した怖い内部の敵であることを心に留めよう。
内部の敵を育てないで、内部の見方を増やさなければならない。
では、内部の見方とは何だろうか。次回探ってみよう。

7 コメント

田辺高幸

2008-01-29 06:34:25

やはり神様だよって思う。指導者を選ぶことが出来る存在はその方しかいない。人間が人間を指導者として選ぶと、自分の経験上だが、ロクな結果がない。だからそう思うのだ。最近はそのことを強く思うので、指導者を選ばなければならない時、僕は祈る、どうかふさわしい人を選んで下さいと心から祈る。時がいくら経っても祈る。それでいい指導者に恵まれた時に、僕は神様から素晴らしい恵みを受けたと思うのだ。
さて指導者として気をつけなければならないものの3つである、権力、女、金は指導者でもない自分にとってもの非常に陥りやすい罠だ。非常に怖いものだ。非常に自分の意志で避けなければならないものだ。自分は正直負けそうになることが多いだけにそう思う。本当に気を付けないといけない。
人間にとって怖いものは欲だ。欲は自分自身しか考えない時に生まれる。そうすると自分から神様がいなくなる。僕は神様を常に思って生きたいから欲に溺れないように生きようと思っています。神様あっての自分だもの。神様を忘れる人生は生きていながら死んでいる者と同じだ。欲に負けないように生きようと思います。欲より神様への思いを心に秘めて生きようと強く思って頑張りたいです。
今週から弟子訓練がまた始まります。卒業まで楽しく勉強がしたいと思ってます。劣等生だけど、神様が好きだから、訓練に励みたいと思ってます。他の弟子訓練生の皆さん、共に歩みましょう。

古郡武志

2008-01-30 10:27:38

1.「私は鷲だ。私は神様の子どもだ。私は世の光だ。私は王の系統を引く祭司だ。」
 キリストを信じる人が全人口の1%未満に満たない日本でキリスト教徒であるということは、困難を感じることが多いのだ。たとえば、私は、毎週教会に行って礼拝を捧げていることを職場で話したときに「変わった奴」と言われたことがある。(もちろん今となっては別にそう言われても何とも思わないようにはなってきたが)
 しかし、「変わった奴」と言われて考えてみたのであるが、キリストを信じる私とはどういう人間なのだろうか?
 心の中で気にいらない人がいたとしても、感情の赴くまま態度にあらわれないように親切に接するように努力をし、自分に不当なことをしてきた人間がいても心の中で赦すことのできるように努力し、たとえ誘惑に陥ってしまうことがあっても誘惑に陥ったままじゃいけないと思って誘惑から抜け出そうとあがいてもみる・・そんな試行錯誤を繰り返しながら、イエス・キリストに近づけるように努力してみる・・・だめな自分に自信喪失することが多いが、日常生活での行動を通してイエス・キリストに近づかなくてはいけないと意識があることだけでも、私たちは輝ける原石として自信をもっていいのではないだろうか?
 なにしろ、この世の中「きれる」という言葉に象徴されるように自己中心的な感情に赴くままに人を傷つける輩が跋扈し、「やられたらやりかえす」という復讐の憎悪の連鎖に心が支配される人も多く、何の疑問もなく誘惑の泥沼の底に引きずりこまれてしまう人も多い。そんな暗澹とさせられる世の中にあって暗闇から抜け出さなければならないという意識を持っていることですら本当に貴重なことだし、そのような意識を与えて下さった神様にも感謝をしたい。
 自分たちの本当の姿は「鷲」であり、「世の光」であることを信じて頑張っていきたい。
2.ないときよりあるとき、自分を守ることが難しい。
 (1)時間があるときは、本屋で無目的に立ち読みをしたり、ネットサーフィンをしたり、ぼっとテレビを見たりして、時間を無駄に浪費しがちである
 (2)お金があるときには、自分の楽しみのためによりたくさんのお金を投じることができるようになり、いろいろな娯楽のためにお金を使いがちになる
 (3)健康があるときは、自分の体を過信して例えば「明日の朝まで飲むぞ!」などど深酒をしたり、慎重に行動する不健康時とは違ってより快楽に没入しやすくなる
 ソロモンの例もはっきりとこのことを示していたが、実は自分の人生上の経験においても「あるときに自分を守る」ことは難しいということは現れていた。順調な時には祈る意欲も失われ、心も神様から離れてしまうという。私は、健やかな時も苦しい時も、御言葉を口から離さずに、神様とともに人生を歩みたいと思う。
世的には、例えば権力に関して言えば、「高い地位を得た途端に人格が変わり、人を見下すようになった」という話も聞く。将来少しくらい収入が増えることがあっても、肩書きが少しくらい立派になろうとも、弟子たちの足を洗ったイエス様の精神を常に忘れずにいたい。
日本の古典文学の名作「平家物語」にもたしかこう書かれていた。「奢れるものは久しからず」
「あるとき」も慢心しないことを肝に銘じたい。

中森千草

2008-01-31 06:00:01

イスラエル人の会社に勤めていて、 社長に、 ”クリスチャンになって何が変わった?” ”教会にはまだ行ってるの?” ”イエス・キリストを神様だと信じているの? イエス・キリストはユダヤ人だよ” って言われ、 私は神様のこどもであって、 世の光だということを、 そして、 クリスチャンらしい生き方をしていなかったことの反省と、 何も言い返せなかったことがとても悔しかった。 なにより、 神様を失望させてしまい、 いいこどもではなかった。 もっと強い信仰をもって、 私というより、 クリスチャンとして立派に生きていきたい。 
”権力” ”女性” ”金銭” 三つの欲ですが、 精神より、 物質的な欲に対する考えが強くなると、 どうなるか分かった今、 一見よく見える誘惑に負けないように、私はがんばります。

安間チョウコ

2008-02-01 21:38:43

指導者Ⅱ
私は昔、仕事上4人のリーダーになったが、実際なってみたら開業医との外交的なことも含め自分の実力のなさを知り、上に立つということは私の神経によくないとわかり、数年で辞めた。
それからはリーダーになりたいと思わず、神様に忠実に仕え、神からの仕事をさせていただき、喜んですること、時間を大切にして、時間に精一杯の努力をしたなら、自分の言動に後悔しないこと、もちろん相手もせめないことと思っている。私は思ったことや、観察したことをはっきり言ってしまいがちだ。それで相手が傷つくこともあると思う。しかしそのとき思ったこと、観察したことはそのように表現したことで、それがとりかえしのならないこととは思っていない。人は相手を受け入れ、何度も話をし、時間を重ねあうことで理解し合えると思う。私は割りと楽観主義だからその性格はルーズともいえるけれど、こんな私に傷つく方がいたならばお許しいただきたい。

나미키 토모지

2008-02-02 08:39:22

形だけの指導者になるのは簡単だが、そういう人は長く続かないものです。そういう人は本の知識だけに頼り、経験を軽んじる人に多く見られる。また指導者という言葉を聞くと、年齢を経た人がふさわしいと思われがちだが、現実は年齢を重ねているから良い経験を積んでいるかというとそうでもなく、年を経るごとにますます頑固になり、自分の主義思想を他人に押し付けようとする傾向が強い。私はこんな人の下に就きたくも無いし、こういう人間にもなりたくない。指導者になってはみたが、自分の立場を自覚せず人を正しく導くには何をするべきかを認識せず、自分の発言に責任を持てない人は、いくら信仰心が厚くてもロクな指導者にならないと思います。指導者の素質のある人のところには自然と人が集まり、周りから認められて初めて真の指導者になるのでは?と思います。

藤田弘量

2008-02-03 01:03:41

日本は本当に伝道の難しい国です・・・・。 私たちの愛するリーダー李牧師先生のお話です。 なるほど・・ 「八百万の神々が集う国、日の下、日本」 邪馬台国が統治していた範囲の人口よりもはるかに多い8000000の神々がこの国を治めていたと記されています。 捨てる神あれば、拾う神あり。レパートリー豊富な神様たちが各々、それなりに良いことを教えながら2千年の歴史を築いてきました。 私はイエス様を自らの救い主として心に受け入れることに抵抗を感じませんでした。 クリスチャンとなった今、唯一だからこそ神様だと思っています。 長い歴史が作り上げた文化、価値観を変化させる事。 聖書の御言葉は私の根幹的価値観を変化させてくれました。

会社で後輩たちの指導にあたる際、不安になる時があります。
指導者として傲慢な態度をとってはいないだろうか? 

私は鷹だ! 愛する後輩たちに明るい未来を示してあげられるはずだ。
自信をもって指導にあたりたいと思います。
そして、イエス様のように後輩たちに仕える謙虚な気持ちを忘れてはならないと思います。

木下 

2008-02-03 06:55:08

神様から選ばれ導かれる指導者とは、外見ではなく神様の御心に従う人物であることを信じます。自分の力だけではうまくいかず限界があることを私は強く感じています。神様の導きにより、豊かな恵みが与えられすべてが益となるように共に神様が働いてくださることをイエスキリストの御名によって信じています。神様の御恵みに感謝します。内なる敵に打ち勝つことができますようにお祈り致します。

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