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중앙영광교회

プレゼント

이용규목사, 2005-12-29 02:58:22

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「プレゼント」
ローマ 5:17

1.        プレゼントの力
クリスマスは人類最高の嬉しくて喜ぶ日である。
信じている者であろう信じていない者であろう、どの民族でも皆「メリークリスマス」と言いながら浮き浮きしている様子を見ると、誰をも否認できない事実には間違いない。
なぜクリスマスは人類最高の幸せな日になるべきだろうか。
それは、全人類が神様から最高のプレゼントを頂いた日だからである。
救いのプレゼントであるイエス様がこの地に来られた日であるからだ。
「天使は言った。恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2:10、11)
そのため、クリスマスの修飾語にはいつも「merry(楽しい)」が付いている。
「プレゼント」は人間が住んでいる所なら無くてはならない重要な必須品である。
我らが救われたのも、「神様の賜物」があったからであり(エフェソ2:8)、
人間関係にもプレゼントの威力は大きい。
プレゼントは人の前途を開き、えらい人の前に彼を導く(箴言18:16)。
プレゼントはもらう人の心を感動させる。

今年のクリスマスには知り合いの日本人の方から2つの感動的なプレゼントを頂いた。お二人ともキリスト教信者ではないのにも関わらず、クリスマスだからといって教会にプレゼントを贈られた。
一人は大きな生花スタンドを贈ってくださり、他の一人はクリスマスの献金3万円を3日前に予め持って来られた。私と教会の皆を感動させた。これが日本の底力ではないかと思う。日本人は他のどの民族よりも、時になると贈り物をよくする良い性分があるようだ。そのため、彼らが世界の商権を握っているのではないかと思われる。
プレゼントをよくする人は、そのプレゼントが他人ではなく自分をうまくいかせる。
プレゼントの知恵が開いている人は、万事が意のままになる。
「贈り物をすれば人の前途は開け
えらい人の前に彼を導く。」(箴言18:16)
プレゼントは確かに人の心を動かせる力がある。

2.        真のプレゼント
 クリスマスが「真のクリスマス」になるためには必ず受け取らなければならないプレゼントがある。このプレゼントをもらえない人は、たとえ彼があるいいプレゼントをもらったとしても彼のクリスマスはニセクリスマスであり、決してメリークリスマスにはならない。
クリスマスに我らが皆受け取るべき真のプレゼントは一体何だろうか。

1)        物と人
愛している人がいるが、その人は来なくて時になるといいプレゼントだけ贈ってくれる場合と、いいプレゼントを買ってくれることはできないが、その人が直接来てくれる場合、どのほうがより感動的なプレゼントになるのか。もちろん、どのプレゼントよりもその人が直接来てくれるのが最高のプレゼントであろう。
しかし、次のような場合もある。
確かに愛しているものの、人よりプレゼントが好きな人がいる。どのような人だろうか。頑是ない人である。子供のような人だ。子供はお父さんが出張に行くと、一生懸命お父さんが帰ってくる日を数えながら待つ。正確にいうと、お父さんを待つのではなく、プレゼントを待っている。そのため、お父さんが帰ってくると、「パパ、わたしのプレゼントは?」と聞きながらプレゼントだけもって自分の部屋に入ってしまう。幼いからだ。幼い人は、本当の大事なものが何かよく分からない。さびしいほど分からない。
我らは神様をさびしがらせてはいけない。霊的に成熟しなければならない。財物や健康、名誉等の肉的なプレゼントより、神様が自分と供におられることを感謝し感動する霊的な大人にならなければならない。
お母さんはお父さんが帰ってくると、「あなたが元気な姿で帰ってきてとても幸せです。あなたが私の最高のプレゼントですよ。愛しています。」という。
霊的なお母さんの姿が聖誕祭に神様に見せるべき我らの本当の姿であるだろう。
昔、ペルシャにアッバスという王がいた。彼はよく平民に仮装し、民のそばに行って彼らのことを察した。特に、聖誕祭が近づくと、自分が会った人の願い事を叶えてくれた。その年の聖誕祭にも彼は平民の服装をしある平民に出会った。何回か会って親しくなった後に、彼は自分が王であることを明かし、「あなたに聖誕祭のプレゼントをしたいが、願い事を聞かせてください。」と言った。その時、この平民は「私は富も名誉も要りません。ただ、今のように王様がよくいらっしゃって、私と一緒にいてくれるのが最高のプレゼントです。」と答えた。
平民が王から最高のプレゼントをもらったように、我らも神様からの最高のプレゼントを見逃してはいけない。
プレゼントより大事なのは人であることを覚えよう。そうすると最高のプレゼントは失えない。

2)        大統領と友人
前はどのようなプレゼントか、つまりプレゼントの内容について御言葉を分かち合った。ここでは、誰がくれたプレゼントかについて考えてみよう。
大統領がくれたプレゼントと友人がくれたプレゼントの中で、どのものがより価値があるのか。何を自慢したいのか。当然大統領のプレゼントであろう。
そうすると、神様のプレゼントと人のプレゼントの中ではどれがもっと良いのか。
当然神様から頂くプレゼントである。しかしながら、多くの人々は神様がくださるプレゼントには関心がなく、ただ人がくれるプレゼントに興味がある。クリスマスも例外ではない。神様が我らのために天国最高のプレゼントを用意してくださった日がこの日なのに、人々はもらおうとしない。
人々は聖誕祭になると「誰か私にプレゼントをくれないかな」として人の手を見る。しかし、真の聖誕のプレゼントは人の手にあるのではなく、神様の御手にあるのを悟らなければならない。クリスマスの本当のプレゼントは人からもらうのではなく、神様から頂くものである。人からもらうクリスマスのプレゼントは全部本物ではない。模造品で偽物だ。偽物をもらえないということで悲しまないで、本物が分からないことを悲しむべきだ。

3.        クリスマスにもらいたいプレゼント
クリスマスも偽物と本物がある。
それはプレゼントによって分けられる。本当のプレゼントをもらった人は本当のクリスマスの主人公になり、ニセプレゼントをほしがる人は大事なことを見逃してしまう。
クリスマスの真のプレゼントは神様から頂かなければならない。そして、物ではなく人じゃなければならない。
この二つを完璧に揃えたプレゼントはただ「イエス様」お一人しかいない。
イエス様は、神様がその息子を人間の姿で我らに贈られた救いのプレゼントだ。
そのイエス様がこの地に来られた日が聖誕祭である。
従って、イエス様がいらっしゃらないクリスマスは全部偽物である。自分の中に神様の完全なプレゼントであるイエス様がいらっしゃる時こそ「メリークリスマス」、「真のクリスマス」になるだろう。
デパートや町にはニセクリスマスが横行している。そこにはイエスがいないからだ。
そうだとして、教会もそうなってはいけない。信じる者がそうしてはいけない。
クリスマスはただ「イエスのプレゼント」で満ち溢れるべきだ。そうすると「メリー」で満たされたクリスマスになるだろう。
クリスマスにどのようなプレゼントをもらいたいのか。
「私はイエス様のプレゼントを頂きたいです。」
この貴重な告白が我らの人生を幸せにさせるだろう。
世の中の愛の表現で「私はあなたがほしい」という少し濃い言葉がある。
今、我らの魂はこう叫んでいる。
「私は主がほしいです。」
霊的に一番恵みのある言葉ではないか。
我らの魂はただ主のみ願う。なぜならば、主がおられると命があり、主がおられないと命がないからだ。
「なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」(ローマ5:17)
我らは神様の恵みで満ち溢れるプレゼントを頂いた人々である。
このプレゼントはただイエス・キリストを通して我らに臨む。
そのため、イエス様がいらっしゃると恵みのプレゼントは全部あるけれど、イエス様がいらっしゃらないと神様のプレゼントは1個もない。イエス様こそ、神様が我らに与えられた唯一で完全なプレゼントである。
そして、イエス様のプレゼントが我らの中にいると我らは命の中で支配するようになる。永遠の命のプレゼントがイエス様を通して我らに来るからだ。
主だけでいい。
主だけで満足する人生が真の満足を知っている人生である。
イエス様のお一人だけで楽しくて幸せなクリスマス、そして人生になるようにお祈りし、願っている。

4 コメント

박유진

2005-12-29 03:16:23

これから牧師先生の説教も訳すことになりました。
説教はコラムと違い、やはり難しいところが多く、
訳もうまくできていないと思います。
皆様のご指摘お待ちしております。

木下 

2005-12-29 20:53:54

神様から与えられたイエス様の真のプレゼントに感謝します。
人に対してプレゼントを贈るとき直前に準備が必要ですが、神様はこの完全なプレゼントを送るために私たちが生まれる前のはるか昔より私たちのために完全な計画のもとに準備されていたと考えられます。無限の愛がこのプレゼントに込められていることでしょう。このプレゼントを受け取ってどこかに置いたままにしないで、自分の心に大切にしていけたらと思います。

나미키 토모지

2005-12-30 04:51:26

日本語で書いてくださってどうもありがとうございました。
いつも通譯も文章もとても理解しやすくて良いです。
私や他の日本の人たちが理解することに大きな力になって下さった事を感謝します。
今年一年間、素晴らしい通譯をありがとうございました。
2006年も體に氣を付けられてお過ごし下さい。

노재훈

2006-01-01 05:25:05

キリストがこの地上においでになさった目的をもう一度考える時間になりました。人生を導く五つの目的を通じて溢れる神様の恵みを受けました。私がこの地に存在する目的をさとる時間になるクリスマスでした。神様が私の目的を導いてくださるキリストを私にプレゼントとしてくださいました。これから弟子訓練を通じてこの日本の地にイエスキリストが生きておられるクリスマスを夢見ています。キャロルではない賛美があふれる日本になるその日まで......

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