Skip to content

중앙영광교회

指導者の道

이용규목사, 2008-01-26 01:27:52

閲覧数
461
推奨数
43
「指導者の道」
御言葉//申命記17:14-20

1.        自分の評価を正しくしているか。

信仰の人は、この地上を生きながら、二つの道を歩むことになっている。
これは、「十字架の道」である。十字架の「横線」と「縦線」の道をいう。
第一の道は、「横線の道」で、つまり「弟子の道」である。これは、神様との関係を表していて、ずっと神様に向かって成長していくことである。イエス様に似ていく人生である。「弟子の道」を歩む時、信者は成長することになる。
健康な信者は、左にも右にもそれず、「弟子の道」をうまずたゆまず歩んでいく。
「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」(コリント一 11:1)
「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」(ローマ8:29)  
第二の道は、「縦の道」で、つまり「指導者の道」である。これは、世との関係を表していて、世の暗闇を退け、世に良い影響を与える指導者の人生を生きることをいう。
信仰の人が、世に善い影響が発揮できないと、クリスチャンという名札はつけているかもしれないが、クリスチャンとしての能力は失われているのである。
「あなたがたは世の光である…そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:14-16)
「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」(エフェソ5:8)
「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司」(ペトロ一 2:9)
「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。
もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。」(ローマ 8:15-17)
聖書ははっきり語っている。
信仰の人は、世を生かす最高の指導者だと。さらに、聖霊様が自らこの事実を証してくださっているという。
あなたは、自分自身をどのような人だと思っているか。
あなたが考える自分が正確か?あるいは、神様がおっしゃるあなたが正しいか。
信仰は、自分が考える自分を捨て、神様が与えてくださる新しい自分を、ありのまま受け入れることである。
「私は、聖霊様が自ら証してくださった、神様の子どもであり、イエス様と同等な神様の相続人であり、世の光、王の系統を引く祭司だ。」
今日(こんにち)、信者らが無能になっているもっとも深刻な問題がある。それが何か知っているか。自分を非常に過小評価していることである。数多くのクリスチャンが、世の誘惑にだまされている。人生の中で、自分を万王の王である神様の子ども、世の光、 王の系統を引く祭司だと思いながら生きる人は、多くない。もし、この考えに満たされて生きていくと、彼らの人生の態度がそのようになるはずがない。
人は、「自分が評価する自分」以上の人になれない。
自分に対する考えが、自分の未来を決定する。指導者の考えをする人は、指導者の人生を生きるようになり、僕の考えをする人は、僕の人生を生きるようになる。よって、神様はまず、私たちが指導者の考えを持つことを願われる。信仰は、考えを変えることである。考えが変わらないのに、人生が変わることはない。考えはつまり、その人の人生の根だからである。
イエス様の考えをみよう。
「 イエスは言われた。『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」(マルコ9:23)
パウロの考えをみよう。
「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ 4:13)
アブラハムの考えをみよう。
「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ…、
彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ…」(ローマ 4:17,18)
自分自身の考えをみよう。
信仰の先輩らとどの差を見せているか。
考えを過小評価しないでほしい。絶対。人生の差は、つまり考えの差であることを知ってほしい。
指導者は考えが違う。指導者は指導者の考えをもつ。自分が指導者の使命を持っていることを、全く疑わない。
愚かな人は、現象から考えを得るが、指導者は、考えから現象を創出する。
信仰の人は、考えが環境の支配を受けるのではなく、考えで環境を支配する人である。
信仰の人は、考えが環境の支配を受けるのではなく、考えが御言葉の中に留まっている人である。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:

2.        どの人を指導者として立てるべきか。
今日はまず、指導者を選ぶ過程を通して、天の指導者の姿を見ていきたいと思う。私たちは、指導者になることもあるが、指導者を選ぶ立場におかれる場合もある。指導者を選ぶことは、自分が指導者になることと同じく重要である。指導者の運命がグループの運命であり、グループに属している自分の運命にもなるからだ。

1)        神様が選ばれた者―中心(心)型指導者
「必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。」(申命記 17:15)
なぜ、神様に選ばれる者を指導者として立てることができるか。
ダビデの例を通して見てみよう。
神様がエッサイの息子の中で王を立てられるために、サムエルをエッサイの家に送られた。エッサイの長男のエリアブを見た瞬間、サムエルは、「彼こそ主の前に油を注がれる者だ。」と思った。しかし、神様は「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。」とおっしゃった。人々は、人の心がよく分からない。多くの場合、目に見える外面だけでその人を評価してしまう。そのため、詐欺にかかる場合もある。外面が本当の姿ならば、だましてだまされることは、世に存在しない。その人が詐欺師であることが外面に出ているから、だまされる人はいないだろう。人の本当の姿は、外面ではなく、内面である。これを分かるものの、私たちはだまされる。なぜなら、内面が分からないからだ。
では、どうすれば、 内面(心)を分かるようになるだろうか。
目を通してみるのではなく、神様を通して人を見ればいい。
「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル上 16:7)
人は、他人の心が分からない。しかし、神様は人の心を外面よりよく見ておられる。
神様は絶対だまされない。神様には、ありのままを告白するのが最善の方策である。(ヨハネ一 1:9)
神様が選ばれる者は、外貌型指導者ではなく、中心型指導者である。その人の中心を見て指導者を立てると、間違わない。
中心型指導者を立てるためには、どうすればいいか。まず、祈らなければならない。イエス様の12弟子を立てられるときに、夜が明くまでまず祈られ(ルカ6:12-13)、初代教会ではじめて指導者(マティア)を補充するときにも、まず祈った。(使徒言行録 1:24) 神様の御心が適われるように祈らなければならない。
「天におられるわたしたちの父よ、天におけるようにこのことにも御心が行われますように!」
また、もう一つの方法は、神様の僕が神様の御声を伺って使命することである。神様は、僕を通して神様の人々を立てられる。サウル、ダビデ、ソロモンが皆神様の僕を通して立てられた指導者たちである。そして、熱心に祈ってくじを引いて立てる方法もあった。
      
2)        同胞の中の一人 – 仕え型指導者
「同胞の中からあなたを治める王を立て」(申命記 17:15)
伊藤博文は、日本ではすごい人物である。いわゆる民族の先駆者であり、英雄だった。彼は、日本の両院制議会を確立し、明治憲法の草案を作成した人物で、日本初代内閣総理大臣になった人である。そのため、日本の国会議事堂に入ると、彼の銅像が大きく立てられている。
しかし、韓国人にとっては伊藤博文がどのような人になっているか。日本と正反対のイメージを持っている。逆に、彼を暗殺したアン・ジュングンが義士で、民族の英雄になっており、彼は韓国人の元凶として覚えられている。
伊藤博文は確か賢い人だった。そのため、彼は朝鮮統監府の統監にもなった。しかし、なぜ、朝鮮の人々は、彼をそれほど嫌がっていたか。理由は簡単である。彼の実力や能力ではなく、彼が朝鮮人の同胞ではなく他国人だったからである(申命記 17:15)。このように、同胞の中から指導者を立てるということは非常に重要である。他国人は、自分の能力と関係なく、植民地型指導者の姿を見せるだけだが、同胞は理解と愛によって仕え型の指導者の姿を見せる。
同胞の中から指導者を立てなさいということは、仕え型指導者を選びなさいということである。
イエス様の指導者論は、この点を非常に明確に語られている。
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」(マタイ 20:26,27)
当然、真の指導者は、仕える者、つまり僕にならなければならない。
指導者を選ぶ時には、中心型指導者(神様が認められる者)を選び、仕え型指導者(人を愛する者)を選ばなければならない。

5 コメント

安間チョウコ

2008-01-26 20:38:57

指導者
今の日本は、いろいろな問題が一気に露呈して、日本の内閣や経済界のリーダーがどのような舵取りをするかで国民の将来も変わる。이 명박大統領のように事を速め速めに進めて、国民が何か希望を感じるそんなムードも必要だ。環境を変える能力、力はリーダーになければならないと思う。
私達も任せることで失望するのでなく、国民の良心、判断をムード的に高めるそんな市民でいたい。

古郡武志

2008-01-27 04:39:09

人は、「自分が評価する自分」以上の人になれない。
(1) 私は、不従順になってしまったとき、誘惑に負けてしまったとき等、自分で自分のことを本当にだめな人間だと思うことがある。最近も自分は、神の喜びのために礼拝するどころか、自分のために神を利用していただけではないのか、そんな思いにとらわれもした。一言で言えば、だめ人間・だめ信者というわけである。
(2) そんな思いにとらわれるとき、決して忘れてはならないことがあることに思い至るのである。「5つの目的」に出てくるラッセル・ケルファーという人の詩の一部である。「あなたが今の姿でいるのには理由があります。私たちの神に失敗はあり得ません。神はあなたを母の胎の中で育まれました。あなたは神が望まれた通りの姿をしているのです。」
      私たち一人一人は、神様が造られた大切な作品だ。ありのままの姿で愛されているのである。確かに、私は、最近不従順で「だめな信者」だとの思いに陥ったが、むしろ過去の不従順にくよくよ悩むよりも「これから頑張っていけばよい」との思いで自信をもっていけばよいのだと思ったのである。
  (3)「5つの目的」には、「未信者の方々の多くは、聖書の信頼性を受け入れる前に私たちクリスチャンが信用できるかどうかを知りたがっているのです。」という一節がある。自分がだめな人間だと思ってくよくよしていたら、誰がそんな姿を見てキリストを受け入れようと思うだろうか?私も以前に比べてそんなことを少しずつ考えるようになった。「憎しみが憎しみを生む」悪循環の中継点になるのではなく、少しくらい気にいらない人があっても優しく親切に愛をもって接するように少しでも努力し「憎しみを和らげる」中和剤になりたい。「クリスチャンがいるから、そこに平和が生まれる。」大げさに言えば、そんな人間になりたい。
(4) よく考えたら、当たり前のことだった。自分がだめだと思い込んでいる人間が大きな力を発揮できようもはずがないのである。おそらく、これからもだめな自分に嘆いてしまう日が来るのは避けられないであろう。そんなとき、私は、自分に言い聞かせよう。「私は、神様が創造された最高の作品だ」「自分は、だめな人間だ」と打ちひしがれている人間がいたら、堂々とこう言えるようになりたい。「あなたは、神様が創造された最高の作品だ。だから、自分をもっと大切にしようね。」
(5) 今日、電車を利用したが、今日もまた人身事故で電車が一時止まっていた。また、誰がホームから電車に身を投じたのだろうか?年間の自殺者数が3万人を越え、世界有数の自殺大国である日本。神様の力を信じないということは、やはり自分も他人も大切にできないということなのだろうか?生命を大切にする社会に一歩でも近づくため、たとえ小さくても「世の光」になりたい。

田辺高幸

2008-01-27 05:22:32

僕が聖書を読んで、影響を受けた御言葉に「あなたがたは世の光である…そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」というものだった。日本人には信仰を持つ者が少ないから、自分はそうなりたいと思った。そんな存在になれば、自然と主の御言葉を信じる人が増えると思ったし、これは何より自分に対しての命令と受け取った。
僕はあの御言葉があったから、ここまでやって来たし、今後もやって行くだろう。道は険しい。自分が光のような人間になれるのか。不安にもなる。でもこれは主が下さった御言葉だ。その御言葉のように生きる。これしかないのだ。
自分たちは神様の子だ。父親は自分たちを愛されている。だから喜ばれるように生きたいと思う。父の御言葉をいつも心に持って日本で過ごすつもりである。

나미키 토모지

2008-01-28 06:54:00

指導者(Leader)には信仰が多い人がなるのが良いのは言うまでもありませんが、あくまでもまとめる立場に立って、その仕事だけして欲しいと思います。それが行き過ぎると却って良くないことが起こる可能性が多いです。傲慢になって他人を見下したり、挙げ句の果てには自分の思想・信仰を強制したりします。その意味では「中心=center」的指導者という自覚も併せて持つことを願うばかりです。
*Park Yujinさん・Lee Jin Heeさん、お忙しいところいつも翻訳を有難うございます。

藤田弘量

2008-02-02 11:04:05

社会人になって25年目の春を迎えます。 18歳の若造だった私に社会の厳しさを叩き込んでくれた指揮官を思い出します・・・・。
瞬時に全隊員の状況を掌握し安全の確保に命がけで取り組む指揮官でした。
常に最善を尽くす事・・。本当に厳しい人でした。そして本当に優しい人でした。

あれから25年の月日が過ぎ、いつの間にか私は指導する立場になっています。
私は指導者としての資質を備えているのだろうか?
指導されている後輩たちは私を指導者として認めているのだろうか?
自信をもって指導者としての職責を全うしているのだろうか?
あらためて自問自答する機会を与えてくれた主に感謝しています。

毎週、教会に通って主の御言葉にふれています。 主の御言葉は私にちからと勇気を与えてくれます。 しかし、ちからある御言葉も実生活の中で実践していかなければ意味がありません。

私は主に選ばれた指導者なのだろうか?
主の御言葉を指導者として実践しているのだろうか?
会社の服務を後輩たちに押し付けているだけではないだろうか?

命を大切にしろ・・人間を好きになれ・・そして仲間を絶対に信頼しろ・・・
私は人の命を、そして仲間を愛することを指揮官から教わりました。

主の喜びとなる指導者に成長したいと願っています。

Board Menu

リスト

Page 45 / 55
Status 番号 タイトル 投稿者 日付 閲覧数
  214

떡과 말씀

47
이용규목사 2008-02-18 1164
  213

指導者の道(4)

6
이용규목사 2008-02-13 453
  212

지도자의 길(4)

51
이용규목사 2008-02-11 939
  211

指導者の道(3)

6
이용규목사 2008-02-07 655
  210

지도자의 길(3)

54
이용규목사 2008-02-04 1274
  209

指導者の道(2)

7
이용규목사 2008-01-29 581
  208

지도자의 길(2)

41
이용규목사 2008-01-28 1243
  207

指導者の道

5
이용규목사 2008-01-26 461
  206

지도자의 길

33
이용규목사 2008-01-21 910
  205

聖書は何を語っているか

5
이용규목사 2008-01-09 498
  204

生きた信仰

4
이용규목사 2008-01-07 399
  203

성경은 무엇을 말하고 있는가?

14
이용규목사 2007-12-31 936
  202

산 믿음

17
이용규목사 2007-12-24 914
  201

目的5-使命完遂

5
이용규목사 2007-12-19 384
  200

목적5-사명 완수

20
이용규목사 2007-12-17 730
  199

목적4-다른 사람 섬기기 (마20:28) 目的4-他人に仕えること(マタイ20:28)

27
이용규목사 2007-12-10 826
  198

目的3-イエス様に似ること

4
이용규목사 2007-12-04 358
  197

목적3-예수님 닮기

41
이용규목사 2007-12-03 1458
  196

目的2- 神様の家族

6
이용규목사 2007-11-28 357
  195

목적2-하나님의 가족

38
이용규목사 2007-11-26 1395

   

sketchbook5, 스케치북5

sketchbook5, 스케치북5

나눔글꼴 설치 안내


이 PC에는 나눔글꼴이 설치되어 있지 않습니다.

이 사이트를 나눔글꼴로 보기 위해서는
나눔글꼴을 설치해야 합니다.

설치 취소