自分の価値
御言葉//ヨブ記23:10
1. お金の価値
お金の力は誰も否定できない。神様の権威も脅かすほどである。
そのため、イエス様はこう言われた。
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)
イエス様もお金をあえて神様と比べる程度だから、お金が人生にどれほど大きな影響力を与えるか、見当がつくと思う。
多くの人々にはお金が神だ。お金によって笑ったり、泣いたり、気持ちが良くなったり、悪くなったりする。お金はこんなにすごい力と価値を持っている。
では、お金の価値は果たしてどこから来るのだろう。
まず、偽造紙幣について考えてみよう。大きな罪だということを知りながら、なぜ偽造紙幣を作ろうとするだろうか。理由は簡単だ。お金になるからだ。作る原価より価値がはるかに高いからだ。もし、作る値段が実際の値段より高いとしたら、誰も偽造紙幣を作らないだろう。損害になることをするはずがない。紙幣その自体の値段はたいしたものではない。一万円の紙幣の原価は、わずか100円程度に過ぎないという。これ自体に一万円の価値があるから一万円になったわけではない。ただ、与えられた価値である。お金の価値は製造費から算出された価値ではない。国家という権威が与えたのが、そのお金の価値である。
人々はこの価値を少しも疑わない。 一万円を持っていたのに、紙代(百円)の分にしか扱ってくれない人は、一人もいない。皆が与えられた価値を認め、信じて使用するだけなのだ。価値は権威に対する信頼から来る。信頼が崩れると、価値も崩れる。
2. 自分の価値
では、人の価値はどこから来るものだろうか。
その人の状況、家門、学閥、美貌、お金、健康、能力がその人の価値を決める要素なのか。これは、紙代に過ぎない。このようなことは、年俸を決めるものにはなるかもしれないが、人の価値を決定することはできない。人間自体がもっている値はたいしたものではない。多くともわずか百円しかならないから。人間は誰でも尊厳な存在だ。
人間の真の価値は、自分の姿の価値ではなく、与えられた価値である。
では、誰から与えられたのか。国家程度の権威ではない。我々は、万物の創造者で、主管者の神様からいただいた、ものすごい価値を持っている。
神様は我々にどのような価値を与えられたのか。
第一、 神様の完璧な作品としての価値を与えられた。神様のあなたに対する評価が気になるだろう。人の評価は信じがたい。しかし、神様の評価は絶対的で、正確なのである。神様はあなたを作られ、こう評価なさった。「見よ、それは極めてよかった。(創世記1:31)」神様がはっきりこう評価なさったのに、なぜ人々の否定的な評価に気を使っているのか。愚かにならないでほしい。あなたは、神様の御手で作られた人であり、作られたその方が直接「very good(極めてよい)」と言われた、評価済みの人なのである。自分の姿に対する価値を回復しなければならない。自分の姿にたいする自負心を持たなければならない。そうでないと、創造主の神様に対する疑いであり、冒涜行為をしているということを自覚しなければならない。
神様に感謝しながら、こうつぶやいてみよう。
「あら、私ってこんなに美しいものなの!」
そう、あなたは、神様が‘very good’だとほめるほど、本当に美しい人なのだ。
神様が与えられたこの大事な自分の価値を、世間に奪われないでほしい。
堂々と自分に宣布しよう。
「私は、世の中で一人しかない、神様の完璧な美人だ。」
第二、 神様の最高の愛の相手としての価値を与えられた。
恋すると、何でもあげたくなる。それで、ある人は、家やら車やら洋服やら指輪も買ってあげる。では、神様はあなたに何を持ってプロポーズなさったのだろうか。
指輪も、洋服も、家でもない。このようなものとは比べられない素晴らしいプレゼントを持って、あなたをお訪ねになった。すなわち、その独り息子のイエス様をあなたにあげて、プロポズなさったのだ。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、わたしを愛された。」(ヨハネ3:16)
「わたしがまだ罪人であったとき、キリストがわたしのために死んでくださったことにより、神はわたしに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)
神様は愛の印としてあなたにその息子のイエスを与えられた。
「わたしがあなたをこれほど愛している。」
あなたは神様からプロポズされている人である。これが、あなたの二番目の価値である。この愛に感動しつつ、こうつぶやいてみよう。
「あら、私がこんなに素晴らしい人なのか!」
そう、あなたはかなり素晴らしい人である。神様にまでプロポズを受けている人ではないか。神様は今も相変わらず、あなたを愛されることを願われる。あなたが神様のこの愛を受け取ることを待っておられる。
「あなたは愛されるために生まれた人だ。神様の完全な愛を!」
第三、 最高の資格者としての価値を与えられた。
神様の愛のプロポーズを受け入れる人に、神様はものすごい価値を与えられた。それは、「神様の子供」としての資格を与えられたのである。
「自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:12)
信仰の人は皆、神様の愛を受け入れた人である。よって、我々には、神様の子供の資格が与えられている。この資格を享受する者にならねばならない。子供の資格とは何だろう。むろん、天国で神様の相続人として祝福されるようになる。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。」(ローマ8:17)
では、この地での子供の資格とは具体的に何だろうか。
神様の真の息子である「イエスの御名」の使用権である。イエス様の御名が自分の名前になり、イエス様の権勢が自分の権勢になることである。これが、神様の子供としての資格である。なぜならば、神様がその息子のイエス様を、我々に、自分のものとして与えられたからである。イエス様が神様の真の子供の名前だからである。
「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ16:24)
自分に一度聞いてみよう。
「あら、私がこんなに能力のある人だったのか。」
そう、あなたは確かに能力のある人である。神様に子供の資格を与えられた人物だからだ。これからは思いっきり子供の資格であるイエス様の御名を使っていただきたい。子供の権勢が現れるはずだ。
創造主の神様は我々に「完璧な作品」の価値を与えられ、
救世主の神様は我々に「完璧な愛」の価値を与えられ、
祝福の神様は我々に「完璧な資格」の価値を与えられた。
そう、あなたは完璧な人間である。神様があなたに与えられたからだ。
お金の価値が、その自体の与えではなく、国家の権威が与えた価値が真の価値のように、あなたの価値も、神様から与えられた価値が真の価値なのだ。
国家を信頼しお金の価値をもらうように、神様を信じないと、我らの人生は真の価値を全部失ってしまう。信仰は、神様が与えられた自分の価値を回復してくれる力である。よって、信仰がある人は幸せになるはずだ。幸福指数は信仰指数に比例する。なぜなら、信仰は自分の価値を正しく悟らせる通路であるからだ。
3. ヨブの価値
神様が与えられた完璧な自分の価値、この自画像が破られる時がある。我々はいつこの自画像を疑い、自己沈滞の沼にはまるのか。
苦難が来るたびである。繁盛する時や仕事がうまく行く時は自分の価値が揺らがない。むしろ、自分自身をもっと素晴らしい人のように思う。しかし、いきなり人生に嵐が来ると、自分の価値もすぐ飛んでいってしまう。自ら惨めな存在だと思ってしまう。これは、与えられた自己の価値ではない。環境から感じる偽りである。与えられたのは、環境の影響を受け入れない。一万円の紙幣が少しもみくちゃになり、やぶられ、汚れたとして、そのお金の価値が変わるのを見たことがあるのか。むしろ、火事で燃えてしまい、灰だけ残っていても、一万円はその価値をそのまま持っている。灰を銀行に持って行くと、新しく換えてくれる。苦難によって少しもみくちゃになり、やぶられ、汚れたとしても、さらに灰だけ残っていても、 あなたの価値は永遠に変わらないということを自覚してほしい。
ヨブの姿は、我々に大きな挑戦を与える。
ヨブは子供が皆死んでしまい、財産を全部無くし、妻は逃げ、自分は頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかかり、灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。(ヨブ 2:7,8)
つまり、ヨブの人生は全部燃えて灰だけ残ってしまった。環境が与える望みは少しもなかった。しかし、ヨブの自画像も、彼の価値も、少しも燃えなかった。
彼は、人生の灰の堆積の中でこう宣布した。
「神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。
わたしを試してくだされば、
金のようであることが分かるはずだ。」(ヨブ23:10)
(But he knows the way that I take;
When he has tested me, I will come forth as gold.)
むしろ、彼はもっと良い自分の姿を、信仰をもって宣布したのである。「私は必ず純金のように出てくる。私は必ず純金のように出てくる。」
ヨブは純金を宣布した自画像通り、純金のように出てきた。彼は、前の倍の祝福を受ける信仰の主人公になった。(ヨブ42:10-12)
いかに人生が苦しくて、環境がよくなくても、自分の自画像まで燃やしてはいけない。自分の価値を自ら捨てる愚かさを犯さないでほしい。
信仰の人は、環境が誘惑する偽りの価値を止め、
神様が与えられた完璧な自分の価値で、最後まで信仰をもって走っている人である。
「私は純金のように出てくる。」
「私は純金のように出てくる。」
「私は純金のように出てくる。」
御言葉//ヨブ記23:10
1. お金の価値
お金の力は誰も否定できない。神様の権威も脅かすほどである。
そのため、イエス様はこう言われた。
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)
イエス様もお金をあえて神様と比べる程度だから、お金が人生にどれほど大きな影響力を与えるか、見当がつくと思う。
多くの人々にはお金が神だ。お金によって笑ったり、泣いたり、気持ちが良くなったり、悪くなったりする。お金はこんなにすごい力と価値を持っている。
では、お金の価値は果たしてどこから来るのだろう。
まず、偽造紙幣について考えてみよう。大きな罪だということを知りながら、なぜ偽造紙幣を作ろうとするだろうか。理由は簡単だ。お金になるからだ。作る原価より価値がはるかに高いからだ。もし、作る値段が実際の値段より高いとしたら、誰も偽造紙幣を作らないだろう。損害になることをするはずがない。紙幣その自体の値段はたいしたものではない。一万円の紙幣の原価は、わずか100円程度に過ぎないという。これ自体に一万円の価値があるから一万円になったわけではない。ただ、与えられた価値である。お金の価値は製造費から算出された価値ではない。国家という権威が与えたのが、そのお金の価値である。
人々はこの価値を少しも疑わない。 一万円を持っていたのに、紙代(百円)の分にしか扱ってくれない人は、一人もいない。皆が与えられた価値を認め、信じて使用するだけなのだ。価値は権威に対する信頼から来る。信頼が崩れると、価値も崩れる。
2. 自分の価値
では、人の価値はどこから来るものだろうか。
その人の状況、家門、学閥、美貌、お金、健康、能力がその人の価値を決める要素なのか。これは、紙代に過ぎない。このようなことは、年俸を決めるものにはなるかもしれないが、人の価値を決定することはできない。人間自体がもっている値はたいしたものではない。多くともわずか百円しかならないから。人間は誰でも尊厳な存在だ。
人間の真の価値は、自分の姿の価値ではなく、与えられた価値である。
では、誰から与えられたのか。国家程度の権威ではない。我々は、万物の創造者で、主管者の神様からいただいた、ものすごい価値を持っている。
神様は我々にどのような価値を与えられたのか。
第一、 神様の完璧な作品としての価値を与えられた。神様のあなたに対する評価が気になるだろう。人の評価は信じがたい。しかし、神様の評価は絶対的で、正確なのである。神様はあなたを作られ、こう評価なさった。「見よ、それは極めてよかった。(創世記1:31)」神様がはっきりこう評価なさったのに、なぜ人々の否定的な評価に気を使っているのか。愚かにならないでほしい。あなたは、神様の御手で作られた人であり、作られたその方が直接「very good(極めてよい)」と言われた、評価済みの人なのである。自分の姿に対する価値を回復しなければならない。自分の姿にたいする自負心を持たなければならない。そうでないと、創造主の神様に対する疑いであり、冒涜行為をしているということを自覚しなければならない。
神様に感謝しながら、こうつぶやいてみよう。
「あら、私ってこんなに美しいものなの!」
そう、あなたは、神様が‘very good’だとほめるほど、本当に美しい人なのだ。
神様が与えられたこの大事な自分の価値を、世間に奪われないでほしい。
堂々と自分に宣布しよう。
「私は、世の中で一人しかない、神様の完璧な美人だ。」
第二、 神様の最高の愛の相手としての価値を与えられた。
恋すると、何でもあげたくなる。それで、ある人は、家やら車やら洋服やら指輪も買ってあげる。では、神様はあなたに何を持ってプロポーズなさったのだろうか。
指輪も、洋服も、家でもない。このようなものとは比べられない素晴らしいプレゼントを持って、あなたをお訪ねになった。すなわち、その独り息子のイエス様をあなたにあげて、プロポズなさったのだ。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、わたしを愛された。」(ヨハネ3:16)
「わたしがまだ罪人であったとき、キリストがわたしのために死んでくださったことにより、神はわたしに対する愛を示されました。」(ローマ5:8)
神様は愛の印としてあなたにその息子のイエスを与えられた。
「わたしがあなたをこれほど愛している。」
あなたは神様からプロポズされている人である。これが、あなたの二番目の価値である。この愛に感動しつつ、こうつぶやいてみよう。
「あら、私がこんなに素晴らしい人なのか!」
そう、あなたはかなり素晴らしい人である。神様にまでプロポズを受けている人ではないか。神様は今も相変わらず、あなたを愛されることを願われる。あなたが神様のこの愛を受け取ることを待っておられる。
「あなたは愛されるために生まれた人だ。神様の完全な愛を!」
第三、 最高の資格者としての価値を与えられた。
神様の愛のプロポーズを受け入れる人に、神様はものすごい価値を与えられた。それは、「神様の子供」としての資格を与えられたのである。
「自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:12)
信仰の人は皆、神様の愛を受け入れた人である。よって、我々には、神様の子供の資格が与えられている。この資格を享受する者にならねばならない。子供の資格とは何だろう。むろん、天国で神様の相続人として祝福されるようになる。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。」(ローマ8:17)
では、この地での子供の資格とは具体的に何だろうか。
神様の真の息子である「イエスの御名」の使用権である。イエス様の御名が自分の名前になり、イエス様の権勢が自分の権勢になることである。これが、神様の子供としての資格である。なぜならば、神様がその息子のイエス様を、我々に、自分のものとして与えられたからである。イエス様が神様の真の子供の名前だからである。
「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ16:24)
自分に一度聞いてみよう。
「あら、私がこんなに能力のある人だったのか。」
そう、あなたは確かに能力のある人である。神様に子供の資格を与えられた人物だからだ。これからは思いっきり子供の資格であるイエス様の御名を使っていただきたい。子供の権勢が現れるはずだ。
創造主の神様は我々に「完璧な作品」の価値を与えられ、
救世主の神様は我々に「完璧な愛」の価値を与えられ、
祝福の神様は我々に「完璧な資格」の価値を与えられた。
そう、あなたは完璧な人間である。神様があなたに与えられたからだ。
お金の価値が、その自体の与えではなく、国家の権威が与えた価値が真の価値のように、あなたの価値も、神様から与えられた価値が真の価値なのだ。
国家を信頼しお金の価値をもらうように、神様を信じないと、我らの人生は真の価値を全部失ってしまう。信仰は、神様が与えられた自分の価値を回復してくれる力である。よって、信仰がある人は幸せになるはずだ。幸福指数は信仰指数に比例する。なぜなら、信仰は自分の価値を正しく悟らせる通路であるからだ。
3. ヨブの価値
神様が与えられた完璧な自分の価値、この自画像が破られる時がある。我々はいつこの自画像を疑い、自己沈滞の沼にはまるのか。
苦難が来るたびである。繁盛する時や仕事がうまく行く時は自分の価値が揺らがない。むしろ、自分自身をもっと素晴らしい人のように思う。しかし、いきなり人生に嵐が来ると、自分の価値もすぐ飛んでいってしまう。自ら惨めな存在だと思ってしまう。これは、与えられた自己の価値ではない。環境から感じる偽りである。与えられたのは、環境の影響を受け入れない。一万円の紙幣が少しもみくちゃになり、やぶられ、汚れたとして、そのお金の価値が変わるのを見たことがあるのか。むしろ、火事で燃えてしまい、灰だけ残っていても、一万円はその価値をそのまま持っている。灰を銀行に持って行くと、新しく換えてくれる。苦難によって少しもみくちゃになり、やぶられ、汚れたとしても、さらに灰だけ残っていても、 あなたの価値は永遠に変わらないということを自覚してほしい。
ヨブの姿は、我々に大きな挑戦を与える。
ヨブは子供が皆死んでしまい、財産を全部無くし、妻は逃げ、自分は頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかかり、灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。(ヨブ 2:7,8)
つまり、ヨブの人生は全部燃えて灰だけ残ってしまった。環境が与える望みは少しもなかった。しかし、ヨブの自画像も、彼の価値も、少しも燃えなかった。
彼は、人生の灰の堆積の中でこう宣布した。
「神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。
わたしを試してくだされば、
金のようであることが分かるはずだ。」(ヨブ23:10)
(But he knows the way that I take;
When he has tested me, I will come forth as gold.)
むしろ、彼はもっと良い自分の姿を、信仰をもって宣布したのである。「私は必ず純金のように出てくる。私は必ず純金のように出てくる。」
ヨブは純金を宣布した自画像通り、純金のように出てきた。彼は、前の倍の祝福を受ける信仰の主人公になった。(ヨブ42:10-12)
いかに人生が苦しくて、環境がよくなくても、自分の自画像まで燃やしてはいけない。自分の価値を自ら捨てる愚かさを犯さないでほしい。
信仰の人は、環境が誘惑する偽りの価値を止め、
神様が与えられた完璧な自分の価値で、最後まで信仰をもって走っている人である。
「私は純金のように出てくる。」
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3 コメント
安間チョウコ
2007-02-28 19:27:30
ユジンさんが、同時通訳できなくなったらどうしょうと、先々週は心配しました。今までユジンさんに頼りきりだったことを感じました。今までの2年間、本当にユジンさんに頼りきりでした。
ユジンさんは、あんなに大変な日本語教育試験まで合格され、私もあの試験を受けるために、恥ずかしいながら2ヶ月間教会まで休み、試験に臨みましたが、難しくて、もうしばらくはあんな難しい試験はやりたくないと思うほどでした。
ところがユジンさんは毎週教会の同時通訳のご奉仕もしながら、試験も合格なさるのですから、また赤ちゃん(ソノちゃん)もおなかに育っていたのですから、もう人間わざ(技)とは思われません。
ユジンさんがいるだけでキリスト教は素晴らしい、キリスト教の証です。
この欄は日本の方の伝道のためにありがたいです。
日本の方に本当のキリスト教を教えていただきたいと思います。
この欄私にはありがたいです。
多くの日本の皆様がこの欄を見てくださいますことをお祈りいたします。
한영진
2007-03-01 03:41:42
인젠 우리 어머니가 아무리 '못난이'라고 해도 아무렇지도 않습니다.^^
이번 주 말씀은 여럿의 친구에게 보내려구요.
유진 집사님, 정말 정말 수고 많으셨습니다.
진심으로 감사합니다. 기도 하겠습니다...
박유진
2007-03-02 20:46:27
安間さん、私の拙訳のことをそう言ってくださり、ありがとうございます。
영진집사님, 기도해주셔서 감사해요...